人気ブログランキング | 話題のタグを見る

田部隆次著『小泉八雲』(中公文庫)より(11)


田部隆次著『小泉八雲』(中公文庫)より(11)_e0337777_11141895.jpg

田部隆次著『小泉八雲』(中公文庫)
 
 田部隆次著『小泉八雲』(副題「ラフカディオ・ヘルン」)の十一回目。

 初版は1980年に北星堂書店から刊行され、今年3月に中公文庫で再刊。
 とはいえ、本書の「序」で著者は、この伝記の第一版は、大正三年四月、早大出版部から出た、と記している。

<目次>
□序
□故小泉八雲の著作につきて  坪内逍遥 ※「つきて」は原文のママ
□序  西田幾多郎
□小泉八雲先生を懐ふ  内ケ崎作三郎
□1 ギリシャからアイルランドへ
□2 大叔母のてもと
□3 学校生活
□4 シンシナティ
□5 ニューオーリンズ
□6 西印度、フィラデルフィア、ニューヨーク
□7 横浜から松江
□8 熊本
□9 神戸
□10 東京 その一
□11 東京 その二
□12 思い出の記  小泉節子(セツ)
□13 交際と交友
□14 人、思想、芸術
□15 ヘルンの通った道
□16 著書について
□17 余禄
□18 年譜(生涯、著作遺稿等)
□小泉八雲ー名の無き庶民の心を語り継ぐ  池田雅之
□索引

 今回も、「シンシナティ」の続き。

 頼るあてもなく、シンシナティでフリーターのような生活をしていた八雲も、まっとうな仕事にありつくようになる。

 定職を得るまでの過程では、八雲が食客となっていた、英国出身の教養深き紳士、活版屋ヘンリー・ワトキンの存在が大きかった。

 1874年の初め『シンシナティ・インクワイラー』社に入って記者になったのは、ヘルンの本当の記者生活の始めと言ってよい。シンシナティに着いてから今日まで五年間種々雑多な事を試みたうちに、やや新聞記者生活の端緒とも見るべきは、ロバート・クラーク会社に入って校正係となった事である。またワトキンの紹介でバーニー大尉という人の発行した『トレード・リスト』という商業新聞に関係して広告を勧誘したり、記事を書いたりした事もある。そのうちには浮標(フローティングブイ)をつけて、軽気球で大西洋を横断するという、今日の飛行船の先駆とも見るべき建議など商業新聞には不相当な記事もあった。
 ワトキンの食客となっているうち、シンシナティの公立図書館長トマス・ヴィカースの秘書の地位を得た事もあった。

 仕事を得た後も、八雲はワトキン宅にいたが、ワトキンを別として妻や娘は、八雲の容貌のこともあり、彼を嫌っており、彼の前に現れたことは稀だった。

 そうなると、なかなかワトキン家に居続けるわけにもいかない。
 
 ワトキンの家を出た後も、同年配の友人よりもこの三十歳年長の老ワトキンとの交際を好んだ。シンシナティ滞在中は毎日のように、この人の印刷所を訪問して、不在の時は紙切れに何か文句を書いて、署名の代りに「烏」の絵を残した。ヘルンの沈鬱な様子がポーの『レーヴン』〔大鴉〕に似ていると言うので二人に間で符牒になっていたからである。、その後ヘルンが南方に移り、また日本に渡って後も文通は絶えなかった。ワトキンは八十四歳の高齢で明治四十一年、亡くなった。ヘルンの手紙をまとめて、それを何よりの宝として誇っていたという事である。これ等の文通は1908年『烏の手紙』と題して出版になった。ワトキンはヘルンをポーよりも偉大とし「大文人たる天資はことごとく具えていたが唯一つ洒落(ヒュモア)という点が欠けていた」と言っている。

 ポーより上、とは、ワトキンは、なんとも高く八雲を買っていたことか。

 Wikipedia「大鴉」から、『不思議の国のアリス』などで著名なジョン・テニエルによる、『大鴉』の挿画を拝借。
Wikipedia「大鴉」

田部隆次著『小泉八雲』(中公文庫)より(11)_e0337777_14144295.jpg



 二人だけが分かる烏の絵での会話をするほどの親密さがあったワトキンと八雲。


 シンシナティで八雲がワトキンに出会わなければ、まったく違った人生を歩んでいたことだろう。
 なお、本書では「居候」ではなく「食客」と記していることに着目したい。

 食客(しょっかく、しょっきゃく)は、元々は中国の戦国時代に広まった風習で、君主たちが才能のある人物を客として遇して養う代わりに、主人を助けるというもの。

 日本なら、少し意味合いが違うが、「書生」なんて言葉もある。


 ワトキンのみならず、新聞社のほうでも、八雲の能力を早くから見出していた人物がいた。

 1896年6月号の『カーレント・リテラチュア』に、八雲が入社した当時に『シンシナティ・インクワイラー』の主筆だったジョン・コカリルがこう書いている。

 約二十年前、私はある西部の都で日刊新聞を引き受けていた。ある日事務所へ、変な浅黒の小男が入って来た。強度の近眼鏡をかけて、妙に憶病らしいそして「運」の神には見放されたという風をしていた。
 穏やかな震え声で、投書を買って貰えまいかと聞いた。私はその方の金は余り無いが、原稿を見た上で考えてみようと答えた。彼は上衣の下から原稿を出しておどおどしながら、机の上に置いて、こそこそと逃げるように出て行った。
 それからその日おそく、その置いてあった原稿を見て面白く書いてあったのに驚いた。

 ということで、八雲は『シンシナティ・インクワイラー』の記者になることができた。

 日曜版のために、八雲は十二ないし十五の欄の記事を書いた。

 コカリルの評価。

 実際不健全な物たも、感服できない物でも、彼の筆に上れば綺麗になった。そのうちに市部編集の一員となって報酬もよくなるにつれてこの人の記事がますます進歩した。
 下層社会の事を好んで書き、市街の暗黒方面を捜して、優しい小説的な話を掘り出した。汽船の発着所のおける黒人の荷揚人足に興味を示し、絶えず行って彼等の歌、奇習、物真似等について書き、彼等の破れきものにも、彼等の野蛮な踊りにも詩趣を見出した。

 黒人社会への関心は、自らが白人ではないことと、少年期から過酷な体験をしてきたことが、そうさせたのかもしれない。

 好奇心旺盛な二十代半ばの八雲は、ようやく天職を得たようだ。

 その後、八雲を一躍有名にすることになる事件が起こるのだが、その内容は次回。


名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2025-12-12 12:57 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