青山透子著『日航123便墜落事件 四十年の真実』より(3)
2025年 07月 23日

青山透子著『日航123便墜落事件 四十年の真実』
『日航123便墜落事件 四十年の真実』(河出書房新社、7月4日初版)の三回目。
<目 次>
□はじめに
□第一章 原点に立ち戻れ
「疑惑はここから始まった」など
□第二章 空白の3分12秒ー炭化遺体は真実を語る
「長野県消防防災課の記録から見えたもの」など
□第三章 事件は終らないー声なき声を聴け!
「心ある元自衛官たちの調査研究」など
□おわりに
引き続き、「第一章 原点に立ち戻れ」から。
前回は、日航の整備士たちが、墜落直後に緊急招集され、まだマスコミは墜落地点不明と報道している時間帯であるにも関わらず、羽田からバスで御巣鷹山に直行し、「U字溝」と呼ばれる地点で、「仕分け」作業をしていたことをご紹介した。
青山さんの著作を読んで告白してくれた元整備士のX氏によると、ジャンボ機の部品とそうではない部品の仕分けを命じられた、とのこと。そして、その作業については緘口令が敷かれた。
いったい何を隠そうとしているのか。
前回もご紹介した地図によると、「U字溝」と呼ばれる場所には、第4エンジンの部品が散乱していた。

では、そのエンジンのこと。
第4エンジン木っ端みじんの言い訳
群馬県警は「一本カラ松に衝突したことによって第4エンジンが木っ端みじんとなった」と発表している。事故調査報告書の記述も同様である。私はこの事実を知り、大変驚いた。念のため書くが、「第4エンジンが破壊されたのは、一本の松の木に衝突したからだ」というのである。
さらに河村一男元日航事故対策本部長(当時)の著作『日航機墜落ー123便、捜索の真相』(イースト・プレス、2004年)の234頁を見て、思わず吹き出してしまった。図28を見ていただきたい。念のため当該の一本カラ松の写真も掲載する(図29)。
これが、本書の図28と29である。
『日航機墜落ー123便、捜索の真相』の234頁。

警察医の大國勉氏提供による、同カラ松の写真。

引用を続ける。
ジャンボ機のもっとも頑強な第4エンジンが、木の先端に衝突したことで、木っ端みじん状態となって、細切れにバラバラになって地上に落ちたというのである。
これは端的にいってあり得ない。小学生でもわかると思うが、念のため知人の研究者に聞いても、「力学的にみても木側が折れているので木側が負けている」という回答を得た。もはや笑いを通り越し苦笑するしかなかったことを覚えている。
なお、事故調査報告書には、この「一本カラ松」の写真は掲載されていない。
意図的に外した可能性もある。
ジャンボ機のエンジン一基の重さは7トン、乗用車5台分である。
たとえば、木製の電柱に7トントラックが衝突したとして、車体がへこんだり歪んだりするのは理解できる。しかし、それが細かく粉砕され、バラバラに飛び散るなどという現象が現実に起こりうるのだろうか。これは小学生に尋ねても「そんなことは起こらない」と答えるレベルの話である。
ところが事故調査報告書や元群馬県警察本部長の著書では、このような非科学的な記述が堂々となされているのだ。こうした文書や本に、果たして真実が書かれていると言えるのだろうか。むしろ、遺族に対し「これで納得しろ」と説得するために書かれたのではないかと思えてくる。
この、一本カラ松のことは、青山さんの公式HPで知った時に、驚いたことを思い出す。
「青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相」の該当ページ
この細い一本の木で、エンジンが木っ端みじんになるはずがない。
本書では、この後、注目すべき当時の現役自衛隊員(一等陸曹)の目撃証言が紹介される。
墜落直前の午後6時40分頃、休暇中で群馬県吾妻郡東村(現・東吾妻町)の実家に帰省した自衛隊員は、「航空自衛隊ファントム二機が低空飛行していった」と群馬県警が発行する雑誌『上毛警友』の1985年10月号に記していたのである。
本書掲載の同誌の写真。

自衛官がファントム機を見間違うことはないだろう。
目撃地点から数十キロ先南が、墜落現場だ。
その自衛官は「通常とは違う感じ」がし「何か事故でもあったのだろうか」とまで記している。
それでは、このファントム戦闘機二機は何のために日航123便を追尾し、何のために群馬県上野村周辺を飛行していたのだろうか。しかも通常とは異なる低空飛行である。結果からみていくと、第4エンジンの破壊と密接なかかわりがあると思われる。
第4エンジンに何が起こったのかは、次回。
