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映画「宝島」について


 21日に、19日封切りの映画「宝島」を見た。

 第160回直木賞、第9回山田風太郎賞、第5回沖縄書店大賞を受賞した、真藤順丈の小説『宝島』が原作。

 こちらが公式サイト。
映画「宝島」公式サイト

 同サイトから、「STORY」を引用。

英雄はなぜ消えたのか?
幼馴染3人が20年後にたどり着いた真実とはー。

1952年、沖縄がアメリカだった時代。米軍基地から奪った物資を住民らに分け与える“戦果アギヤー”と呼ばれる若者たちがいた。いつか「でっかい戦果」を上げることを夢見る幼馴染のグスク(妻夫木聡)、ヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)の3人。そして、彼らの英雄的存在であり、リーダーとしてみんなを引っ張っていたのが、一番年上のオン(永山瑛太)だった。全てを懸けて臨んだある襲撃の夜、オンは“予定外の戦果”を手に入れ、突然消息を絶つ…。残された3人は、「オンが目指した本物の英雄」を心に秘め、やがてグスクは刑事に、ヤマコは教師に、そしてレイはヤクザになり、オンの影を追いながらそれぞれの道を歩み始める。しかし、アメリカに支配され、本土からも見捨てられた環境では何も思い通りにならない現実に、やり場のない怒りを募らせ、ある事件をきっかけに抑えていた感情が爆発する。
やがて、オンが基地から持ち出した“何か”を追い、米軍も動き出す――。
消えた英雄が手にした“予定外の戦果”とは何だったのか?そして、20年の歳月を経て明かされる衝撃の真実とは――。

 予告編。



 パンフレットを買った。
 表紙は、コザ暴動のシーン。

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<スタッフ>
□監督:大友啓史
□原作:真藤順丈
□脚本:高田亮、大友啓史、大浦光太
□企画:五十嵐真志
□撮影:相馬大輔
□美術:花谷秀文
□編集:早野亮
□音楽:佐藤直紀
□沖縄ことば指導:今科子、与那嶺圭一

<キャスト>
□グスク:妻夫木聡
□ヤマコ:広瀬すず
□レイ:窪田正孝
□オン:永山瑛太
□徳尚:塚本晋也
□小松:中村蒼
□チバナ:瀧内公美
□ウタ:栄莉弥
□タイラ:尚玄
□喜舎場:ピエール瀧
□ダニー:岸木幡竜
□謝花ジョー:奥野瑛太
□辺土名:村田秀亮
□アーヴィン・マーシャル:デリック・ドーバー

 
 映画館では、次第に上映回数が減ってきたようだ。

 ロングランとなっている「国宝」の回数の方が多い映画館もある。


 この映画については、あらすじではなく、描かれている主要な要素(出来事)について記したい。


 もちろん、ネタバレになるので、ご留意のほどを。

 この映画は、1950年代から1970年代の沖縄を描いており、フィナーレはコザ暴動と言って良いだろう。
 映画としては、オンはなぜ行方不明となったのか、彼は基地からどんな戦果を得たのか、ということが筋として続くが、映像的にもコザ暴動がクライマックスと私は考えている。

 そのクライマックスに至るまでに、さまざまな事件や事象があった。

 なお、Wikipediaからの引用が多いが、ご容赦のほどを。

(1)戦果アギヤー
 この映画は、1952年、リーダーのオン、グスク、レイたち戦果アギヤーが、嘉手納基地で物資を盗んだ後、米軍に追われるシーンで始まる。

 予告編から。

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 Wikipedia「戦果アギヤー」から。
Wikipedia「戦果アギヤー」

 沖縄戦の終結後、生活基盤を失った多くの沖縄住民はアメリカ軍からの配給に頼っていたが、必ずしも十分な質と量の物資が供給されていたわけではなかった。そんな中、アメリカ軍の倉庫に忍び込んで食料を中心とする物資を盗み出したり、軍雇用員が備品などをこっそり持ち出したりすることが横行し、人々はこれを「戦果」と呼んだ。「戦果」は困窮する人々に無償あるいは安価で分け与えられたため、住民から英雄視される例もあったとされる。
 米軍当局は警備を強化したものの、民警察(後の琉球警察)は積極的に取り締まらなかったため、略奪行為は徐々に大胆となり、その数も増加の一途を辿った。
 戦果アギヤーの一部は後に組織化し、横流しなどの利権を得て沖縄県の暴力団の一勢力を形成していくこととなった。
 
