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「あんぱん」における千尋の描き方のこと。


 NHK朝ドラ「あんぱん」は、戦中のシリーズが終わった。

 以前、やなせたかしの弟、柳瀬千尋は、バシー海峡で亡くなったことをご紹介していた。
2025年6月13日のブログ

 記事の題を、「あんぱん」は、バシー海峡をどう描くのか、としていた。

 バシー海峡は、描かれなかった。

 「あんぱん」では、崇の大陸での戦中の様子は、結構詳しく描かれたが、残念ながら、昭和19年12月30日に、バシー海峡で駆逐艦呉竹とともに沈んだ弟の千尋については、当時の戦況のことも戦場も描かれることはなかった。

 6月13日の記事でもリンクしたが、「現代ビジネス」に、柳瀬千尋と呉竹に関する記事が載っていた。
「現代ビジネス」の該当記事

 これが、呉竹の写真。

「あんぱん」における千尋の描き方のこと。_e0337777_09215127.png



 海戦を描くことの難しさや、あくまで主役は崇とのぶなので、やむを得ないとは思う。

 気になるのは、千尋は、「あんぱん」で描かれたような人物だったのか、ということ。

 崇、千尋が、のぶと幼馴染だったという、事実に反する設定から、いろんな無理が生じているような気がする。

 千尋が崇と最後に会った際、のぶが好きだったことを告げるなどは、必要な脚色だったのだろうか。


 文春オンラインに、梯久美子による評伝『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫)が紹介されている。
文春オンラインの該当記事

 崇と千尋のことを伺い知ることのできる部分を引用したい。
 原文同様に太字の部分を太くする。

 学生時代の仲間たちの写真を貼った嵩のアルバムの中に、京都帝大時代の千尋が実母の登喜子と写真館で撮った写真が貼られている。そこには、次のような文章が添えられている。

 ぼくのたった一人の弟は
 美少年です
 少し顔が長すぎるが
 なかなか写真でもきりりとしてるでしょう
 白いマフラーは野暮ったいが
 帝大生というものは余りお洒落ではありません
 母ちゃんと一緒に京都で撮った写真です
 母ちゃん旅でやつれています

 弟は今 海軍予備学生
 きりりとした短剣姿で立派だそうです
 ぼくも一眼みたいのですが
 弟は美少年でも女の人には余りモテません
 色気がないからです
 無作法で礼儀を知らぬからです
 女給さんと話すのにもむっつり難しい事を言います
 斗酒(としゅ)なお辞せず
 ヴァレリイと三好達治のファン
 優しい詩を作ります

 この弟にしてこの兄あり
 兄貴の小生は恥しい
 ああ 口に芸術を唱えながら
 一向に技倆(ぎりょう)これに伴わず
 親類一同 嵩さんにも困ったもんだ
 見ていろ今に偉くなるぞと
 心中やきもき
 たった一人の弟は
「兄さんはきっと偉くなる人だ」
 ああ有難う
 一生懸命やるよ
 負けるものか


 これを書いたときの嵩は中国に渡る前の二十代前半、千尋は海軍予備学生になったばかりである。嵩は青年期を迎えようとする弟の姿を愛情をこめて綴(つづ)っている。

 兄から見た弟の姿が、実に丁寧に書かれている。

 次に、崇も召集された後のこと。

 千尋が海軍予備学生として横須賀第二海兵団で基礎教育を受けていたころ、小倉の部隊にいた嵩に書き送った葉書がある。消印は昭和十八年十二月二十九日。戦死する一年前である。そこにはこんな一節がある。

「俺は兄貴の外に親身になって慰めてくれる人がいない。それだけに一寸(ちょっと)した慰めの言葉でお袋たちがどんなに嬉しがるかがわかる様な気がする」

 お袋たちというのは、育ての母である伯母のキミ、そして実母の登喜子のことだろうか。登喜子も再婚相手の男性に先立たれ、亡夫が遺した東京の家に住んでいた。

 葉書の文面はこう続く。

「皆一人ぼっちで淋しい人達ばかりだから手紙や一緒にいる時だけでも俺だけはしっかりした世話役が出来る様な格好をしていなけりゃならない。その実、俺もやはり子供の時の様に抱いてあやしてねかしつけてくれる人が欲しいのだが。一人前の男になった以上、之(これ)も仕方がない。兄貴は誰にも遠慮せずに甘えられるから羨しいと思うのはひがみかな」

