小泉八雲の「おしどり」を読む。
2025年 09月 12日
小泉八雲の作品を、紹介したくなった。
『怪談』(ラフカディオ・ハーン、池田雅之編訳、角川ソフィア文庫)の中から。

「耳なし芳一」の次に掲載されているのが「おしどり」である。

青空文庫には田部隆二訳で掲載されている。
青空文庫「おしどり」(小泉八雲、田部隆二訳)
コピペすれば楽だが、本書の池田雅之訳を書き写すことにした。
短い作品なので、全文をご紹介したい。
おしどり
陸奥の国(現在に東北地方、太平洋側)、田村の郷というところに、尊允(そんじょう)という鷹匠がおりました。
ある日のこと、尊允は狩りに出かけるものの、なにも獲物を見つけることができませんでした。ところが、帰り途(みち)、赤沼というところで川を渡ろうとすると、おしどりにつがいが、羽を並べて泳いでいました。
おしどりを殺すのはよくないことなのですが、尊允はあいにくの空腹に耐えかねて、二羽のおしどりめがけて矢を放ちました。尊允の矢は、雄鳥に命中しました。雌鳥の方は、茂っていた向こう岸の藺草(いぐさ)の中に逃げこみ、姿を消してしまいました。
その夜、尊允はうら悲しい夢を見ました。美しい女が部屋に入ってきて、枕許(もと)に立ち、涙を流しはじめたのです。あまりにも痛々しい泣き声に、尊允の胸ははりさけんばかりになりました。
女は尊允に向かって、こう訴えました。
「なぜでございます。どうして、あのおひとをあやめたのでございますか。あのひとがどんな悪事を働いたというのでございましょう。・・・・・・赤沼で、わたくしたち二人は、とても幸せに暮らしておりましたのに、それなのに、あなたはあのひとを殺しておしまいになったのです・・・・・・。
これまであのひとが、あなたに何か危害を加えたりしましたでしょうか、あなたは、ご自分がなされたことがどういうことか、お分かりになりますか。ああ、どんなにむごい、どんなにひどいことをなさったのか、お分かりになりますか。
・・・・・・あなたは、わたしまでも殺してしまったのです。夫をなくしては、わたしはとても生きてはいけません。・・・・・・このことだけを、あなたにお伝えしたくて参りました」
そう言い終わると、女はまた声を上げて泣きました。耳にする者の、骨の髄まで浸み入るような鳴き声でした。女は涙にむせびながら、歌を詠みました。
日暮るれば さそへしものを 赤沼の
真菰(まこも)かくれの ひとり寝ぞ憂き
(たそがれ時になると、私は夫を誘って家路についたものです。
でも今は、赤沼の藺草の茂みの陰でひとりで休むしかありません。
なんて辛いことでしょう)
こう詠み終えると、女は叫びました。
「ああ、あなたは分かっていらっしゃらない。ご自分がなされたことをご存じないのです。でも、明日(みょうにち)、赤沼にいらっしゃれば、お分かりになるでしょう。きっとお分かりになりましょう・・・・・・」
そう言い残すと、いとも悲しげに泣きながら、女は立ち去りました。
尊允は朝になって目覚めた後も、この夢があまりにありありと残っていたので、とても気がかりになりました。
「でも、明日、赤沼にいらっしゃれば、お分かりになるでしょう。きっとお分かりになりましょう」という女の言葉を思い出しました。
そこで、尊允は、あれはただの夢にすぎないのかどうか確かめようと、ただちに赤沼へで向かうことにしました。
赤沼の川岸にたどり着くと、そこには雌のおしどりが、一羽で泳いでいました。そのとき、おしどりの方も尊允の姿に気づきました。
けれども、おしどりは逃げようとはせず、不気味なほどにじっと目を見据えながら、尊允の方に向かって、まっしぐらに泳いで来ました。それから、雌鳥は突如、くちばしで自分の体を突き裂いたかと思うと、尊允の目の前で絶え果てたのでした。
尊允は頭を丸め、僧になりました。
Wikipedia「おしどり」から、つがいの写真。
Wikipedia「おしどり」

いかがでしたか。
池田雅之著『小泉八雲』をご紹介している四回目の記事で、著者が“人間と自然、人間と動物との触れ合いを通じて、八雲の生きとし生きるものとの「共生きのいのち」という思想が静かに息づいていることに気づく作品”と指摘している作品の一つだ。
2025年8月31日のブログ
この作品をご紹介したのには、NHK朝ドラ「あんぱん」が関係している。
やなせたかし作詞による「手のひらを太陽に」の歌詞から、この作品を連想していた。
♪ミミズだって オケラだって アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
これは、やなせたかしが「共生きのいのち」を歌った作品だ。
もちろん、「あんぱんマン」も、まさに、共生がテーマと言える。
小泉八雲とやなせたかしの共通点を発見したような気がした。
朝ドラは「あんぱん」から「ばけばけ」と続くが、それは、共生の人たちのバトンリレーと言えるかもしれない。
実在の人物がモデル(モチーフ?)のドラマ、過度な脚色、創作は避け、共生の精神を抱く人物の実像に迫って欲しい。
「あんぱん」もあと2週間で終わりますが、どの時期まで描かれるのかが気になります。
暢夫人は1993年11月に他界していますが、やなせたかし氏はその後、20年近く存命でした。
長命でしたが、60代以降は病気がちで、大変だったようです。
暢夫人没後までは扱われないような気もしますが、脚本の中園ミホ氏はやなせ氏を主人公にしたかったようですから、暢夫人を回想するような形で終わるのかもしれません。
ちなみに「手のひらを太陽に」の歌詞のうち、「アメンボ」は当初「ナメクジ」だったそうです。イメージ的なことが原因で変えられたのでしょうかね。
「オシドリだ~ってぇ~」という案は、なかったのでしょうね(^^)
「あんぱん」は、ここ最近の内容は、悪くないと思います。
というか、明白な事実があるので、創作しようがないですよね。
まぁ、暢が三姉妹だったかどうかは、怪しいですが、ぎりぎり許される脚色かもしれません。
