小泉八雲の名前について。
2025年 11月 04日
池田雅之著『小泉八雲』の記事が、12回目でとどまっているのだが、あの本を読んだ後、小泉八雲の直弟子だった田部隆次著『小泉八雲』も読んでいた。

田部隆次著『小泉八雲』(中公文庫)
初版は1980年に北星堂書店から刊行され、今年3月に中公文庫で再刊。
とはいえ、本書の「序」で著者は、この伝記の第一版は、大正三年四月、早大出版部から出た、と記している。
副題は「ラフカディオ・ヘルン」。
ラフカディオ・ハーン、ではない。
目次の画像だが、小泉節子(セツ)さんの『思い出の記』も収録されている。

本書によると、小泉八雲の本名は、次のように長い。
Patricio Lafcadio Tessima Carlos Hearn
「ばけばけ」では、レフカダ・ヘブン、という名になっている。
その背景について、第一章からほんの一部引用。
ヘルンは1850年(嘉永三年ペリー来朝に先立つ三年)六月二十七日、ギリシャの西北イオニア列島のうちのSanta Maura(サンタ・マウラ)古えのLeuadia(リュカディア)近世ギリシャ人が普通に言うLefcada(レフカダ)又はLeukas(リュカス)に生れた。
ということで、「ばけばけ」のレフカダは、生まれた土地の名から取っている。
そして、「ばけばけ」のヘブンの元となったもう一つの名前について、「序」から。
ラフカディオ・ヘルンという読み方はもと文部省か島根県の役人の始めたものであろうが、先生はこれを採用して平がな、万葉がなで多くの印章をつくったりしている。夫人もいつもヘルンと呼んでいた。夫人の話によれば、ハーンと書くあの中の棒が嫌いであったということである。松江時代、熊本時代の教え子たちはヘルン先生のことをハーンと呼ばれては別人のようで感じが出ないという程だから、私もそれにならってヘルンと呼ぶことにしている。
ということで、そろそろ、ラフカディオ・ハーンとしている小泉八雲の出版物も、適宜、ヘルンと改訂してはどうか、なんて思っている。
この本については、池田雅之著『小泉八雲』から、あと数回記事を書いた後で紹介するつもりでいる。
ちょっとした予告がわりに、名前のことをご紹介した次第。
