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江戸歌舞伎と上方歌舞伎のことなど。


 先日のテニスで、仲間と映画「国宝」の話題で盛り上がった。

 会話の中で、「あれって大阪の歌舞伎だよね? 東京とどう違うの?」という発言があった。

 近松門左衛門や中村鴈治郎などのことを話したが、十分な説明ができたかは怪しい。


 もっと、お勉強しなきゃ。


 「Discover Japan」サイトの「よくわかる!歌舞伎の基礎知識Q&A」から。

「Dscover Japan」サイトの該当ページ

Q.江戸歌舞伎と上方歌舞伎の違いって?
A.江戸はヒーロー物、上方は恋愛物です


 江戸歌舞伎の大スターは「荒事」と呼ばれる勇壮な作品を得意とする市川團十郎。一方、上方歌舞伎の大スターは「和事」と呼ばれる細やかな情愛を描く作品を得意とする坂田籐十郎と、人気俳優もそれぞれ土地の好みを反映している。

 人口の男女比率で圧倒的に男性が多い江戸では、マーケティング上、男性の好みが優先されるため、命がけで闘う豪傑が八面六臂の活躍をするヒーロー物、男が憧れる男の物語が大人気。一方商人が多い上方では、そういう殺伐とした物語よりも庶民生活に密着した物語、町人が主人公の恋愛物が当たる。そこで描かれるのは、愛に生き恋に死ぬ男なのだ。


 Wikipediaの「上方歌舞伎」からも。

江戸歌舞伎と上方歌舞
 上方歌舞伎は江戸歌舞伎とともに歌舞伎の両輪をなし、江戸歌舞伎が荒事と言う勇壮な芸を作り出したのに対し、和事とよばれる柔らか味のある芸を形成している。廻り舞台やセリ上げなどの舞台機構も上方で生まれるなど18世紀ころは上方歌舞伎の方が進んでいた。丸本物とよばれる人形浄瑠璃の歌舞伎化したものや、石川五右衛門など天下を狙う悪人が大活躍するお家騒動物などの脚本が多い。筋は複雑で喜劇的要素が見られる。全体的に趣向に富むが独創性に乏しく、19世紀後半の並木五瓶以後は、江戸歌舞伎の四代目鶴屋南北や二代目河竹新七(黙阿弥)のような優れた作者は出なかった。このため今日上演される上方系の歌舞伎のうち、丸本物以外の作品は少ない。わずかに金澤龍玉作『渡雁恋玉章』(雁のたより)、近松徳三作『伊勢音頭恋寝刃』(伊勢音頭)、奈川亀輔作『敵討天下茶屋聚』(天下茶屋)あたりが残るくらいである。

 以後上方歌舞伎は歌舞伎界の中心から外れてゆくが、これは文化の中心が上方から江戸へ移り、江戸歌舞伎が発展していくのと符合する。


 「国宝」で重要な演目だった『曽根崎心中』のことも。
Wikipedia「曽根崎心中」

 『曽根崎心中』(そねざきしんじゅう / 旧字曾根崎心中、そねざきしんぢゅう)は、世話物浄瑠璃(江戸時代における現代劇浄瑠璃)。一段。近松門左衛門作。元禄16年(1703年)竹本座初演の人形浄瑠璃・文楽。のちに歌舞伎の演目にもなる。相愛の若い男女の心中の物語である。

 「此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜」で始まる有名な道行の最後の段は「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と結ばれ、お初と徳兵衛が命がけで恋を全うした美しい人間として描かれている。

 同サイトにある、露天神社(つゆのてんじんしゃ)境内のお初徳兵衛のブロンズ像。

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 近松門左衛門-文楽-歌舞伎、という流れが、ある意味で上方歌舞伎の王道なのかと思っていたら、拙ブログの過去の記事で、意外な発見(?)。
2014年6月1日のブログ

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「桂吉坊がきく藝」(ちくま文庫)

