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河合敦著『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新書)より(41)


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河合敦著『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新書)

 河合敦著『蔦屋重三郎と吉原』の四十一回目。

 同書は朝日新書から、昨年12月30日初版。
 副題は「蔦重と不屈の男たち、そして吉原遊廓の真実」である。

 <目次>
□はじめに
□Ⅰ 蔦重の原点は吉原にあり
□Ⅱ 田沼失脚と寛政の改革、そして蔦重の反骨
□Ⅲ 歌麿・写楽・北斎らを次々に世に送り出す
□Ⅳ 蔦重プロデュースの絵師・作家列伝
□おわりに

 いつものように、杉浦日向子さんの『江戸へようこそ』の巻末の表を参考のため拝借。
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杉浦日向子『江戸へようこそ』

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 鳥山検校が瀬川を身請けしたのが安永四年(1775)、借金まみれになった旗本の森忠右衛門が逐電したことを発端として、鳥山他の検校が就縛されたのが安永七年(1778)のこと。
 翌安永八年(1779)、鳥山も京都の惣録の下に身柄を移され、7人の検校の中では最も重い武蔵・山城・摂津・遠江より追放の上、解官・不座となった。
 平賀源内が亡くなったのは、安永八年。
 “天明の浅間焼け”と言われる浅間山の大噴火があったのが天明三年(1783)。
 重三郎が日本橋通油町に耕書堂を開店したのも、天明三年。
 田沼意次の息子意知が城中で佐藤政言に斬られたのが天明四年(1784)。
 十代将軍家治が亡くなり、田沼意次が老中の職を辞すのが天明六年(1786)。
 恋川春町が亡くなったのが、寛政元年(1789)の七月七日。
 滝沢馬琴が山東京伝を訪ねたのが寛政二年(1790)。
 松平定信を怒らせて山東京伝が手鎖五十日、蔦重が財産の半分を没収されたのが、寛政三年(1791)。
 松平定信が、「尊号一件」によって徳川家斉に怒りにふれ老中を罷免されたのが、寛政五年(1793)。
 

 引き続き、「第三章 歌麿・写楽・北斎らを次々に世に送り出す」から。

 鳥山石燕に指導を受けた少年時代の歌麿(石要)は、北川豊章と名を改め、洒落本の挿絵や芝居上演中のブロマイドのような細判の役者絵などを描くようになった。

 その後。

 安永八年頃になると、西村屋与八が刊行する黄表紙に挿絵を描くようになった。西村屋与八が刊行する黄表紙に挿絵を描くようになった。西村屋は大手の版元だったので、歌麿も嬉しかったに違いない。けれど、与八が最もお気に入りだった絵師は、歌麿と同世代の鳥居清長だった。その頃の両者の仕事量を比較しても、清長は歌麿の倍以上の浮世絵を描いている。与八の鑑識眼は確かで、その後、清長は役者絵、さらに八頭身の美人画を描いて浮世絵界の寵児となっていった。
 清長の人気が上がっていくと、西村屋から刊行される黄表紙から歌麿の挿絵は減っていった。これについて研究者の松木寛氏は、「人一倍自意識の強い歌麿にとって、このような西村屋の処遇は決して心地よいものではなかったのだろう。彼は間もなく西村屋から去っていく」(『蔦屋重三郎ー江戸芸術の演出者ー』)と推論している。
 こうして歌麿が次に足を向けたのが、蔦屋重三郎の耕書堂だった。

 歌麿の耕書堂での初仕事は、安永十年(1781)で、志水燕十の滑稽本『身貌大通神略縁起(みなりだいつうじんりゃくえんぎ)』の挿絵だった。

 燕十は、耕書堂の専属作家で、彼は御家人だったが、鳥山石燕に弟子入りして絵を学んだ。
 彼は狂歌も作れば戯作も手がけた。
 しかし、松本寛の前掲書には「他事より罪を蒙りて、終る処をしらずなり」と記されており、何か事件に巻き込まれて、みじめな晩年を過ごしたらしい。

 その後歌麿は、燕十の親友・唐来参和とも耕書堂でたびたび仕事をするようになった。
 ちなみに唐来参和は、重三郎の狂歌仲間(同じ吉原連所属)の一人である。
 馬琴(『近世物之本江戸作者部類』)によると、参和は武士から町人となった変わり種であった。もともと高家(こうけ)の某の家臣だったが事情があって町人に転身、本所松井町にある茶屋(娼家)「和泉屋」の婿養子となり和泉屋源蔵と称した。好人物なので、人々は商売がうまくいくか危惧したというが、晩年は離縁されて落魄(らくはく)したと伝えられる。

 あの時代、武家に生まれながら、その存在意義に疑問を感じて自分の好きな道を歩んだ人物が、結構多い。

 さて、今夜の「べらぼう」は、歌麿が西村屋の依頼を拒み、蔦重への恩義を大事にした場面が描かれた。
 とはいえ、まだ、不穏な予告編。

 また、すでにご紹介した、尊号一件のことも始まった。

 次回も、同じ章から。


 今日は、カミさんが長岡の義母の施設を訪ねたので、ユウと留守番。

 日曜恒例のテニスは、休んだ。

 ということで、ワールドシリーズを楽しめた。

 なんとも劇的なフィナーレだった。

 その勝因、敗因をど素人が指摘するのは、なんとも野暮。

 とはいっても、あの延長十八回の後の第四戦、若いブルージェイズの強さ、そして、昨夜のキケ・ヘルナンデスとミゲール・ロハスのダブルプレーの技について書いてきたので、あえて、書こう。

 NHKの解説の田口さんが控えめに(?)指摘していたが、第六戦の終わり方は、流れを変えたと思う。

 つまり、若さに対抗する、百戦錬磨のベテランの技が、この結果を生んだように思う。

 とは言っても、どっちに転んでも不思議のないシリーズだった。

 私は、ゲレーロ・ジュニアのあの悔し涙が、実に美しいと思う。

 トロント・ブルージェイズは、実に良いチームで、私は好きになった。

 ブルージェイズ、この悔しさを糧にして、来年を目指して欲しい。


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by kogotokoubei | 2025-11-02 20:57 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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