 米軍からの追撃から逃走中に、オンは行方不明となった。

 グスクは、オンを探すために警官となり、オンの弟のレイは、同じ目的を抱きながら、ヤクザの世界に入った。

 グスクは、オンの消息を調べる途中で、かつて戦果アギヤーを背後で操っていた組織のメンバーを病院に訪ね、彼から、オンが「予定外の戦果」を手に入れたためにいなくなった、と聞く。病床の彼からそれ以上を聞き出すのができなかったため、オンは何を見つけたのか、という謎は残ったままだった。


(2)小学校への米軍機墜落
 オンの恋人だったヤマコは、教師となった。
 そして、彼女が勤める小学校に、米軍機が墜落した。

 予告編から。

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 生徒を救おうと燃える校舎に入ろうとするヤマコをグスクが引き留める。
 号泣するヤマコ。

 予告編から。
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 実際にあった「宮森小学校米軍機墜落事故」を土台としている。
 Wikipediaから引用。
Wikipedia「宮森小学校米軍機墜落事故」

 1959年6月30日午前10時40分頃、米空軍F-100D 55-3633号機が操縦不能となった。パイロットは空中で脱出、機体は民家35棟をなぎ倒した後、石川市にある宮森小学校(現うるま市立宮森小学校)のトタン屋根校舎に衝突、さらに隣のコンクリート校舎を直撃し、炎上した。
 事故直後から軍警消各部隊が事故現場へ急行し救助活動に当たった。被害者治療のために沖縄本島中部に在住する医師のほとんどが駆け付けた。
 事故による火災は1時間後に鎮火したが、死者17人(小学生11人、一般住民6人)、重軽傷者210人、校舎3棟を始め民家27棟、公民館1棟が全焼、校舎2棟と民家8棟が半焼した。また、やけどによる後遺症で事故の17年後に1人が23歳で亡くなっており、死者の合計は18人となる(慰霊碑には2010年になって名前が追加された)。

 実際の事故を下敷きにしているのである。

(3)米兵による不祥事
 映画では、米兵が暴行を働いたり、自動車事故を起こしても、すぐにMPが来て連れ去り、現地警察は何もできない、とグスクが憤る様子を描く。

 米兵による事件は、その後も件数を重ね、1995年には、少女暴行時間が起った。
Wikipedia「沖縄米兵少女暴行事件」

 治外法権的な状況は今も続いている。
 朝日新聞の9月11日の記事から。
朝日新聞の該当記事

 米兵が被告の刑事裁判で執行猶予付きの有罪判決が確定すれば、帰国させることを速やかに検討する。米軍がこうした運用を採り入れていることがわかった。専門家は「事実上の無罪放免となり、執行猶予の趣旨をないがしろにする」とした上で、「被害者側が損害賠償を求めるのが難しくなる」と指摘する。

 思いやり予算など、数々の米軍への便宜を図る予算を血税から充当していながら、米兵の犯罪には、こんな体たらくなのである。

 また、オンが見つけた戦果とは、あの日の嘉手納基地で、米兵高官の子供を身ごもった女性が、基地内で子どもを産んだことに関わっているのだった。

(4)毒ガス事件
 米軍は秘密裡に毒ガスを作り備蓄していた。
 映画後半では、オンが見つけた戦果が、この毒ガスであるように思わせる描かれ方をしている。
 実際は、違っていたが。

 Wikipedia「コザ暴動」から引用する。
Wikipedia「コザ暴動」

毒ガス漏洩
 アメリカ軍はベトナム戦争用の兵器として、コザ市に隣接する美里村(現沖縄市)知花弾薬庫などに致死性の毒ガス(主要成分はイペリット・サリン・VXガス)を秘密裏に備蓄していた。しかし1969年7月8日ガス漏れ事故が発生、軍関係者24人が中毒症で病院に収容されたことが同月内に米ウォールストリート・ジャーナルの記事で明らかになった。アメリカ国外での毒ガス備蓄は沖縄のみで、周辺住民は事故の再発におびえ島ぐるみの撤去要求運動がおこった。

