閏六月で思い出す、明治の改暦のこと。
2025年 08月 19日
今日は、旧暦では閏六月二十六日。
太陰太陽暦では、十九年に七回、一か月を加え十三か月とし、季節とのずれをなるべく少なくする調整をする。
閏六月で思い出すのは、明治五年の改暦だ。
翌明治六年は、閏六月があった。
以前も改暦について書いたことがある。
2013年1月14日のブログ
重複するが、明治政府が太陰太陽暦をやめグレゴリオ暦に切り替えたのは、世界標準に合わせたということも大きな理由だが、実施時期を考えると、別の“せこい”理由が見えてくる。
松村賢治著『旧暦と暮らす-スローライフの知恵ごよみ-』(文春文庫)から。

『旧暦と暮らす-スローライフの知恵ごよみ-』松村賢治著(文春文庫)
本書は2002年にビジネス社から単行本として発行され、2010年文春文庫に加わった。
引用する。
ペリーの浦賀来航以来、ロシアやヨーロッパ列強から開国を迫られ、さまざまな条約を締結してきた新政府は、彼我の暦の違いに、大いに不満を感じていました。
また、今後ますます、欧米の先進文化を導入していくに際し、西暦への改暦は、必要不可欠となっていました。同じ「旧暦」での改暦ですら、我が国では千二百年間に数えるほどのこと。ましてや、「太陽暦」への改暦で、紆余曲折のないはずがありません。事実この時も、世の中は大混乱となりました。
岩倉具視、大久保利通といった政府首脳の多くが、遣欧米使節団として不在の間に、大隈重信は福沢諭吉と共にこの大改革を断行したのです。福沢は、改暦推進用のパンフレット「改暦弁」で、「日本国中の人民、この改暦を怪しむ人は必ず無学文盲の馬鹿者なり」と、激しく旧暦害悪論を展開しています。そして、当時の知識人の多くが、「農暦」としての効用を分かっていながら、この急激な大改暦を支持せざるを得ず、旧暦害悪論の大合唱に追随してしまったのです。
「閏により気候の早晩が起こり、旧暦は農業に不都合。迷信が多く、知識進歩の妨げとなる」という「改暦の詔勅」が、公式見解として百三十年も尾を引いているとは・・・・・・。
「改暦は、脱亜入欧、富国強兵、文明開化促進の要」という大義名分は、まったく正当なものに違いありません。しかし、実際のところは、明治政府の懐具合が、改暦の大きな要因だったようです。廃藩置県を断行して、中央地方共々、お役人のサラリーは月給制になっていました。その上、政府は外国人のアダバイザーや教育指導者をたくさん雇い、目白押しの大改革に、更なる大出費を迫られていました。
明治六年は、「旧暦」のままだと閏六月があり、給料日が十三回ある年でした。
「もし、明治五年十二月三日が、明治六年のお正月になり、翌年が「太陽暦」で、閏がなくなったら・・・・・・」
「難なく、十二月と六月、二ヶ月分の給料がカットできる!!」
どうもこれが、大急ぎの改暦の第一の理由だったようです。
さて、他のアジア諸国の改暦事情は、どうだったのでしょう。韓国は、明治二十九(1896)年、中国が辛亥革命の翌年、明治四十五(1912)年です。日本は明治六(1873)年ですから、確かに、アジアでの西欧化の先頭に立ったわけです。
アジアの中の日本という連帯感を、旧暦害悪論が少なからず打ち壊し、他のアジア諸国の不興を買ってしまったことは、否めない事実のようです。
国際交流の面から捉えてみても、アジアの風土に根ざした生活規範を全面否定して、ヨーロッパの仲間入りを目指した日本を、周辺アジア諸国の人々がどのように感じていたのか、そういった面での思いやりに欠けた行動が、後にアジアの人々よの間に、大きなわだかまりを作る原因となったのかも知れません。
今の我が国のひずみは、季節感や古き良きものへの愛着心の喪失も含めて、自然に則した社会運営の歯車が、急激な改暦で狂っていった結果かもしれません。
明治五年は、十二月の給料を払わずに済み、翌年以降は、新暦採用で毎年十二回の月給支給で済む、ということだ。
布告から一カ月で実施、ということで結構混乱した。
これまで12月2日と思っていた日が大晦日、3日が元旦、と変わったのだから。
暦の業者さんが、もっとも打撃を受けたようだ。
改暦によって、次のようになった。
□1年を365日、12か月に分ける
□4年ごとに1日の閏を置く(平年は365日、閏年は366日)
□12暦月の日数および大小は、太陰太陽暦では月の大小は定まらないが太陽暦では固定
アジア各国では、いまだに旧暦(太陰太陽暦)と生活が密着している国、地域が多い。
日本において、旧暦時代の伝統の名残りがあるのは、せいぜい、天気予報で使われる二十四節気くらいか。
23日は、処暑。
暑さが峠を越えて後退し始めるころ。
江戸時代に書かれた、二十四節気や七十二候などの解説書『暦便覧』では、「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」と説明している。
旧暦を捨てたとはいえ、季節の目安となる二十四節気を捨てたわけではない。
また、春分や秋分は祝日になるので、正確に割り出す必要がある。
そのためにも、国立天文台が、毎年2月に「暦要項」を官報に告示している。
翌年の「二十四節気および雑節」、「朔弦望」を計算・提示しており、旧暦の「30日の大月、29日の小月」の設定、置閏の基準である「中気」の提示に相当する天文学データが公表されている。
国立天文台サイトの「暦要項」のページから「二十四節気」の説明文を引用。
国立天文台サイトの「暦要項」のページ
二十四節気は日本や中国で伝統的に用いられる季節の目印で、各節気は太陽黄経の値によって定義されています。たとえば、春分は太陽黄経が0°となる瞬間、秋分は太陽黄経が180°となる瞬間です。太陰太陽暦(旧暦)では各月や閏月を割り振る基準とされていました。全体を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けて、節気(せっき)と中気(ちゅうき)を交互に配しています。
この節気と中期が、旧暦の閏月の設定の仕方にかかわってくるのだが、少しややこしいので、このあたりでお開きとしよう。
さて、暦通りに、今週末で猛暑が峠を越すことを祈ろう。
