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人間主役の都市とはー命日に宇沢弘文さんの警鐘を思い出す


 9月18日は、宇沢弘文の命日。
 11年前の今日、満86歳で亡くなった。

 「NHKアーカイブス」サイトから「あの人に会いたい」での宇沢さんの画像を拝借。
「NHKアーカイブス」の該当ページ

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 宇沢弘文については、著書を元に何度か記事で紹介した。

 過去の記事を確認していたら、なんと、その中の一つが、例の「管理者非公開」になっていたことが分かった。。

 これが管理者(私)ページの画像。

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 2014年1月10日の記事。

 その四日前にも当時の新著を紹介していた。
2014年1月6日のブログ

 亡くなった十日後にも記事を書いていた。
2014年9月28日のブログ


 2014年1月10日の記事が非公開になった理由は、昭和15(1940)年に、あの岡本太郎の父、岡本一平の作詞で大流行した歌「隣組」やNHKドラマ「バス通り歌」の歌詞を掲載したからに違いないだろう。

 JasracへのExciteの忖度か・・・・・・。


 ということで、歌詞を少なくして、非公開記事を復活させることにした。


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宇沢弘文著『経済学は人びとを幸福にできるか』(東洋経済新報社)

 『経済学は人びとを幸福にできるか』(東洋経済新報社)の「第5部 地球環境問題への視座」の「第19章 人間的な都市を求めて」から。

 ル・コルビュジェの「輝ける都市」に代表される近代的都市の考え方に対して、その問題点をするどく指摘して、新しい人間的な都市のあり方を私たちの前に示したのが、アメリカの生んだ偉大な都市学者ジェーン・ジェイコブスである。ジェイコブスが1961年に出した『アメリカの大都市の死と生』(The Death and Life of Great American Cities)は、都市計画の専門家だけでなく、一般知識人、学生の間に革命的といってよい衝撃を与えた。
 ジェイコブスは、二十世紀はじめのアメリカには、魅力的な大都市が数多くあったが、それから半世紀経って、1950年代の終わり頃には、このような魅力的な大都市がほとんど死んでしまったことを指摘する。ジェイコブスは、なぜアメリカの大都市の魅力が失われ、住みにくい、非人間的な都市となってしまったのかについて、アメリカ中の都市を回って歩いて、実際に調べて歩いた。
 アメリカの大都市が死んでしまったのは、ル・コルビュジェの「輝ける都市」に代表される近代的都市の考え方にもとづいて、都市の再開発がおこなわれてきたからである。しかし、アメリカの都市のなかには、人間的な魅力をもった都市が数多く残っていることをジェイコブスは発見した。そして、住みやすく、人間的な魅力をそなえた都市すべてに共通した特徴を四つ取り出して、新しい都市をつくるさいの基本的な考え方として示した。
 ジェイコブスの四大原則とよばれている。

 有名なル・コルビュジェ(1887-1965)の「輝ける都市」について確認しよう。

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宇沢弘文著『社会的共通資本』(岩波新書)

 『社会的共通資本』(岩波新書、2000年11月初版発行)から引用。

 ル・コルビュジェの「輝ける都市」は、建築素材として、コンクリート、鉄鋼、ガラス、大理石を使って、伝統的な建築様式にとらわれない自由な建築群と、近代的なデザインと機能性をとをあわせもつ自動車の群れとが巧みに調和した、いわば、芸術作品としての都市を計画したのであった。高層建築の群が点々として存在し、それぞれ単一機能をもつ区画に整然としてゾーニングが施され、すべての建物は、直線的で、幅の広い自動車道路に直接面している。ル・コルビュジェは、自らの設計した都市を、抽象派の芸術が。二十世紀の輝ける工業水準と調和的に結合されたものと考えたのであったが、「輝ける都市」には、人間が欠如している。人々が住み、生活を営み、人間的な活動をする場としての都市ではない。ル・コルビュジェの「輝ける都市」では、人は、ル・コルビュジェの意図するままに動くロボットとしての役割を果たすにすぎない。
 しかし、ル・コルビュジェの「輝ける都市」は、二十世紀における世界の大都市の変貌に決定的な影響を及ぼした。その影響は、アメリカ、西ヨーロッパ諸国だけでなく、アフリカ、インド、アジアの第三世界諸国にまで及んでいった。そして、現在、これらの都市は、かつてない社会的混乱、文化的退廃のなかで苦悩している。日本の都市もまた、その例外ではない。


