脚色か創作かー「べらぼう」と「あんぱん」で思うこと。
2025年 05月 05日
昨夜の「べらぼう」では、その直前書いた記事で紹介した、意次の嫡男で若年寄の田沼意知(おきとも)と佐野政言(まさこと)が対面する場面が登場し、その後の事件を暗示しているようだった。
その後、佐野が意知を斬った事件は、その動機がはっきりしない。
系図がからんでいるという説もある。
真相が不明なことをどう描くか、脚本家の力の見せどころだろう。
森下佳子の脚本は、平賀源内の死に関しても、「ほう、そうきたか」と感心する筋書きだった。
対照的なのは、同じNHKの朝ドラ「あんぱん」。
会社が休みの日は見ているが、どうしても、事実との相違に疑問を抱いてしまう。
やなせたかしと奥さんの暢をモデル(モチーフ?)のドラマ。
江戸時代の史料の乏しい人物や事件ではなく、ご本人たちが語っていたり、文章に残した事実を確認できる。
高知で二人は、幼馴染という設定なのだが、実際に二人が出会うのは、もっと後のことだ。
Wikipedia「小松暢」から。
Wikipedia「小松暢」
女学校卒業後上京、そこで日本郵船勤務で高知出身の小松総一郎と出会い結婚。新婚早々夫は徴兵により召集され、暢は終戦を高知で迎えるが、夫・総一郎は帰還後病死。夫と死別後、高知新聞社に入社し、『月刊高知』の編集者となる。1946年に高知新聞が31人の応募者から採用した初の女性記者2人のうちの1人だった。同じ部署に数ヶ月後入社したやなせが配属され、それが二人の出逢いとなった。
戦後、初めて同じ職場で出会っている。
やなせの一目ぼれ、とのこと。
高知県香美市立の「やなせたかし記念館」サイトにある略年譜でも出会いの時期を確認。
「やなせたかし記念館」サイト

だから、今「あんぱん」で描かれているのは、本当は二人の接点のない時期のことであり、脚色と言うより、まったくの創作なのである。
もっと言うなら、ご本人たちにとっては存在しなかった歴史の捏造かもしれない。
見ていて、「それはないよなぁ」と思うから、楽しめない。
脚色の妙を楽しめる大河と、創作への疑問を抱く朝ドラ、なのである。
蔦重たちの話の方は追いかけられるけれど、田沼たちのもごもごはわからへんです。
たしかに、徳川家の人たちの科白はモゴモゴしているかもしれません。
音量上がるしかないかな。
あるいは、「ちゃんとはっきりしゃべりやがれ、べれぼうめ!」と言って、スッキリしましょうか(^^)
連続テレビ小説「あんぱん」は先に進むにつれ、史実に近くなっていくようです。
私も当初はフィクション部分が多く、少し違和感を感じましたが、これはこれでいいのかなとも思います。
2023年度上期の「らんまん」から僅か2年で再び高知が舞台になったのもある意味で意外でしたが…。
真偽の程は判りませんが、脚本担当の中園ミホ氏は当初、やなせたかし氏を主役にするつもりだったという話もあり、僅か2年で舞台が高知、さらに男性主人公では、ということも考慮されたのでしょうか。
古い作品では1984年度朝ドラが上期東京制作が「ロマンス」、下期大阪制作は「心はいつもラムネ色」で、2作連続男性単独主人公でしたし、翌1985年度下期大阪制作版は「いちばん太鼓」でやはり男性単独主人公。
2年間で4作中、3作が男性単独主人公でしたから、女性主人公に拘る必要もないと思いますが…。
「らんまん」も牧野富太郎氏を史実通りに描いていたら、非難囂々だったでしょうから、この程度の創作は許される範囲ではないかと個人的には思っています。
後で辻褄合わせすれば良し、とは私には思えないのです。
ご指摘の通り、過去の朝ドラ、大河でも事実との相違や疑問の脚色はありました。
だからいい、とは、私には思えません。
小言幸兵衛なので、お許しください^_^
