青山透子著『日航23便墜落事件 四十年の真実』より(15)
2025年 08月 12日
前の記事で、朝日新聞の「ファクトチェック」が、どれほど権力擁護で非科学的なものかを示した。
何度も書くが、青山さんの主張は、いくつもの事実、データの精査、市民の目撃証言、遺体収容所で検死に従事していた医師や看護師、元自衛官や元日航整備士たちなどの勇気ある発言を元にしている。
しかし、反青山側の攻撃は執拗だ。
文春オンラインでも反青山論が載っていた。
その裏付けの一つが、元自衛官のパイロットの話。
墜落の直前、当時の現役自衛官がファントム機二機を目撃しているにもかかわらず、この元パイロットはファントム機の性能から、それはありえない、と言う。
反青山派の主張は、すべからく部分に特化している。
肝腎な点については、ほとんど触れることがない。
たとえば、米軍機がいち早く墜落現場を特定し自衛隊に報告していたのに協力を拒否したことについて触れることはない。
高浜機長の遺体の発見の時期、遺体の様相を胡麻化していることには、一切触れない。
実際に遺体と向き合った当時の看護師が機長の遺体は早期に発見されていたことや、その状態が報道と違うことを青山さんはご本人に確認しているにもかかわらずだ。
調査報告書の付録を丹念に青山さんが精査した結果判明した、異常外力が垂直尾翼に着地しているということに関しても、真っ当な説明は一切ない。
朝日や文春までが、なぜこうも反青山の記事を掲載するようになったのか。
それだけ、青山さんの著作を支持する読者が増えている証でもあろう。
そして、真相に迫っているからこその攻撃かとも思う。
あるいは、真相を隠したい人間たちの焦りかもしれない。
青山さんは、困難に直面すると、権力に屈せず公害問題や原発、反戦などの活動を貫いて来た先人のことを思い出し、奮い立った。
そして、日航123便の乗り合わせて被害者となった多くの先輩や同僚のことを思い出していた。

青山透子著『日航123便墜落事件 四十年の真実』
『日航123便墜落事件 四十年の真実』(河出書房新社、7月4日初版)の最終十五回目。
<目 次>
□はじめに
□第一章 原点に立ち戻れ
「疑惑はここから始まった」など
□第二章 空白の三分十二秒ー炭化遺体は真実を語る
「長野県消防防災課の記録から見えたもの」など
□第三章 事件は終らないー声なき声を聴け!
「心ある元自衛官たちの調査研究」など
□おわりに
引き続き「おわりに」から。
引用する。
想い出
私が日航123便墜落事件を語る時、いつも、私の新人時代に客室乗務員の業務を教えて下さった先輩たちの顔が浮かぶ。
新婚旅行から戻り、名前が変わったあとの初乗務で亡くなった対馬(旧姓前田)祐三子さん、いつも楽しい旅の話で盛り上がった宮道令子さん、美人の誉れ高いが鋭い指摘で怖かった藤田香さん、姉御のように陽気で明るい木原幸代さん、厳しい指導をしてくださったママさんクルーの赤田真理子さん、事故発生時の機内で酸素マスクのチェックをしている姿が写っている大野美紀子さん、彼女たちの素敵な笑顔が、そして彼女たちの声が私の脳裡に残っている。白拍子由美子さんはユーミンの「ひこうう雲」が大好きだった。大野聖子さんは、愛車を乗り回すのが趣味だった。吉田雅代さんは私と逆で国際線から国内線に移行してきた。新婚だったようで国内線のほうがスケジュールもきつくならないからだろう。波多野京子さんは訓練所から努力賞をもらったそうだ。仕事に意欲を燃やしていた新人だった。チーフの波多野純さんも国際線から移行してきたばかりで、盆栽が趣味であったと聞いている。
私自身が日々仕事をしていた日常の風景の中に、彼女たちは確実に存在していた。このように語り続けることがなければ、死者たちは永遠に浮かばれないのである。
2010年、私の最初の著作『天空の星たちへ』は、彼女たちへの鎮魂歌を書くつもりであった。
写真は、2010年に最初の著作を届けた先輩対馬さんの墓標。

引用を続ける。
彼女たちと共に過ごした20代の若かりし時代は、国内外を飛び回っていた楽しい思い出に溢れている。それを一瞬で打ち壊されたのだ。彼女たちの無念さはいかほどであっただろうか。彼女たちは墜落の恐怖を乗り越えて、必死に乗客を救おうと最後のい最後まで力を尽くした。もし彼女たちがこのまま葬られてしまったらあまりにも虚しい。思い出をすこしでも未来に遺しておきたかっただけである。
ところが、群馬県警察医で当時の検死医師を取りまとめた責任者の大國勉氏との出会いによって、その意識が変わった。通常ではありえないほどの炭化遺体の写真を目にしたのである。これは一体どういうことなのか。沸々と疑問が湧いて出てきた。ちょうどその頃、東京大学大学院の博士課程で環境分野の研究をしていたこともあり、私は国内外の公文書や数多くの論文に接する環境にいた。そしていつのまにか、同僚を亡くした元客室乗務員としてだけではなく、研究者としての自覚が強くなっていった。