 柳瀬家を支えなければという責任感の裏側に、さびしさと心細さがあったことがわかる。子どものころのように抱いてあやしてくれる人が欲しいというのは、嵩だけに打ち明けることのできた正直な思いだったに違いない。

 高知新聞に、千尋のことに関する記事がある。
高知新聞の該当記事

 「あんぱん」でも描かれたが、千尋は小倉の部隊に崇を訪ねている。
 しかし、その時に千尋が語ったのは、のぶへの思いではない。
 会ってもいないのだから、当然だ。
 
 引用する。
やなせさんは「兄貴は生きて絵を描いてくれ」と遺言めいた言葉を伝えられた、と書き残している。これが兄弟が過ごした最後の時間となった。

 やなせたかしにとって、この千尋の言葉が、その後生きる力になったのではなかろうか。


 「あんぱん」をご覧の方は、どう感じるだろうか。

 私には、千尋の写真に添えた崇の文章、千尋が崇に送った葉書の内容からは、どうしても「あんぱん」の千尋と同一人物とは思えないのである。


 「あんぱん」での千尋は、しっかり者で兄よりも強い人のように見える。

 実際は、もっと繊細な人で、兄を頼っていた内気な弟だったのではないだろうか。

 ヴァレリイと三好達治のファンで、優しい詩を作る千尋という人物造形をして欲しかった。


 もちろん、ドラマに脚色はつきもの。

 「そうきたか!」と思わせる脚色なら楽しめる。

 しかし、「それはないだろ!」という脚色には、がっかりする。


 戦後、高知新聞で初めて崇と暢が出会うのが事実。

 ドラマでは、どう描くか知らない。
 偶然の再会、なのか、のぶが崇に仕事を紹介するのか。


 ここまでの「あんぱん」は、戦前に崇とのぶが出会っているという事実に反する設定が気になってしょうがなかった。

 しかし、戦後は、大きく事実からの捏造はないだろうと思うので、まだ、撤退はしないつもりだ。

Commented by Ponchi at 2025-06-25 20:56
>小言幸兵衛様
 
 予想通り、弟・千尋氏の戦死に関する扱いはやはり、やなせたかし氏の帰還後になりましたね。

 検索したところ、千尋氏は格別二枚目という感じではありませんが、それなりに整った容姿の方でした。
 やなせたかし氏は弟・千尋氏に対してコンプレックスを抱いていたようですが…。

 今後は史実に基づいた展開になるのでしょうが、NHK側が脚本担当の中園ミホ氏の意向に反して暢さんを主人公にした理由がやはり今ひとつ解せません。以前にも書き込みましたが、2年前の「らんまん」と重なりすぎるという以外に何か訳があったのでしょうか。

 中園氏がやなせたかし氏を幼少時代から描きたかったのに対して、暢さんはやなせ氏と出会うまでの経歴が不明な点が多く、NHKとの折衝で幼馴染みという設定にしたようです。

 2020年度上期の「エール」も史実とは異なる点も多いのですが、それでも古関氏夫人、金子さんの幼少期はある程度はっきりしています。

 既に放映された部分に関しては目を瞑って今後の展開に期待するしかないのでしょうか。


 
Commented by kogotokoubei at 2025-06-26 07:32
>Ponchiさんへ

記事で書いた通りで、戦中までの脚色は、不満です。
千尋の死についても、戦中の映像を使って、バシー海峡の悲劇を少しでも補足して欲しかった。
戦争の描き方が、俗人的過ぎたように思います。
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by kogotokoubei | 2025-06-25 12:57 | ドラマや時代劇 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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