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河合敦著『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新書)より(29)


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河合敦著『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新書)

 さて、河合敦著『蔦屋重三郎と吉原』の二十九回目。

 同書は朝日新書から、昨年12月30日初版。
 副題は「蔦重と不屈の男たち、そして吉原遊廓の真実」である。

 <目次>
□はじめに
□Ⅰ 蔦重の原点は吉原にあり
□Ⅱ 田沼失脚と寛政の改革、そして蔦重の反骨
□Ⅲ 歌麿・写楽・北斎らを次々に世に送り出す
□Ⅳ 蔦重プロデュースの絵師・作家列伝
□おわりに

 いつものように、杉浦日向子さんの『江戸へようこそ』の巻末の表を参考のため拝借。
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杉浦日向子『江戸へようこそ』

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 鳥山検校が瀬川を身請けしたのが安永四年(1775)、借金まみれになった旗本の森忠右衛門が逐電したことを発端として、鳥山他の検校が就縛されたのが安永七年(1778)のこと。
 翌安永八年(1779)、鳥山も京都の惣録の下に身柄を移され、7人の検校の中では最も重い武蔵・山城・摂津・遠江より追放の上、解官・不座となった。
 重三郎が日本橋通油町に耕書堂を開店したのが、天明三年(1783)。
 十代将軍家治が亡くなり、田沼意次が老中の職を辞すのが天明六年(1786)。

 ということで、このシリーズは、「べらぼう」の今後の内容のネタバレにもなるので、ご留意のほどを。


 引き続き「第二章 田沼失脚と寛政の改革、そして蔦重の反骨」から。

 今回は、絵師の北尾政演(まさのぶ)、戯作者の山東京伝について。

 絵師としての才能を山東京伝(北尾正演)という人物のなかに見ていた重三郎だったが、迂闊にも戯作者としての才能は重視していなかった。
 ちなみに京伝がいつから作家として活動するようになったかは、じつははっきりしていない。安永七年(1778)に出版された黄表紙『開帳利益札遊合(かいちょういやくのめくりあい)』は挿絵だけでなく、文章も京伝が書いたという説があるが、否定する研究者も少なくないからだ。もし『開帳利益札遊合』の文章を京伝が書いたものなら、このとき彼は十八歳。いまでいえば高校三年生ぐらいなので、かなりの早熟といえるだろう。
 確実な京伝の初作は、それから二年後の美人の仇討ちを絵がいた『娘敵討古郷錦(むすめかたきうちこきょうのにしき)』と町人幸吉とおよねが駆け落ちして饅頭屋を開いて成功する『米饅頭始(よねまんじゅうのはじまり)』だとされる。二十歳のときの作品だ。これが好評だったのか、翌年(天明元年)から作家活動も本格化させた京伝は、立て続けに黄表紙を刊行していった。そして天明二年に出版した『御存商売物(ごぞんじのしょうばいもの)』が四方赤良(大田南畝)から高い評価を受けたのである。

『御存商売物』は「べらぼう」でも登場していたが、版元は鶴屋だった。

 「東京大学デジタルアーカイブポータル」から、『御存商売物』の画像を拝借。
「東京大学デジタルアーカイブポータル」の該当ページ

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 以前紹介したように、四方赤良は、黄表紙の評判記『菊寿草』を天明元年に出版しており、重三郎との縁も、同評判記で耕書堂から刊行された黄表紙や絵師、戯作者が高い評価を得て、蔦重がお礼に赤良を訪れたことだった。
 その翌年には『岡目八目』と題した評判記を出しており、その中で『御存商売物』が好評価を得たのだった。

 では、赤良が最高位とした京伝の『御存商売物』はどんな話なのか、簡単に紹介しよう。
 冒頭でこの本の作者だと名乗る人物(京伝)が登場し、「私は戯れに草双紙の絵を描いている者だが、いまだ子供たちになじみの薄い絵師なので、何か面白いものをご覧に入れようと考えていたところ、初夢で怪しい夢を見たので、ある版元にそれを話しにいった」と、あくまで夢であることを強調したあと、荒唐無稽な話に入っていく。

 作家自身が登場したり、擬人化をするなどは、当時の流行りでもあったが、同書は、とにかくそのあらすじが面白かった。

 当時、出版界で大きな力を持っていたのは上方の版元。そんな上方から下ってきた八文字屋の読本や行政(こうぜい)表紙の絵本などが」、江戸の赤本や黒本と結託し、大人気となっていた黄表紙や洒落本を貶めようとする話だ。当時は、黄表紙yや洒落本の流行によって、赤本と黒本は江戸で廃れてしまっていた。お話では、『源氏物語』や『唐詩選』といった格上の書籍が仲裁に入り、赤本や黒本は綴じ直され、八文字屋本などは下張りにされてしまうという顛末である。

 京伝が戯作者として陽の目を見たのは、この本であると言ってよいだろう。
 しかし、版元は、まだ鶴屋。

 蔦重とのタッグマッチは、その後に始まることになる。

 今夜の「べらぼう」は、蔦重の耕書堂が日本橋に進出する序章が描かれるようだ。
 日本橋進出は天明三年。
 『御存商売物』刊行の翌年のことだ。
 日本橋の耕書堂にとって、山東京伝は、重要な作者となっていく。

 その内容は、次回。

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by kogotokoubei | 2025-06-15 17:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛
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