若月澪子著『ルポ 過労シニア』(朝日新書)より(3)
2025年 12月 10日

若月澪子著『ルポ 過労シニア』
若月澪子緒『ルポ 過労シニア』(副題“「高齢労働者」はなぜ激増したのか”)の三回目。
本書は、朝日新書から2025年11月30日初版。
著者は、1975年生まれ。いわゆる、就職氷河期世代。
大卒後にテレビ局の有期雇用キャスターやディレクターなどに携わって以降、生涯非正規労働者とのこと。
結婚退職後、自殺予防団体の電話相談ボランティアを経験。育児のかたわらウェブライターとして借金苦や終活に関する取材・執筆を行っている。
著書に『副業おじさん』(朝日新聞出版社)がある。
本書は、著者がシニア労働者への取材をまとめたものである。
<目次>
□はじめに シニア労働の「プライドと偏見」
□第一章 終わらない「子育て」
□第二章 「貯蓄ゼロ」の実態
□第三章 2000万円では足りない
□第四章 シニア・ケアラー
□第五章 プライドのゆくえ
□第六章 孤独のトンネルを抜けて
□おわりに シニア美談という「話型」
□参考資料
第一章 終わらない「子育て」、から。
再び、67歳になるAさんのこと。
30歳になる長男のために借りた教育ローンの返済があり、障害を抱えた次男が通所する施設で働くことにしたAさん。
「ローン返済のために、長く続けられる仕事がいいというのが頭にありました。70歳を過ぎても働かせてもらえそうだったので、パート従業員としてお世話になることにしたのです」
しかし、Aさんが再就職時に驚いたのは非正規の報酬の低さである。
「昔、勤めていた会社で、パートで事務の人を雇っていた時に、時給1500円という設定をしていたら、元請け会社から『時給が高すぎる』って注意されたんです。その時は気が付かなかったのですが、時給1500円って案外、高時給なんですな」
Aさんの現在の時給は1200円(静岡県の最低賃金は2025年3月現在で1034円)、雇用形態はパートで、1年ごとに契約を更新する。
「今の仕事では交通費が出て、社会保険に入れていますし、少しですがボーナスも出ます。それは悪くないのだなと。交通費が出ないところもあると聞いてますし」
Aさんのパートの手取りが月17万円ほど。月額18万円の年金を受給しているが、収入の半分が、借金の返済に消えている。
静岡県の本年11月1日からの最低賃金は、1097円。
よって、1200円は、決して、安いとはいえないのだが、問題はその仕事の内容である。
Aさんの勤務時間は朝8時半から17時。
まずは出勤するとすぐに、施設のワンボックスカーで利用客の送迎に向かう。通所する障害者は中学生から50代くらいまで、1日あたり5~6名だ。施設にもどると、食事の世話、散歩の付き添い、レクリエーションの見守りなどをする。
「体は大人でも幼児のような人たちだから、安全面には気を遣います。転ばないように、ケガをしないように、保育園の先生のような仕事ですね。食事の時にテーブルを拭いたり、お茶を入れたり、掃除もします。私は現役時代は家のことも、子どものことも妻に任せっきりだったので、ここに来たばかりの時は戸惑うことが多かったです」
男性社会で生きてきた人が、シニアになってからケア労働に入ると、意外に苦戦することがある。
「『カビ取り剤を持ってきて!』と女性スタッフに言われた時、私はスプレーのヘッドがついてない、詰め替え用を持って行ったら『これじゃない!』と怒鳴られて。利用目的を説明してくれればいいのに、〇〇持ってきて! だけじゃ、わかりませんよ」
まるで定年後に、妻から家事ができないと指摘される夫のようだ。ただ、Aさんにも言い分はある。
「マニュアルがないんですよね。人によってやり方や指示が違うことが多くて困ります。お茶の淹れ方ひとつでも、違うことを言われる。私から見ると、すべて行き当たりばったりというか、統一されておらず無駄も多いんですよ」
これは、介護施設の調理補助で私自身が経験したことに近い。
たとえば、施設では入居者の状況によって、通常(普通)、一口、刻み、極刻み、などに分けて食事を準備するが、最初の老健も、その後の有料老人ホームも、その作り方は、調理師か先輩のパートによる、よくいえばOJTだが、口頭と実地を交えた指導。
黄ばんでところどころ破けた紙のマニュアルもどきがあったりもするが、ほとんど、そんな物は無視。
だから、人によって、内容が違うこともある。
Aさんは、自動車の部品メーカーだったから、基本はマニュアルに従っての仕事だった。
もし、改善するように提言したら、どうなるか。
Aさんのように、よそから参入した人が仕事のやり方に口出しすることは難しい。
「女性の上司に意見を言ったら、一年間口をきいてもらえなかったとか、そういう話は聞きますね。この業界は女性が仕切っているので」
介護や保育といった労働は、女性中心社会。
