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年貢や国民負担率、国民還元率、税の不公平など。

 参院選の焦点は、決して外国人政策ではない。

 技能労働者として農業などに不可欠な外国人の人々も、税金も社会保険も払っている。

 参政党などのフェイクニュースに踊らされてはいけない。

 焦点は、税金問題である。
 物価高対策である。
 そして、忘れてはいけない、政治とカネの問題だ。


 一時的な選挙のための給付金ではなく、大企業や富裕層が優遇されてきた税金を、国民の元に戻す税制改革が必要だ。


 そこで、つい思いついて、江戸時代の税制を確認することにした。

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大石慎三郎著『大江戸史話』


 大石慎三郎著『大江戸史話』(中公文庫、1992年3月初版)に、「田沼意次の税制改革」という章がある。

 実は、消費税のような間接税を最初に始めたのが、意次であった。

 その経緯などは別途ご紹介するとして、この章では江戸時代前夜以降の税制について説明があるので、引用したい。

 天下を統一した豊臣秀吉は、徳川幕府の「武家諸法度」にあたる御掟追加」第三条で、諸大名はその年の作柄を検査したうえで、その三分の一を百姓に、残る三分の二を領主が取るように言っている。
 徳川家康は、年貢は「百姓を生かさぬよう、殺さぬようぎりぎり一杯に取れ」と言ったといわれている。秀吉のように具体的な配分率は示していないが、恐らく秀吉の場合と同じだろうと考えられている。つまり「七公三民」弱、これは江戸時代初期のはなしだが、農民にとってはたいへん厳しい負担率といえよう。
 しかし、このままの負担率で全江戸時代を押し通したわけではない。
 その変化のきざしは、四代将軍家綱の治世半ば(十七世紀後半)に始まった。つまり、徳川幕府ができてから半世紀ほどたったころから、領主の領主の取分率が下がり、農民の取分が増え始めたのである。そして新井白石が政治の実権を握っていた正徳二年(1712)には、年貢率は実に“二ツ八分九厘=二割八分九厘”にまで下がっている。ここに至って「七公三民」の年貢率が「三公七民」に逆転したのである。

 こういった江戸時代の年貢の推移は、なかなか知られていないのではなかろうか。
 高い年貢率が続いたわけではないのだ。

 元号では、年貢率が下がり始めた時期は、元禄(1688ー1704)、宝永(1704ー1711)、正徳(1711ー1716)の頃だ。

 「元禄文化」は、日本歴史に例をみない大減税のうえに花咲いたのである。

 しかし、その頃、領主の方は、困窮していた。

 新田開発や用水路の土木工事などの費用は、「三公七民」の「三」で賄うのは、限度がある。

 社会投資のため財政赤字に陥った領主は数多くいた。

 彼らはたいてい「大名貸し」といって江戸・大坂・京都などの富裕商人からの借金で赤字を埋めていた。しかし、元禄時代になると、それを返済できなくなった大名も数多くいた。
 諸大名に比べて徳川幕府は、広大な領地のうえに鉱山収入・貿易収入などを持っていて著しく豊かであったが、それでも紀州の吉宗が入って八代将軍になったころ(1716)には、旗本・御家人への給与米も遅れがちで人員整理をする以外に財政危機を救う手立てがないというところまで追い込まれていた。
 そこで吉宗がいちばん信任する老中水野忠之を勝手掛老中とし、彼をキャップとして財政再建のためのプロジェクト・チームをつくって研究させたところ、年貢率を引き上げることと、年貢取り立ての対象になる新し耕地を造り出す以外、方法はない、ということになったのである。
 具体的には、年貢取り立て方法を、その年の豊凶を幕府役人が見たうえで年貢の量を決める検見法(けみほう)から、豊凶にかかわらず一定の量を取る定免法(じょうめんほう)に切り替えた。さらに、綿など畑からとれる作物の増産に目をつけ、代官ごとに年貢率を競争させるなどして畑年貢をも引き上げようとしたのである。

