「大山詣り」のこと。
2025年 06月 29日
NHKの「ブラタモリ」は、昨夜と来週7月5日の二回、「大山詣り」である。
NHKサイトの「ブラタモリ」のページ
同サイトから。
今回の舞台は大山街道。渋谷をスタートし神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社を目指す旅!粋な江戸っ子の間で大ブームとなった「大山詣り」の魅力に迫る。渋谷・超高層ビルからの絶景&渋谷川は江戸の内と外の境界線?道玄坂、二子玉川の渡し船…江戸の旅人気分で行く2階建てバスツアー!大山の麓で江戸時代から続く宿坊にタモリ大興奮!江戸っ子同士の見栄の張り合いが生んだもの&大ブームの立役者とは?名物・大山豆腐に舌鼓
拙ブログを始めてすぐの2008年7月に、落語のネタとして、「大山詣り」について記事を書いた。
2008年7月25日のブログ
大山は現在の伊勢原市郊外の山である。別名を雨降山(あふりやま)。参詣先の神社は阿夫利神社。なんとその歴史は紀元前に遡る、らしい。阿夫利神社のホームページから抜粋する。
大山阿夫利神社のサイト
大山阿夫利神社の神社創立は、今から2200余年以前の人皇第10代崇神天皇の御代であると伝えられています。
大山は、またの名を「あふり山」という。あふりの名は、常に雲や霧を生じ、雨を降らすことからこの名が起こったといわれ、標高は、1251mで、関東平野にのぞんで突出している雄大な山容は、丹沢山塊東端の独立峰となっています。
阿夫利神社は、古代からこのあたりに住む人達の心のよりどころとなり、国を護る山・神の山としてあがめられてきました。
山野の幸をつかさどる水の神・山の神として、また、海上からは羅針盤をつとめる海洋の守り神、さらには、大漁の神として信仰をあつめると共に、庶民信仰の中心として、今日に及んでいます。
山頂からは、祭りに使ったと考えられる縄文時代の土器片が多く出土していて、信仰の古さを物語っており、 仏教が伝来すると神仏習合の山となり、阿夫利神社は延喜式内社として、国幣(こくへい)の社となった。武家が政治をとるようになると、代々の将軍たちは、開運の神として武運長久を祈られました。
引目祭・筒粥祭・雨乞い・納め太刀・節分祭・山開きなど、古い信仰と伝統に守られた神事や、神に捧げられる神楽舞・神事能・狂言などが、昔のままに伝承されており、全山が四季おりおり美しい緑や紅葉におおわれ、神の山にふさわしい風情で、山頂からの景色もすばらしく、多くの人達に親しまれ、常に参詣するひとが絶えません。
通常参詣のための登山は、中腹700メートルにある阿夫利神社の下社まで。
豊作祈願、無病息災、商売繁盛などの祈願のため、「講元」さんとか「先導師」「先達」(せんだつ)さんなどと呼ばれるリーダーによる「大山講」という組織が関東一円にでき、白装束の行者姿で集団で参詣することが多かったらしい。古今亭志ん朝の噺によると「博打」の神様でもあり、鳶の頭など博打好きな町人なども盛んに参詣したようだ。大山までは日本橋から18里、約70km。
大山まいりは一般的には「5泊6日」のコースが多かったらしい。
当時の長旅では一日に十里(約40km)は歩いたらしいから、距離をかせぐ旅ではなく、じっくり時間をかけた参詣の旅だったわけだ。
17年前、「旧東海道の『今・昔』」というホームページを参考にして、標準的な日程を紹介した。
残念ながら、同サイトは現在はなくなっている。
どんな旅程だったのか。
初 日:「お江戸日本橋七つだち~」ということで夏場なら午前3時頃に江戸を出発。大山街道を三軒茶屋・二子・溝ノ口と進み荏田か長津田宿で一泊。
2日目:下鶴間・海老名・厚木と歩き、伊勢原で二泊目。
3日目:目的の大山阿夫利神社に参詣した後、田村通り大山道で藤沢宿を目指し、夕方藤沢宿に着き三泊目。
4日目:江の島に入り江の島神社と岩屋を参詣した後鎌倉に向かい、鎌倉の寺と鶴岡八幡宮を参詣。その後、朝比奈切通しを抜けて金沢に向かい、六浦の景観を楽しんだ後、金沢八景の称名寺を参詣して、金沢宿で四日目の宿をとる。
5日目:最後の日は途中川崎大師を参詣して品川宿で五泊目の宿をとり、品川遊郭で精進落としをして、翌日江戸に帰ったようである。
ただし、四泊目あるいは五泊目は、落語のように神奈川宿泊まりというパターンも多かったのだろう。
旧暦6月27日から7月17日の間に参詣することを大山まいりと言うのが本寸法らしい。
今年の旧暦6月27日は新暦で7月21日なのだが、7月27日から「例大祭・夏季大祭始め」と神社のホームページに記されている。

旧暦と同様、「7」につく日にして分かりやすくしているのだろう。
落語の内容は今回は紹介しないので、ご興味のある方は、古い記事をご参照のほどを。
ブラタモリも、「べらぼう」人気で、江戸時代の題材を選んだのかどうかは分からないが、良いテーマだと思う。
志ん生。
熊五郎「だれがケンカなんてするもんかい!」(叩く仕草)
吉兵衛(先達)「そう言ってするんだよ、去年もそこを叩いてたよ」
「大山詣り」は数多くの噺家で聞いた演目ですが、なぜか今なお最も印象に残っているのは故・三笑亭夢楽師です。
私には珍しく、新宿末廣亭、芸術協会の興業の時でした。落語協会の若手四天王(志ん朝、先代柳朝、談志、五代目圓楽)に勝るとも劣らない上手さだったと思います。
ただ、大正生まれですから、若干上の世代という感じもしますが…。弟子の育て方も上手だったようですね。
先代の古今亭今輔に入門しながら、古典指向だったため、入門後僅か2年で八代目三笑亭可楽門下に移籍しています。
事情が異なりますが、一度廃業した故・桂歌丸も復帰時は今輔門下から兄弟子の故・四代目桂米丸門下に移籍しており、頑固一徹と言えど、先代今輔師は思いやりのある方だったのでしょう。入門したばかりの前座でも決して呼び捨てにはせず、必ず「さん」付けで呼んでいたそうです。
ブログを拝見して久々、夢楽師の噺を聞いてみたくなりました。地元の図書館にCDがあるかどうか、探してみます。
猛暑日に近い日々続きの仲、どうかご自愛ください。
ブラタモリも、なかなか粋な企画をしたと思います。
放送のあった土曜に渋谷とは、福さん、持ってる(^^)
私の『大山詣り』お薦めは、古い記事に書いたように、何と言っても志ん朝です。
六代目柳橋も、渋いです。
