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田部隆次著『小泉八雲』(中公文庫)より(8)


 NHK「べらぼう」では、冬の松江の寒さで八雲が風邪をひいてしまっている。

 来日前に訪ねていたカリブ海の島、仏領マルティニークの暖かさを思い出していた八雲。

 Wikipedia「マルティニーク」から、地図を拝借。
Wikipedia「マルティニーク」

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 コロンブスが「世界で最も美しい場所」と称賛したマルティニーク島。
 島名の語源は、島に住んでいたカリブ人の言葉で「マディニーナ(花の島)」、または「マティニーノ(女の島)」である。

 この島でのことは、後日、この本からご紹介するつもり。

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田部隆次著『小泉八雲』(中公文庫)
 
 田部隆次著『小泉八雲』(副題「ラフカディオ・ヘルン」)の八回目。

 初版は1980年に北星堂書店から刊行され、今年3月に中公文庫で再刊。
 とはいえ、本書の「序」で著者は、この伝記の第一版は、大正三年四月、早大出版部から出た、と記している。

<目次>
□序
□故小泉八雲の著作につきて  坪内逍遥 ※「つきて」は原文のママ
□序  西田幾多郎
□小泉八雲先生を懐ふ  内ケ崎作三郎
□1 ギリシャからアイルランドへ
□2 大叔母のてもと
□3 学校生活
□4 シンシナティ
□5 ニューオーリンズ
□6 西印度、フィラデルフィア、ニューヨーク
□7 横浜から松江
□8 熊本
□9 神戸
□10 東京 その一
□11 東京 その二
□12 思い出の記  小泉節子(セツ)
□13 交際と交友
□14 人、思想、芸術
□15 ヘルンの通った道
□16 著書について
□17 余禄
□18 年譜(生涯、著作遺稿等)
□小泉八雲ー名の無き庶民の心を語り継ぐ  池田雅之
□索引

 引き続き「思い出の記  小泉節子(セツ)」から。

 引用する。

 ヘルンの好きな物をくりかえして列べて申しますと、西、夕焼、夏、海、遊泳、芭蕉、杉、淋しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱などでございました。場所では、マルティニークと松江、美保の関、日御碕、それから焼津、食物や嗜好品ではビフテキとプラムプディングと煙草、嫌いな物は、うそつき、弱いものいじめ、フロックコートやワイシャツ、その外いろいろとありました。まず書斎で浴衣を着て、静かに蝉の声を聞いている事などは、楽しみの一つでございました。

 日御碕(ひのみさき)は、出雲大社近く、島根半島にあり、日本海の絶景をが有名。

 海が好きな八雲は、その海を見ながらカリブのマルティニークのことを思い出していたのかもしれない。
 セツは、この後に、亡くなる少し前の八雲のことを記している。

 三十七年九月十九日の午後三時頃、私が書斎に参りますと、胸に手をあてて静かにあちこち歩いていますから「あなたお悪いのですか」と尋ねますと「私、新しい病気を得ました」と申しました。「新しい病、どんなですか」と尋ねますと「心の病です」と申しました。私は「余りに心痛めましたからでしょう。安らかにしていて下さい」と慰めまして、すぐに、かねてかかっていました木沢(敏)さんのところまで、二人曳の車で迎えにやりました。ヘルンは常々自分の苦しむところを、私や子供に見せたくないと思ういましたから、私に心配に及ばぬからあちらに行っているようにと申しました。しかし私は心配ですから側にいますと、机のところに参りまして何か書き始めます。私は静かに気を落ちつけているように勧めました。ヘルンはただ「私の思うようにさせて下さい」と申しまして、すぐに書き終りました。「これは梅(謙次郎博士)さんにあてた手紙です。何か困難な事件の起った時に、よき智恵をあなたに貸しましょう。この痛みも、もう大きいの、参りますならば、多分私、死にましょう。そのあとで、私死にますとも、泣く、決していけません。小さい瓶買いましょう。三銭あるいは四銭位のです。私の骨入れるために。そして田舎の淋しい小寺に埋めて下さい。悲しむ、私喜ぶないです。あなた、子供とカルタして遊んで下さい。如何に私それを喜ぶ、私死にましたの知らせ、要りません。もし人が尋ねましたならば、はああれは先頃なくなりました。それでよいです」
 私は「そのような哀れな話して下さるな、そのような事決してないです」と申しますと、ヘルンは「これは冗談でないです。心からの話、真面目の事です」と力をこめて、申しまして、それから「仕方がない」と安心したように申しまして、静かにしていました。
 ところが数分たちまして痛みが消えました。「私は行水をして見たい」と申しました。冷水でとの事で湯殿に参りまして水行水を致しました。

 亡くなる一週間前のことだ。

 
 梅謙次郎は、八雲の十歳年下で、松江の藩医の子をして生まれ、「現代民法の父」と称される法学者。

 東京外国語学校(現東京外国語大学)仏語科を首席卒業後、司法省法学校でフランス法を学び、入学当初から首席。
 文部省の国費留学生としてフランス留学を命じられ、飛び級でリヨン大学の博士(Doctorat)課程に進学。首席で博士号を取得。博士論文『和解論』は現地でも高く評価され、リヨン市からヴェルメイユ賞碑を受け公費で出版された。ドイツのベルリンにも留学し、明治二十三年(1890)、八雲が来日した年に帰国すると、伊藤博文にブレーンとして重用された。
 帝国大学法科大学(現東大法学部)教授の職務に専念するため、私学には出講しないつもりであったが、周囲からの懇願があり、和仏法律学校の学監兼務を承諾した。以後20年間に渡り、学監、校長、初代総理として法政大学の設立、発展に大きく貢献した。

 梅の妻・兼子が、小泉八雲の妻・セツの縁戚(兼子の母方叔父の妻と従姉妹同士)であることから、1903年に東大が八雲を解雇した際(後任は夏目漱石)、梅は八雲の相談相手となり、翌1904年9月に八雲が死去した際には葬儀委員長も務めている。
Wikipedia「梅謙次郎」

 八雲も梅も、松江市名誉市民である。

 あらためて、亡くなる一週間前に八雲がセツに語った言葉に、この人物のなんと清々しいことか、と思う。

 次回、「思い出の記」の最終回の予定。

 
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by kogotokoubei | 2025-12-03 12:57 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛
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