田部隆次著『小泉八雲』(中公文庫)より(7)
2025年 12月 02日

田部隆次著『小泉八雲』(中公文庫)
田部隆次著『小泉八雲』(副題「ラフカディオ・ヘルン」)の七回目。
初版は1980年に北星堂書店から刊行され、今年3月に中公文庫で再刊。
とはいえ、本書の「序」で著者は、この伝記の第一版は、大正三年四月、早大出版部から出た、と記している。
<目次>
□序
□故小泉八雲の著作につきて 坪内逍遥 ※「つきて」は原文のママ
□序 西田幾多郎
□小泉八雲先生を懐ふ 内ケ崎作三郎
□1 ギリシャからアイルランドへ
□2 大叔母のてもと
□3 学校生活
□4 シンシナティ
□5 ニューオーリンズ
□6 西印度、フィラデルフィア、ニューヨーク
□7 横浜から松江
□8 熊本
□9 神戸
□10 東京 その一
□11 東京 その二
□12 思い出の記 小泉節子(セツ)
□13 交際と交友
□14 人、思想、芸術
□15 ヘルンの通った道
□16 著書について
□17 余禄
□18 年譜(生涯、著作遺稿等)
□小泉八雲ー名の無き庶民の心を語り継ぐ 池田雅之
□索引
引き続き、小泉節子(セツ)の「思い出の記」をご紹介したい。
前回は、八雲は煙管で煙草を吸うのが好きだったことや、猫のことを紹介した。
残念ながら「ばけばけ」には、どちらも(今のところ)登場していない。
八雲の松江での生活は、実際は一年三ヵ月ほど。
「思い出の記」は、松江以降のこともいろいろと記されている。
とはいえ、八雲の好みや性格などは、松江時代から変わっていないと察する。
引用する。
食物には好き嫌いはございませんでした。日本食では漬物でも、刺身でも何でも頂きました。お菜から食べました。最後に御飯を一杯だけ頂きました。洋食ではプラムプディングと大きなビフテキが好きでございました。外には好きなものと言えばまず煙草でした。
う~ん、やはり八雲が煙管をくわえる場面が、「ばけばけ」に欲しかった。
八雲は、日本人以上に(?)、西洋嫌い、日本大好きな人だった。
『読売新聞』であったかと存じます。ある華族様の御隠居で、昔風がお好きで西洋風の大嫌いな方の話がありました。女中も帯は立て矢の字、髪は椎茸たぼの御殿風でございました。着物も裾長にぞろぞろ引きずって歩くのです。ランプも一切つけませんで源氏行燈です。シャボンも嫌い、新聞も西洋くさいというので、西洋くさい物は奉公人の末に至るまで使わせないのだそうです。こんな風ですから奉公人も厭がって参りません。「あのお屋敷なら真平(まっぴら)御免です」と申します事が記してございました。この話を致しますと、ヘルンは「如何に面白い」と言って大喜びでした。「しかし私大層好きです。そのような人、私の一番の友達、私見る好きです。その家、私是非見る好きです。私西洋くさくないです」と言って大満足です。「あなた西洋くさくないでしょう。しかし、あなたの鼻」などと冗談申しますと「あ、どうしよう、私のこの鼻、しかしよく思うて下さい。私この小泉八雲、日本人よりも本当の日本を愛するです」などと申しました。
ハイカラなこと、西洋風を嫌った八雲は、シルクハット、燕尾服、フロックコートなども大嫌いだったが、神戸から東京に行く際、セツに頼まれ、初めてフロックコートを作ったらしい。
「大学の先生になったのですからフロックコートを一着持っておらねばなりません」と申しますと「ノウ、外山さんに私申しました。礼服を私大層嫌います。礼服で出るようなところへ私出ませんが、宜しいですかと言いました、それで宜しいですと外山さんが約束しましたのですから、フロックコートいけません」と言うのです。しかし、ようやく一着フロックコートを作りましたが、それを着つけましたのは、僅か四、五度位でした。
外山さん、とは八雲を東京帝国大学の英文学講師に招聘した外山正一。
外山正一は八雲の二歳年上。
家禄二百二十石の旗本の子として、小石川で生まれた。
勝海舟の推挙により慶応二年(1866)、幕府派遣留学生として渡英。幕府瓦解により明治元年(1868)帰国し、主家徳川氏駿府移封に従い静岡学問所教授を務めていたが、抜群の語学力を新政府に認められ、明治三年(1870)、外務省弁務少記に任ぜられ、森有礼少弁務使の秘書として、南北戦争後の復興期アメリカへ赴任した。帰国後は官立東京開成学校教授に就任。明治十年(1877)、同校が東京大学(後の東京帝国大学)に改編されると日本人初の教授となった。ミシガン大学で進化論の公開講義を受けた縁で、エドワード・S・モースを東京大学に招聘したのも外山である。
Wikipedia「外山正一」
さて、ともかく西洋くさいものが大嫌いな八雲だった。
茶目っ気のあるセツは、こんな思い出を記している。
ある時、冗談に「あなた日本の事を大変よく書きましたから、天子様、あなた賞めるためお呼びです。天子様に参る時、あのシルクハット、フロックコートですよ」と申しますと「それでは真平御免」と申しました。あの真平御免という言葉は前の西洋嫌いの華族の隠居様の話で覚えたのです。マッピラという音が面白いと言うので、しきりに真平という事を申しました。
なかなか楽しそうな夫婦の会話ではないか。
「ばけばけ」では、今のところ「地獄」が八雲の口癖として登場しているが、ドラマの終盤には、「真平御免」の出番があるかもしれない。
今さらながら小泉八雲のことを知るにつれ、いろんなことを思う。
たとえば、宮中晩餐会の料理は、なぜ、いまだにフランス料理なのか・・・・・・。
西洋に追いつけ追い越せの鹿鳴館の時代を、いまだに続けている気がする。
世界に名だたる日本食を提供してこその、お・も・て・な・し、ではないだろうか。
なんてね。
