池田雅之著『小泉八雲』より(16)
2025年 11月 08日

池田雅之著『小泉八雲』(平凡社新書)
池田雅之著『小泉八雲』(副題「今、日本人に伝えたいこと」)の最終十六回目。
本書は、8月7日に平凡社新書で初版。
著者は、八雲(ラフカディオ・ヘルン)の『新編 日本の面影』や『新編 日本の怪談』などの訳者として知られる。
<目次>
□はじめにー共生きのいのちを生きる
□第一章 甦る八雲の現代日本への警告
□第二章 八雲と漱石の異文化体験から学ぶ
□第三章 欧米人は八雲をどう見てきたか
□第四章 八雲の人生と文学の素地をたどる
□あとがきー日本を取り戻す
□主要参考文献一覧
□小泉八雲略年譜
「第四章 八雲の人生と文学の素地をたどる」の「第五節 『怪談』は妻セツの助力で生まれた」から。
では、『怪談』誕生の背景について。
セツの『思い出の記』は、八雲とセツとの仲むつまじい夫婦関係を知るだけではなく、八雲の最高傑作といわれている『怪談』誕生の秘話を知るうえで、きわめて貴重な作品といえます。『思い出の記』は、八雲の没後、セツが、八雲の信頼していた友人、三成重敬(みなりしげゆき)に請われるまま語ったものですが、三成が速記し、編集し直したものです。三成の編集ぶりも見事だと思いますが、何よりもセツの語りてとしてのすばらしさを、身おとすわけにはいきません。
セツの『思い出の記』には、八雲とセツの『怪談』完成の秘話といってよい創作現場の生なましさが語られています。その一節を引用してみます。
(八雲は)怪談は大層好きでありまして、「怪談の書物は私の宝です」と
言っていました。私は古本屋をそれからそれへと大分探しました。(中略)
私が昔話をヘルンに致します時には、いつも始めにその話の筋を大体申し
ます。面白いとなると、その筋を書いて置きます。それから委(くわ)しく
話せと申します。それから幾度となく話させます。
私が本を見ながら話しますと「本を見る、いけません。ただあなたの話、
あなたの言葉、あなたの考えでなければ、いけません」と申します故、自分
の物にしてしまっていなければなりませんから、夢にまで見るようになって
参りました。
このセツの語りからは、『怪談』は助手という立場を超えて、八雲とセツの共同作業によって誕生したことがはっきりとうかがい知ることができます。
『怪談』の作者として、八雲の名とともにセツの名を記しても不思議はないが、そう八雲が申し出ても、セツは断固として拒否したに違いない。
もう一つ、逸することのできない八雲とセツの心あたたまるエピソードを取り上げ、結びたいと思います。東京時代の出来事だと思いますが、セツが八雲から万葉(集)についての質問を受けたことがありました。セツはうまく答えられず、「程度の髙い女学校を卒業しなかった事、および、自由に英語を話す事のできないのを残念に思う」と答え、自分の浅学を八雲に詫びたことがありました。
すると、八雲は即座に自分の著作を示し、「これだけの書物は誰の骨折でできましたか」と問い返したといいます。セツのこれまでの労をねぎらう言葉でした。
このやり取りは、二人の互いの思いやりの気持ちをよく表しており、とても感動的です。
武士階級の生まれながら没落し、一転して一庶民の身分となったセツの庶民性こそが、八雲にとって必要だった、ということだろう。
八雲な自分の文学世界は、八百屋、飴屋、僧侶、神主、占師、巡礼、農夫、漁師たちの世界である、とセツに語っていた。
そして、自分の文学世界は、インテリや大学講師たちが住む世界ではない、と主張していた。
本書の「あとがき」で、著者はこう書いている。
執筆を終えて、今後の小泉八雲の日本と世界で果たす役割が、新たに見ててきた気がします。私は文化的保守主義者である八雲の存在を、一周遅れのトップランナーとたとえていますが、今まさに彼が夢想していた日本文化の底力を発揮する時代が到来しているのではないか、と思っています。
この後、エマニュエル・トッドの『西洋の敗北』にふれ、八雲という存在の今日的な文明史的意味が理解できる、それは、欧米流の民主主義や自由、リベラリズムの限界と破綻が見えていると同書で記されているからだ、と書いている。
同感だ。
八雲は、あくまで、庶民の心や魂を語り継いできた。
それは、決して、「世界の真ん中」で咲き誇る、などという考えとは、真逆の視点であり思想だ。
アイルランド人とギリシャ人の混血として生まれ、ヨーロッパ、アメリカ、そして西インド諸島を経て日本に辿ろ着いた、ある意味、漂浪の人である小泉八雲。、
彼は、都会の喧騒を嫌い、自然と、そして霊的なものと共存する庶民たちを愛してきたこと、真ん中を避けてきたことを、現代人は忘れてはならないと思う。
ということで、このシリーズはお開きとして、別な八雲の本にとりかかる予定である。