 『桂吉坊がきく藝』の中で、文楽(義太夫節)大夫の人間国宝だった七世竹本住大夫が、実は近松ものを好きではなかった、と語っていたのである。

 あらためて引用。

吉坊  文楽では「曽根崎心中」ですとか「俊寛」、「心中天網島」など、近松門左衛門の作品がよく上演されますが、近松とほかの作者との違いはありますか?
住大夫 違います。僕は近松物は嫌いです、はっきり言うて。面白うおまへん。三好松洛やとか、竹田出雲やとか、そんな人のほうが面白いでんなあ。近松物というのは、読ましてもろうたら結構で。文章はきれいし、ようできてます。ところが、その意味を実現するのが非常に難しいのです。普通の浄瑠璃は七五調になってます。近松さんだけは、字余り、字足らずで、普通のように三味線も太夫もやってたら、合うてきまへん。
吉坊  リズムが違うんですね。
住大夫 一字多かったり、少なかったりするのでね。「曽根崎心中」にしても、突っ込んで、盛り上げていこうとすると、近松のにおいが消えますねん。淡々とやっていたらええのですが、それではお客さんがたよりなくなってくるし、それに登場人物が出てくるまでの枕文句が非常に長くて難しく、太夫、三味線の一番神経を使うところなのです。その間お客さんは退屈されるのです。そやから、非常にやりにくいのです。近松に出てくる男が嫌いでね、皆弱々しいて。女のほうがしっかりして皆賢いですなあ。
吉坊  心中物にしろ、どっちかというと女の人が男を引っ張っていってしまうところがありますね。
住大夫 その嫌いな近松物を語って、よく賞をもろうてますけどな(笑)。


 「近松物は嫌いです」とおっしゃるとは思わなかった。
  極めた人だからこその言葉なのだろうか。

 本書の注に近松門左衛門は次のように説明されている。
17世紀後半から18世紀前半にかけて活躍した大阪の劇作家。歌舞伎から人形浄瑠璃の作者に転じた。時代物の「俊寛」「国性爺合戦」、世話物の「曽根崎心中」など知られる。

 他の作家について。
18世紀の前半から半ばにかけて活躍した三好松洛・竹田出雲・並木千柳(宗輔)は合作で多くの人形浄瑠璃を書いた。「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」「菅原伝授手習鑑」の三作は時代物浄瑠璃の傑作として知られ、今日まで上演頻度も高い。

 時代的に、近松が他の作者達に、浄瑠璃伝承というバトンを渡していた、という感じだ。

 私は近松にも浄瑠璃にも詳しくはないが、世話物よりも時代物のほうが好きかなぁ。

 七世竹本住大夫の国立劇場の引退公演は、「恋女房染分手綱」だったが、この作品は近松の「丹波与作待夜の小室節」を、吉田冠子と三好松洛が改作したものらしい。

 これも近松物オリジナルではなかったことが選択の理由だったのだろうか。
 近松の字余りや字足らずが改作では直されている、ということなのかもしれない。


 お初徳兵衛と聞くと、『曽根崎心中』ではなく、落語『船徳』を連想する。

 まだまだ、文楽も歌舞伎も勉強が必要なのである。

Commented by 山茶花 at 2025-10-05 11:42
近松、文楽と歌舞伎といえば、NHKドラマ「ちかえもん」を思い出します。

傑作なドラマでした。近松がスランプの時に世話物で復活を遂げる話でした。文楽でヒットして、それを上方歌舞伎に持ってきたので、文楽と歌舞伎が密接につながっているみたいですね。そのうえ、上方落語にも歌舞伎や浄瑠璃がよく登場してきます。

文楽は見ているのですが、本当の歌舞伎はまだ生で見ていません。吉朝さんたちが行った鹿芝居「勧進帳」を30年ほど前、文楽劇場で見ました。

私は映画「国宝」は見ていませんが、少し前に与謝野晶子を主人公にした舞台を見てきました。これもほぼ3時間の長丁場。主役がキムラ緑子さん、演出が緑子さんの夫マキノノゾミ氏で面白い芝居でした。
Commented by kogotokoubei at 2025-10-06 07:48
>山茶花さんへ

私も歌舞伎は未体験です。
今のところ。
「ちかえもん」は、一部見ました。
なかなか、良い脚本、演出だったと思います。

落語や舞台ではなく、休みは映画が多くなりました。

先月大学の同期会があったのですが、この時期平日の旅行は無理なので欠席しました。
山茶花さんと、大坂ぶらり散歩した日が懐かしいです。
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by kogotokoubei | 2025-09-30 12:57 | 伝統芸能 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


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