元同僚への鎮魂の思いから研究者として事件の真相に迫る中で青山さんは次の作品を著してきた。
□『天空の星たちへ――日航123便 あの日の記憶』2010年4月29日 マガジンランド
□『日航123便 墜落の新事実――目撃証言から真相に迫る』2017年7月30日 河出書房新社
□『日航123便墜落 疑惑のはじまり――天空の星たちへ』2018年5月28日 河出書房新社
□『日航123便墜落 遺物は真相を語る』2018年7月21日 河出書房新社
□『日航123便 墜落の波紋――そして法廷へ』2019年7月12日 河出書房新社
□『日航123便墜落――圧力隔壁説をくつがえす』2020年7月21日 河出書房新社
□『日航123便墜落事件 JAL裁判』2022年12月2日 河出書房新社
□『日航123便墜落事件 隠された遺体』2024年8月30日 河出書房新社
□『日航123便墜落事件 四十年の真実』2025年7月30日 河出書房新社
全作品を読んで、拙ブログでは、「そして法廷へ」を除いて紹介してきた。
それらの著作を読んで、私にはよく分かる。
青山さんは、目撃者に会い証言を聞き出し、図書館に出向き新聞記事や事故調査報告書を漏らさず目を通し、膨大な資料と日夜格闘してきたのである。
私も愛犬家だが、青山さんの愛犬のことも書かれている。
事件の陰惨さと、執筆の緊張を和らげてくれたのは超大型の愛犬であった。モフモフのその大型犬は、私が執筆していると、横に積み上げられた論文や資料の上をノサノサと歩き、時にはそれを枕としてどっかりと寝ていた。愛犬の頭の下にある資料を取り出したくても、その重さで取り出せずにいると、上目づかいに私を見た。そしてまた、寝るのである。何度も「どいて」と頼んだがダメであった。
その愛犬は、私が初めて上野村から帰った夜、いつもと異なる仕草をした。夜中に私の周りをクンクンと嗅ぎまわり、玄関に行って、プップと何かそこに誰かいるようなそぶりを見せたのである。家族も起きて、玄関を開けて何度も外を見たが、誰もいなかった。もしかすると、上野村から先輩たちを連れてきたのではないかと思った。
あの便で亡くなった犬一匹も、私と一緒に山から下りてきたのかもしれない。私の愛犬には、そこに佇むワンちゃんが見えたのではないだろうか。愛するご主人と離れてさぞかし心細かったのであろうと、あの飛行機で死亡した犬がどういう犬種でなんという名前だったのか、そのようなことを御巣鷹の尾根で祈りながら、私の最初の本を先輩たちの墓標に捧げた。
521名の皆さんと、カーゴルームで死亡した犬一匹が、真実がわかるその日が来るまで何かを訴えているー私はいま、それを強く確信している。
犬は、敏感だ。
そして、人間には見えない、聞こえないものを感じることができると、これまで四匹の犬を飼ってきた私は思う。
私は、青山さんが上野村から帰宅したその日、モフモフ君は、間違いなく、何かに気がついたのだと思う。
そして、それが青山さんの先輩たちであったかもしれないし、犬だったかもしれないが、間違いなく、何かを訴えているに違いない。
さて、本書は、次のように締めくくられている。
森永卓郎氏のご逝去にあたり、本書は森永氏への感謝の念を込めて執筆をした。
本来ならば、すべての協力者のお名前を出して謝辞としたいところであるが、ボイルレコーダーを聴かせたくない側の人たちにとっての好都合な情報となってしまうため伏せておく。拙著を手に取ってお読みいただくことで、応援してくださる大勢の皆様に、心の底から感謝申し上げる。
森永氏は、この「四十年の真実」が事実だと証明される日がくることを天国から持ち望んでおられるだろう。
青山応援団長とも言える森永さんの逝去は、残念でならない。
反青山派の妨害で、ボイスレコーダーが開示されないまま、真相が闇に葬られたなら、521名(胎児を含む)と一匹は浮かばれることはない。
青山さんや吉備素子さんの闘いは続くはずだ。
いつか、真相が明らかになることを願うばかりだ。
長らくのお付き合い、誠にありがとうございます。
青山さん、本当にこの事件については、長年にわたって真相の究明に努力されていますよね、頭が下がります。
そして、朝日新聞のファクトチェックについても、近いうちに、わたしもブログで取り上げる予定です。
乞う ご期待!?
コメントありがとうございます。
真相が明らかになるまで、拙ブログでは、青山さんの著作を紹介したく思います。
いろんなネタを書き飛ばしているブログですが、気軽にお立ち寄りください。