 吉宗時代の年貢率引き上げは、そう簡単には進まなかった。
 各地で百姓一揆が起こり、九代将軍家重の代で、ますます激化した。
 田沼意次の領地でも有名な郡上一揆が起こり、それが間接税導入のきっかけになるのだが、それについては後日。

 さて、ということで、江戸時代の年貢は途中の変化はあったものの、「四公六民」あたりが、平均値と言えそうだ。

 では、今の世はどうなっているのか。

 国民負担率を確認したい。

 もちろん、江戸時代の年貢とは単純に比較することはできないことは承知だが、目安としては使えるだろう。

 ニッセイ基礎研究所サイトに、国民負担率の推移を他国と並べたグラフがあったのでお借りする。
「ニッセイ基礎研究所」サイトの該当ページ

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 ほぼ、「五公五民」である。

 他の国と比べて、日本がダントツに負担率が高い、とは言えない。

 また、コロナ禍の2019年、2020年に負担率が減った国があるの比べ、日本は何ら減税をしなかったことが明白。

 
 問題は、負担率のみではなく、払った税金や社会保険料が、どれほど社会保障など国民のために使われているか、なのである。


 国民還元率という指標があるのだが、これが、検索してもなかなか見つからない。
 意図的に隠されているようにも思える。

 少し古いが、全国保険医団体連合会のサイトにこんなグラフがあった。
「全国保険医団体連合会」サイトの該当ページ

 データが1995年~1999年のものなのだが、傾向としは変わらないと思う。

 まず、税金が社会保障に使われる割合。

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 日本は、税金を払っても、社会保障費として使われている割合が低いことは明らか。

 次に社会保障給付の割合。

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 このグラフについて、次のように説明がある。

 国民からみて、ほんとうの「負担と給付の公平」を考えるには、「支払った租税と社会保険料の総額から、社会保障給付としてどれだけ国民に還元されているのか」ということこそ、問われるべきです。租税負担(国と地方)と社会保険料負担の合計額から、国民に社会保障給付として、どれだけ還元されているのか見てみましょう。
 スウェーデンが75.6%、ドイツ・イギリスで約59.0%なのに対し、日本は41.6%と、先進国中最低です。仮に、日本の還元率41.6%をドイツの58.6%並みに引き上げると、社会保障予算を31兆円も増額することができます。
 国民レベルの収支勘定である「社会保障への還元率」の大幅な引き上げを求めることは、国民の正当な要求です。

 まさに、その通り。

 なお、全国保険医団体連合会は、日本共産党の指導と援助により結成された全国労働組合総連合(全労連)の友誼団体の一つである。だから、何か問題でも?

 消費税の減税や廃止だけを唱えると、国民負担率は決して高くない、という反論を招く。

 問題は、その税金と社会保険料が、国民にどれだけ還元されているか、ということだ。

 なかなか、そういった主張に出会わないのが、昨今の選挙公約なのが残念でもある。

 江戸時代には、百姓一揆が三千件ほどあるが、ほとんどが年貢の引き上げに抵抗するものだった。

 八代吉宗、九代家重時代に、一揆が多かった。

 それは、新井白石の時代の「三公七民」から、「四公六民」レベルに上がる時のことだ。

 今、「五公五民」の時代、権力批判としての一揆は起こらない。

 しかし、一部の国民の怒りの標的は、擁護されているという偽情報を真に受けて外国人に向けられていたりする。


 違うのだよ。

 パーティー券収入のキックバックを受けても、記載漏れでした、とか、返しました、で済まされる政治家にこそ、怒りを向けるべきではないのか。

 そもそも、パーティー券収入は、34ある政治家の「収益事業」とは見なされず課税対象ではないのである。

 そして、キックバックは「雑所得」ではなく「一時預かり金」と見なされて、税務署も調べない

 税金で働いている国税庁は、政治家に甘い。

 税の不公平は、大企業と国民、富裕層と低所得層のみならず、国民と政治家の間にも存在する。

 そんなことも、ぜひ、参院選の焦点になって欲しいのだが、なかなかそうはならないのが残念でならない。

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by kogotokoubei | 2025-07-11 12:57 | 社会や政治のこと。 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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