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田部隆次著『小泉八雲』(中公文庫)より(9)


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田部隆次著『小泉八雲』(中公文庫)
 
 田部隆次著『小泉八雲』(副題「ラフカディオ・ヘルン」)の九回目。

 初版は1980年に北星堂書店から刊行され、今年3月に中公文庫で再刊。
 とはいえ、本書の「序」で著者は、この伝記の第一版は、大正三年四月、早大出版部から出た、と記している。

<目次>
□序
□故小泉八雲の著作につきて  坪内逍遥 ※「つきて」は原文のママ
□序  西田幾多郎
□小泉八雲先生を懐ふ  内ケ崎作三郎
□1 ギリシャからアイルランドへ
□2 大叔母のてもと
□3 学校生活
□4 シンシナティ
□5 ニューオーリンズ
□6 西印度、フィラデルフィア、ニューヨーク
□7 横浜から松江
□8 熊本
□9 神戸
□10 東京 その一
□11 東京 その二
□12 思い出の記  小泉節子(セツ)
□13 交際と交友
□14 人、思想、芸術
□15 ヘルンの通った道
□16 著書について
□17 余禄
□18 年譜(生涯、著作遺稿等)
□小泉八雲ー名の無き庶民の心を語り継ぐ  池田雅之
□索引

 引き続き「思い出の記  小泉節子(セツ)」から。

 引用。

 怪談は大層好きでありまして、「怪談の書物は私の宝です」と言っていました。私は古本屋をそれからそれへと大分探しました。
 淋しそうな夜、ランプの心を下げて怪談を致しました。ヘルンは私に物を聞くにも、その時には殊に声を低くして息を殺して恐ろしそうにして、私の話を聞いているのです。その聞いている風がまた如何にも恐ろしくてならぬ様子ですから、自然と私の話にも力がこもるのです。その頃は私の家は化物屋敷のようでした。私は折々、恐ろしい夢を見てうなされ始めました。この事を話しますと「それでは当分休みましょう」と言って、休みました。気に入った話があると、その喜びは一方ではございませんでした。

 セツが古本屋を探し回って集めた怪談話の書物の一部が、富山大学図書館の「ヘルン文庫」に収められている。

 なぜ、八雲が訪ねたことのない富山にあるのか、富山大学サイトから引用。
「富山大学」サイトの該当ページ
旧制富山高等学校の設立準備の折、その創設に私財を投じた馬場はる氏に寄付を仰ぎ、購入が実現したことから、1924年に馬場家から旧制富山高等学校に寄贈され、ヘルン文庫となり、富山大学に受け継がれました。「ヘルン文庫」の呼称は、ラフカディオ・ハーンが最初に英語教師として赴任した松江中学校(島根県)で「ヘルン先生」と呼ばれ、妻のセツからも「ヘルンさん」と呼ばれていたことに由来します。

 サイトで案内されているが、「小泉八雲旧蔵書ヘルン文庫の特別公開・展示」が12月22日(月)まで開催されている。

 いったい、どんな蔵書があるのか、図書館のサイトから、画像を含め引用。
「富山大学附属図書館」サイトの該当ページ

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ヘルン文庫は、ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn, 1850~1904 :日本に帰化して小泉八雲と称した。)の旧蔵書で、洋書2,069冊、和漢書364冊及び「日本:一つの解明」(「神國日本」)の手書き原稿上下2冊1,200枚からなっています。
洋書のうち1,350冊が英語、719冊がフランス語の書物であり、これらの大部分はハーンが日本へ来てから集めたもののようですが、中には彼がアメリカのシンシナティやニューオリンズ滞在中、貧しい記者生活のなかから買い求めたと思われるものもあります。
和漢書はセツ夫人の説明を通して、ハーンの文学的創作の資料となったものであって、大半は木版刷りの和本です。このほか、南日文庫267冊及びハーンに関する研究文献約2,600点も所蔵しています。
ヘルン関係文献は貸出することが可能です。また、ヘルン文庫を定期公開しています。市民ボランティアの方によるガイドも行っていますので、お気軽にお越しください。

 「和漢書」が、なんと364冊。

 セツが「それからそれへと」古本屋を探した成果である。

 「ばけばけ」効果で、松江や焼津の八雲記念館への来場者が増えているようだが、富山でもきっと盛況なのだろう。


 昨夜のNHK総合「歴史探偵」では、「ばけばけ」の八雲(ヘブン)とセツ(トキ)役の二人をゲストに迎え、八雲やセツ夫婦のことや、怪談成立の背景などが描かれた。

 「怪談」に収められた「耳なし芳一」のことも再現ドラマを含め紹介されていた。

 「思い出の記」にも、この話のことが記されている。

 『怪談』の初めにある芳一の話は大層ヘルンの気に入った話でございます。なかなか苦心致しまして、もとは短い物であったのをあんなに致しました。「門を開け」と武士が呼ぶところでも「門を開け」では強味がないと言うので、いろいろ考えて「開門」と致しました。この「耳なし芳一」を書いています時の事でした。日が暮れてもランプをつけていません。私はふすまを開けないで次の間から、小さい声で、芳一芳一と呼んで見ました。
「はい、私は盲目です。あなたはどなたでございますか」と内から言って、それで黙っているのでございます。いつもこんな調子で、何か書いている時には、その事ばかりに夢中になっていました。又この時分私は外出したおみやげに、盲法師の琵琶を弾じている博多人形を買って帰りまして、そっと知らぬ顔で、机の上に置きますと、ヘルンはそれを見るとすぐ「やあ。芳一」と言って、待っている人にでも遭ったという風で大喜びでございました。それから書斎の竹藪で、夜、笹の葉ずれがサラサラと致しますと「あれ、平家が亡びて行きます」とか、風の音を聞いて「壇の浦の波の音です」と真面目に耳をすましていました。

 『怪談』は、八雲とセツの共作と言ってよいと思う。

 その『怪談』は、明治三十七年(1904)に出版された。

 同じ年の、九月二十六日。

 夕食をたべました時には常よりも気嫌がよく、冗談など言いながら大笑など致していました。「パパ、グッドパパ」「スウィト・チキン」と申し合って、子供等と別れていつものように書斎の廊下を散歩していましたが、小一時間程して私の側に淋しそうな顔して参りまして、小さい声で「ママさん、先日の病気また参りました」と申しました。私は一緒に参りました。暫くの間、胸に手をあてて、室内を歩いていましたが、そっと寝床に休むように勧めまして、静かにならせました。間もなく、もうこの世の人ではありませんでした。少しも苦痛のないように、口のほとり少し笑を含んでおりました。天命ならば致し方もありませんが、少しく長く看病をしたりして、いよいよ駄目とあきらめのつくまで、いてほしかったと思います。余りにあっけない死に方だと今も思われます。

 五十四歳での旅立ちは、たしかに長いとは言えないだろう。

 しかし、ギリシャに生れ、幼くして両親が離婚。大叔母に養われていたアイルランド時代。その頼みの人が破産して後のアメリカへの渡航。ニューオーリンズでの10年を経てカリブ海の島へ。そして、日本。

 なんとも波乱万丈と言える、濃密な人生だったと思う。

 「思い出の記」のご紹介は、今回でお開きとしたい。

 なお、本書の記事は少し休み、別な本を紹介するつもり。

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by kogotokoubei | 2025-12-04 12:57 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