男性社会が、マニュアルなど合理性を追求するのに対し、ケア労働は人の機微に寄り添う感情的な世界。
それぞれにメリット、デメリットがあるが、カルチャーの違いがお互いの理解を阻むこともある。
「この仕事は離職率が非常に高いと感じます。ただ、私のように福祉系の資格を一切持っていない、経験のない人間でも雇ってもらえたので、そこはありがたいですよ」
Aさんは、借金返済のため、75歳までフルタイムで働く必要があるようだが、もし、途中で体がきかなくなったら、自宅や土地を処分するしかない、と言う。
国のローンは、日本政策金融公庫にお願いして利息だけにしてもらっているらしい。
また、30歳の長男も、いまだに奨学金の返済を続けている。
親子の借金は、2000万円ほどになるらしいが、Aさんは、後悔していないと言う。
もし、長男が公立中学校に通っていたら、違う人生になっていただろう、と考えている。
著者は、こう書いている。
教育費は、将来への投資だ。どこまでお金をかけるかは、家庭の価値観によって異なる。しかし今、教育費は勝負に勝つまで金を投じる「課金ゲーム」「ギャンブル」だと指摘される側面もある。
「いい教育を受けさせたい」という親の切なる願いが、ビジネスのターゲットになっている現実を、冷静に見極める必要があるだろう。この課金ゲームが「無理ゲー」になることもあるのだから。
Aさんのことで思い浮かべるのは、私が老健で調理補助のアルバイトをしていた時の先輩Hさんのことだ。
五十を過ぎたばかりと思われる女性で、もっともベテランで仕事が出来、私にも親切に指導をしてくれた方。
一緒に昼食をとっている時の会話で、ご長女が専門学校を翌年卒業するということで、卒業旅行に海外に行って いるとおっしゃっていた。
高校在学中のご長男もいるので、まだまだ働かなきゃ、とのことだった。
教育ローンもあるし、ともおっしゃっていた。
旦那さんのことはお聞きしたことはないので、H家の経済状況などは、もちろん分からない。
しかし、お子さんが自立しても、もし、ローンの返済が残っていれば、彼女もシニア労働者になりうる。
その老健のことで少し。
求人サイトのメールをまだ受けているので知ったのだが、その老健は、私がバイトしていた時の給食業者から今年の5月に別な会社に代わった。
新たな業者は、事前に新規オープンと謳って、調理師、栄養士、調理補助の求人をしていた。
私は、お世話になった調理師の店長Cさんにショートメールでそのことを確認した。
すると、Cさんからわざわざスマホに電話をしいただいた。
Cさんの会社が、業績の良くない受託先のいくつかから撤退し、他のより利益を期待できる受託先に切り替えるため、その老健からは撤退とのこと。
Cさんは、かつて仕事をしていた病院に異動するとのこと。
Hさんは、引き続き新たな業者の元で同じ老健に残るとのこと。
そりゃあそうだろう、新たな調理師、栄養士に教える立場になるのがHさんなのだから。
今年5月を過ぎても、新たな業者による、調理師、栄養士、調理補助の求人が続いていた。
「なかなか、集まらないみたいだなぁ」と思っていたら、つい最近、求人のメールを見て驚いた。
来年2月には、また別な業者に代わるようで、新規オープン、として求人をしている。
今、特養、老健、有料老人ホームなどの介護施設自体も急増して競争しているし、その施設が委託する給食業者も、入れ替わりが激しくなっている。
また、訪問介護の基本報酬が下がり、業者の倒産や撤退が増えている。
儲かっている住宅型有料老人ホームの入居者への訪問診療まで含めて計算していることが、報酬削減につながっている。まったく、馬鹿げた話だ。
介護施設は訪問介護業者を中心に倒産も増えている。
しかし、新規参入も多く、実に厳しい状況になっている。
介護施設などの検索サイト「介護の三ツ星コンシェルジュ」から引用する。
「介護の三ツ星コンシェルジュ」サイトの該当ページ
倒産・廃業の増加、その裏で進む新規参入
2024年度の介護事業者倒産は179件と過去最多を記録し、特に訪問介護が86件、通所・短期入所が55件、有料老人ホームが17件と、いずれも高水準です。
背景には、報酬改定だけでなく、利用者獲得競争の激化、人手不足、物価高騰といった複合的要因があります。
一方で、厚労省の介護給付実績によれば、訪問介護の請求事業所数はむしろ増加しています。これは、住宅型有料老人ホームの新設に伴い、併設型の訪問介護事業所が次々と開業しているためです。
つまり、「事業者数が減っている」わけではなく、競争がますます激化しているのが実態です。
介護施設の競争は、委託する給食業者の競争にもつながっている。
Hさんが引き続き勤めているのかどうかは、分からない。
まあ、彼女ならどこでも活躍できるだろう。
次回は、ひきこもりの子どもを抱えるBさんについて。