 この毒ガス事件が、コザ暴動を引き起こす一つの要因であった。

(5)糸満満轢殺事件
 コザ暴動を誘引した事件である、

 Wikipedia「コザ暴動」から。

 1970年9月18日夜、糸満町(現・糸満市)の糸満ロータリー付近で酒気帯び運転かつスピード違反のアメリカ兵が歩道に乗り上げ、沖縄人女性を轢殺する事故を起こした。地元の青年たちは事故直後から十分な現場検証と捜査を求め、現場保存のため1週間にわたってMPのレッカー車を包囲し事故車移動を阻止した。地元政治団体とともに事故対策協議会を発足させ、琉球警察を通じてアメリカ軍に対し司令官の謝罪・軍法会議の公開・遺族への完全賠償を要求した(この事件は糸満女性轢殺事件または糸満主婦轢殺事件ともいう)。

 映画でも、この事件は登場する。

(6)コザ暴動
 伏線となった事象について、Wikipedia「コザ暴動」より。

暴動発生の月
 糸満轢殺事件で1970年12月7日の軍法会議は被害者への賠償は認めたものの、加害者は証拠不十分として無罪判決を下した。沖縄人の多くがこの判決に憤り、12月16日に糸満町で抗議県民大会が開かれた。暴動前日の12月19日に美里村の美里中学校グラウンドで「毒ガス即時完全撤去を要求する県民大会」(上記の糸満事件無罪判決に対する抗議も決議文に含む)が開かれ、約1万人が参加した。
 また同年12月13日には那覇市の住宅にアメリカ兵が押し入り拳銃を突き付けて現金を奪う強盗事件、コザ市の宝石店にアメリカ兵がハンマーを持って押し入り金品を奪う強盗事件、与那城村でアメリカ兵がタクシー運転手の首を絞めて現金を奪う強盗事件が3件続発。モラルの低下したアメリカ兵により、半ば無法状態となっていた。

 こういったことにより、沖縄県民の怒りは充満していった。

 そして、その時が来た。

 きっかけは、やはり米兵の起こした事件だった。

 Wikipedia「コザ暴動」から、

 1970年12月20日午前1時過ぎ、コザ市の中心街にある軍道24号線(現在の県道330号線)を横断しようとした沖縄人軍雇用員(酒気帯び)が、キャンプ桑江(CAMP LESTER)のアメリカ陸軍病院所属のアメリカ軍人(同じく酒気帯び)の運転する乗用車にはねられ、全治10日間ほどの軽傷を負う事故が発生した(第1の事故)現場には5台のMPカーと1台の琉球警察パトカーが出動、負傷者の病院搬送と現場検証、加害者の事情聴取を行った。
 その間、現場に隣接する中の町社交街から地元住民が集まり始めた。MPによる事故処理に対し「犯罪者である外人男を逃がすな」と不信・不満を口々に叫び騒然となったが、警察官の機転で加害者はコザ警察署(現沖縄警察署)に移送された。
 事故現場に残っていた20-30人がMPに詰め寄るとMP側は空中に威嚇射撃を行ったが、これが火に油を注ぐ結果となり群衆はMPカーに放火、さらに近くにあった中之町派出所も襲撃し、投石で窓ガラスなどを破壊した

 琉球新報のサイトに暴動後の写真が複数掲載されている。
琉球新報サイトの該当ページ

 その中の一枚。

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 この映画は、敗戦後米軍に支配され続け、そして、政府からは見捨てられている沖縄の歴史を、若者たちの姿を通して描いている。

 キャストも皆、良い演技をしている。

 グスク役の妻夫木聡、ヤマコ役広瀬すずも良いが、私はレイ役窪田正孝の体当たりの演技を高く評価したい。オン役の永山瑛太は、「福田村事件」を思い出させる存在感。チバナ役瀧内公美は、「国宝」でも短い時間だが出演。今、もっとも乗っている女優さんだ。

 以前も書いたが、「国宝」は、興味があるがよく知らない歌舞伎の世界を知ることができる映画。

 「宝島」は、興味がなくても、日本人が知るべき沖縄を描いた映画、だと思う。


 もうじき、上映が終るかもしれないので、ぜひ、映画館で。

公式サイトの上映館情報ページ

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by kogotokoubei | 2025-09-29 12:54 | 映画など | Trackback | Comments(0)

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