 まさに、世界の大都市は、ル・コルビュジェの「輝ける都市」で溢れている。

 さて、『経済学は人びとを幸福にできるか』に戻ってジェーン・ジェイコブス(1916-2006)の四大原則をご紹介。太字は管理人。
ジェイコブスの四大原則の第一は、都市の街路は必ずせまくて、折れ曲がっていて、一つ一つのブロックが短くなければならないという考え方である。幅がひろく、まっすぐな街路を決してつくってはいけない。自動車の通行を中心とした、幾何学的な道路が縦横に張りめぐらされたル・コルビュジェの「輝ける都市」とまさに正反対の考え方をジェイコブスは主張したのである。
 ジェイコブスの第二の原則は、都市の各地区には、古い建物ができるだけ多く、残っているのが望ましいという考え方である。町をつくっている建物が古くて、そのつくり方もさまざまな種類のものがたくさん混ざっている方が住みやすい町だというのである。レストランなどで、店を新しく改造すると、味が落ちたり、値段が高くなって、お客が来なくなってしまうことが多いことをジェイコブスは指摘する。「新しいアイデアは古い建物から生まれるが、新しい建物から新しいアイデアは生まれない」というのはジェイコブスの有名な言葉である。
 第三の原則は、都市の多様性についてである。都市の各地区は必ず二つあるいはそれ以上の働きをするようになっていなければならない。商業地区、住宅地区、文教地区などのように各地区がそれぞれ一つの機能をはたすように区分けすることをゾーニングという。ル・コルビュジェはゾーニングを中心として都市計画を考えたが、ジェイコブスは、このゾーニングを真っ向から否定したわけである。ジェイコブスが、ゾーニングを否定したのはつぎのような根拠からであった。アメリカの都市で、ゾーニングをして一つの機能しかはたさない地区ができると、夜とか、週末には、まったく人通りがなくなってしまい、非常に危険となってしまう。ジェイコブスは、フィラデルフィア市の生まれであるが、ある年、殺人がすべて公園のなかで、夜おこなわれたということがあった。日本ではアメリカと違って、都市は一般にずっと安全であるが、ゾーニングの危険に変わりはない。
 ジェイコブスの第四の原則は、都市の各地区の人口密度が充分高くなるように計画したほうが望ましいということである。人口密度が高いのは、住居をはじめとして、住んでみて魅力的な町だということをあらわすものだからである。


 狭く折れ曲がった道路、さまざまな古い建物、機能的とはいえない多様性のある街、高い人口密度、といった言葉だけを並べてみると、どちらかと言うとネガティブな印象を受けるかもしれない。

 しかし、自動車を中心にした広く長い道路、コンクリートの高層ビルの群れ、ゾーニングされた機能的な区画、夜になるとひっそりした街、と比べて、どちらが人間が生活するために相応しい環境かを考えれば、答えを出すのにそうは時間がかからないだろう。

 宇沢弘文は、この章でジェイコブスの四大原則に近い理想的な大学都市としてベルギーの首都ブリュッセル市郊外にある、ルーヴァン大学の1970年にできたキャンパス、ルーヴァン・ラ・ヌーヴを紹介している。その比較相手に、ル・コルビュジェ的な大学都市の象徴として筑波研究学園都市を挙げている。

 ルヴァン・ラ・ヌーヴの中央広場の写真である。Wikipedia「ルヴァン・ラ・ヌーヴ」
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 かたや、筑波研究学園都市の筑波技術大学の写真。Wikipedia「筑波研究学園都市」
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 どちらが、人間が主役の“都市”であり“街”として設計されたかは、言うまでもない。

 私がカミサンの実家のある越後や、私の故郷北海道をここ数年訪れた際、その都度出会う光景が、“再開発”によって昔の家並みがなくなり、広い道路と大型ショッピングセンターができていること。

 かつての商店街が“シャッター通り”となり、郊外のショッピングセンター(アメリカで言う“モール”)は人で溢れている。ファストフードには親子連れが列をなし、全国チェーンのアパレル店では、東京でも売られているものと同じ衣料品を、地方の人々が喜んで買う。

