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長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』より(6)


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長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)

 長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)の六回目。

 初版は松江今井書店から1988年刊行。
 2014年に全面改稿新版が同書店から出され、2025年9月に出されたこの潮文庫版は、新版を一部加筆修正したもの。

 著者は、1940年、新潟生まれ。新潟大学人文学部で史学を専攻し、コロンビア大学で修士取得。
 一時期会社員、前後して高校教諭を勤めた方。
 本書の他に、『わが東方見聞録ーイスタンブールから西安まで177日』(朝日新聞社、2008年)などがある。

<目次>

□小泉セツ関係系図
□1 セツの生い立ち
□2 松江士族の没落とセツ
□3 ハーンとの出会いと結婚
□4 結婚生活
□5 未亡人時代
□思ひ出の記
□あとがき
□文庫版あとがき
□解説 怪談文学創作の最大の功労者・小泉セツの人生 小泉凡
[巻末付録]
□セツ・ハーン略年譜
□セツの「英語覚え書帳」


 巻頭の系図の写真。

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 この中の、セツの実母であるチエの実家塩見家の部分を拡大。

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 「セツの生い立ち」から、実母チエの父、塩見増右衛門について、ご紹介したい。

 セツの母方の祖父である塩見増右衛門(宅広)は、河竹黙阿弥の歌舞伎狂言『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』に高木小左衛門(こざえもん)の名で登場し、江戸赤坂にある松江藩の上屋敷を舞台に、藩の立場を危うくしかねない悶着を、大胆に始末する名場面の家老のモデルとなった。その悶着とは、すでに結婚の決まった腰元に対する、主君の理不尽な執心によって引き起こされたもので、河内山宗俊(こうちやまそうしゅん)が痛快な介入を行う筋になっている。
 この出雲松平家九代目の藩主である斉貴(なりたけ)は、一面において、決断に優れ、また開明的な見識を持った英主であった。当時諸大名は参勤交代の制に従って、一年おきに江戸詰めを行ったが、江戸城の大広間で諸大名が事と議して決まれない時には、この出羽守(斉貴)に聞く。すると、即座に白黒の決断が下され、事が決まるという風であった。彼は、また、広く学問を奨励し、一代の国学者塙保己一(はなわほきいち)が、父斉恒(なりつね)の代に校訂を進めた『雲州本延喜式』を完成させ、自ら序を付して刊行させた。(中略)
 その一方で彼は、個人的な楽しみを追い求めて、飽くことを知らなかった。彼は法外な贅沢をした。江戸東郊の浜村の海岸に、数千町歩に及ぶ広大な地所を買い取って、そこに大規模な造園を行い、また、金銀張りにガラス簾(すだれ)をあしらう五階建ての楼閣を設けて、珍奇な舶来の調度品を取りそろえ、日に夜に継いで酒宴を張った。その上、従来から現(うつつ)を抜かして来た相撲や鷹狩りに加えて、馬鹿囃(ばかばやし)に懲り出し、江戸中の馬鹿囃の名手を赤坂の上屋敷に集めて演奏させたり、女色に溺れて、歌木という名の遊女の許に密かに通ったりした。

 この「ヤンチャ殿様」は、藩の財政を圧迫したことはもちろん、ペリー来航前夜で国元の隠岐にも異国船が出没していた時期で、江戸詰の重役たちは憂慮していた。

 家老の神谷源五郎はあえて主君を諫めたが、聴き入れられずに職を辞した。嘉永四年(1851)はお国入りの年であったが、藩主斉貴は、種々の口実を設けては江戸に留まろうとした。夏、御帰国と万端手配が行われたにもかかわらず、江戸出立がないまま、秋も深まっていった。

 セツの祖父の増右衛門は、前年の暮に江戸家老として赤坂の藩邸に入っていた。

 過去二十年にわたって斉貴の愛顧を受けて来た彼は、事態を放置できず、意を決した。

 一度ならず、二度、そして三度と直言した。

 三度主君を諫めようとする者は、主君の逆鱗に触れ、死を賜う覚悟をしなければならなかったが、増右衛門は一身を犠牲にする決心をして、あえて三度目の直諫(ちょっかん)を行ったのである。
 この最後の諫言を終えて御前から退出しようとした時、藩主斉貴は、家老増右衛門のただならぬ顔色にはっと驚き、傍らの侍に早々増右衛門を呼び戻すようにと命じた。その侍は、慌しく家老の詰所に行って「御家老様、御家老様」と声をかけたが、返事がない。すかさず、堅く閉めてある襖を押し開けて内を見ると、増右衛門はすでに事切れ息絶えていた。彼は主君の御前に出る前に蔭腹(かげばら)を切り、切った腹を白木綿一疋(いっぴき)で固く捲きつけて諫言したのであって、まさしく死をもって主君を諫めたのである。時に嘉永四年十一月二日、セツが生まれる十六年前のことであった。辞世に