 平成12(2000)年に施行された「大規模小売店立地法」は、WTOの背後でアメリカが圧力をかけて導入されたものであるのは明白だ。
 そもそも狭い日本では、駅の周辺に商業施設が集中しているほうが住みやすいはずなのだ。そこには日々の生活を通じた人と人とのふれあいがあった。

 しかし、郊外型のショッピングセンターができやすい法改正(改悪)によって、アメリカ資本の商業施設や、それを真似た日本の全国チェーンが郊外に集中し、祖先代々のお付き合いがあった“お店”は、閉店せざるを得ない状況に追い込まれた。

 しょうがない、との指摘もあるだろうが、あえてノスタルジーに浸る。

 昭和15(1940)年に、あの岡本太郎の父、岡本一平の作詞で大流行した歌に「隣組」がある。管理者非公開にならないよう、一番のみご紹介。

 ♪とんとん とんからりと 隣組
  格子を開ければ 顔なじみ
  廻して頂戴 回覧板
  知らせられたり 知らせたり


 次に、昭和33(1958)年から昭和38(1963)年にかけてNHKで放送された「バス通り裏」というドラマがある。その主題歌の一番の歌詞をご紹介。

 ♪小さな庭をまんなかに
  おとなりの窓 うちの窓
  いっしょに開く窓ならば
  ヤー こんにちはと手を振って
  こんなせまいバス通り裏にも
  ぼくらの心が かよいあう


 「NHKアーカイブス」で当時の放送の一部を見ることができる。
「NHKアーカイブス」の該当ページ

 その中のカット。

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 十朱幸代も岩下志麻も十代だ。

 放送期間の後半に私は小学生だったが、姉や兄と一緒にテレビにかじりついて観た記憶がある。
 主題歌が頭の中で聞こえる^^


 もちろん、今さら「隣組」や「バス通り裏」の時代に戻ることはできない。
 しかし、日本人の本来の美徳、精神はこれらの歌に表れていると思う。

 本来は、「助けられたり、助けたり」する精神が根底にあるはずだし、「むこうがとじた窓ならば なぜだろうかと ふりかえる」のが日本人の自然な感情ではなかろうか。

 今日では、近所付き合いもなかなか気苦労が多いし、できれば避けたいと思う人が多いだろう。私だって、できることなら話したくない近所の住人はいる。
 しかし、もっと頻繁に顔を合わせて挨拶をし合う中になれば、そういった嫌悪感や苦手意識もなくなるかもしれない。

 問題は、「格子を開ければ 顔なじみ」、「いっしょに開く窓」という都市空間、住環境ではなくなってきたことにあるのではないのか。

 別にノスタルジーだけで言うのではない。
 これからの都市づくり、街づくりにおいて、人間が主役、人と人とのふれあいが大事であることを、ジェーン・ジェイコブスの四大原則は訴えていると思うのだ。

 ちなみに、『アメリカの大都市の死と生』は日本語でも発行されているが、決してお安くない。
『アメリカの大都市の死と生』

 宇沢弘文が著書の中で丁寧に説明してくれているのは、ありがたい。


 大震災からの復興や、オリンピックのための“再開発”にしても、ル・コルヴュジェの「輝ける都市」づくりを目指すのではなく、ジェイコブスの原則に立ち返って、人間の息吹を感じる街づくりを目指すべきではなかろうか。


 国立劇場の建て替えは、いまだに入札が進まず、改修案も出て来たようだ。
東京新聞の該当記事

 そもそも校倉造りで美しい建物を壊し、ホテルやレストランを含むビルに建て替えるという案そのものが、経済優先、人間無視なのである。

 石破総理に伝統芸能関係者が早期開場を直訴し、国としても予算を投入するようだし、ホテル建設は必須条件ではなくなったようだが、果たしてどうなることやら。

 ちなみに、この問題について書いた記事には、拙ブログとしては異例の数のイイネをいただいた。
2023年9月26日のブログ


 もう、経済優先、市場原理主義からはオサラバしよう。

 それは、宇野弘文という偉大な経済学者の変わらぬ主張でもあった。


Commented by saheizi-inokori at 2025-09-18 18:32
隣り組の歌詞が忌避に触れたのですか!
私の記事も非公開になったのがあるのかな、断りもなしに。
Commented by kogotokoubei at 2025-09-18 19:33
>佐平次さんへ

歌詞全文を記載すると、非公開になれるようです。
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by kogotokoubei | 2025-09-18 12:59 | 今日は何の日 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


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