  君のため 思ふ心は 一筋に はや消えて行く 赤坂の露

の一首を遺している。事件直後に江戸を発った早打ちが、主を待ち侘びていた家人にもたらしたのは、「増右衛門様俄に病死」の報であった。
 藩主斉貴は、はじめて目覚めて翌年早々には国元に帰り、さらに翌年、娘を配した養子の定安に国守お地位を譲って、まだ三十八歳ではあったが、剃髪して出家の姿となったのである。

 公には病死としていたものの、すぐに江戸中に増右衛門の壮絶な死が知れ渡り、『三本杉家老鑑』という芝居にもなった。

 セツは、この祖父の物語を繰り返して聞かされていた。

 「オヂイ様のはなし」と題された原稿が、長男の一雄宛の封筒とともに、池田記念美術館に展示されている。

 池田記念美術館サイトから、常設展の部分の画像を拝借。
「池田記念美術館」サイトの該当ページ

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 池田記念美術館は、ベースボール・マガジン社および恒文社の創設者で、野球殿堂入りした池田恒雄の強い思いによって彼の故郷南魚沼市に誕生した。


 八雲が赴任したことのない新潟の地の美術館と八雲との関係について、新潟日報の記事から写真を含めて引用。
「新潟日報」の該当記事


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 この恒文社もまた、池田恒雄さんが創設した会社なのです。ベースボール・マガジン社とは「兄弟会社」という関係になります。

 池田さんは、スポーツもさることながら、もともと文学への造詣が深い人でした。旧制小千谷中学を卒業し、早稲田大学では英語の学びに力を入れます。東欧文化の紹介などにも力を注ぎ、恒文社からはさまざまな国の書籍を翻訳した本を出版しました。

 八雲の著作集もその一つです。出版にあたり、小泉家の子息との親交を深め、貴重な資料を託されたということでした。展示資料の中には、なんと「死亡届」や「埋葬許可書」の控えなどもあります。

 余談ですが、八雲が早稲田大学で英語を教えた際の学生の一人に、新潟市出身の歌人で書家の会津八一がいました。八一は、早稲田で教壇に立ったときに、八雲の長男と三男を教えました。八雲の死去後、セツは八一を頼って相談するような関係性だったと伝わります。「ばけばけ」に八一をモデルにした人物が出たら、さらに新潟での注目も高まりそうです。

 なお、すでに拙ブログでご紹介した『小泉八雲ー今、日本人に伝えたいこと』の著者池田雅之は、池田恒雄の甥である。

 
 さて、塩見増右衛門のこと。

 芝居にさえなった増右衛門の娘チエ。
 かつて家老の家に生まれた城下でも評判の美女であった彼女。

 絶望的な状況に陥っても、気高い心を保ち続けたのは、まさに父譲りだったのだろう。

 そして、孫のセツも、増右衛門を誇りと思っていた。
 セツは、後年、八雲と一緒に祖父が眠る赤坂の寺を訪れている。
 住職も墓の場所が分からず、ようやく見つけたが、土台が傾き、無縁仏のような荒れようだったらしい。
 
 なお、当然ながら、セツはその諫死の話をハーンにしている。一雄が絵具を誤って口にし、死に至る毒との思い込みから悲鳴をあげた時、ハーンは「従容として死に就いた祖先をすら持つお前が」と言って、その臆病をたしなめたという(『父小泉八雲』)。

 士族の娘と結婚した八雲にとっても、セツの祖父のサムライ魂は、深く心に残っていたに違いない。


 さて、今の世の中、権力者の過ちを、近くにいて自らの死を覚悟して諫めるような人物は、なかなか現れない。

 それどころか、「身を切る」と言いながら、自らの利益をのみ求める者たちが、権力者を支援している。

 「違法ではない」と嘯いているが、ルールの前にモラルの問題である。

 メディアも、ミャクミャク人気のことなどどうでもいいから、維新のあるまじき悪事をもっと追及すべきだ。

 もちろん、人気があるうちの総選挙、という無責任内閣をもっと糾弾して欲しい。

 発散しそうなので、このへんで。


 さて、次回は、「ばけばけ」より少し先に進んで、熊本時代のことの予定。

 その前に、別の本から、横浜到着後の八雲のことをご紹介するつもりだ。

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by kogotokoubei | 2026-01-13 12:57 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛
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