映画「NO OTHER LAND」が伝えること(1)
2025年 03月 27日
都内に遠征(?)し、ある映画を観て来た。
ということで、書くべき映画が増えたので、「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」の記事の最中だが、この映画の記事も始めることにした。
まず最初に、イスラエル人入植者に暴行を受け連行されていた、この映画の共同監督の一人、ハムダン・バラールさんが、釈放され、現在病院で手当てを受けていることを、本映画の監督兼出演者であるバーセル・アドラーのXで確認したい。
Hamdan has been released and is currently in the hospital in Hebron receiving treatment. He was beaten by soldiers and settlers all over his body. The soldiers left him blindfolded and handcuffed throughout of military base last night. pic.twitter.com/Eis0J3CS24
— Basel Adra (@basel_adra) March 25, 2025
バーセルは、こう伝えている。
ハムダンは釈放され、現在ヘブロンの病院で治療を受けている。彼は兵士と入植者によって全身を殴られた。兵士たちは昨夜、彼に目隠しをし、手錠をかけたまま軍事基地の中に放置していた。
これが、アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門を受賞した映画の監督に対する、イスラエル軍と入植者たちの仕打ちだった。
あらためて、映画のこと。
3月20日の祝日、映画「NO OTHER LAND」を観た。
こちらが、公式サイト。
映画「NO OTHER LAND」公式サイト
公式サイトから。
イスラエル軍による破壊行為と占領が今まさに進行している、ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区<マサーフェル・ヤッタ>。
本作は、この現状をカメラに収め世界に発信することで占領を終結させ故郷の村を守ろうとするパレスチナ人青年バーセル・アドラーと、彼に協力しようとその地にやってきたイスラエル人青年ユヴァル・アブラハームの2人による決死の活動を、2023年10月までの4年間に渡り記録したドキュメンタリーだ。
監督は、彼ら自身を含むパレスチナ人2人・イスラエル人2人による若き映像作家兼活動家の4人。「イスラエル人とパレスチナ人が、抑圧する側とされる側ではなく、本当の平等の中で生きる道を問いかけたい」という彼らの強い意志のもと危険を顧みず製作された。
スマートフォンや手持ちカメラを使用した、そこで暮らす当事者だからこそ捉えることのできた至近距離からの緊迫の映像で、住民たちが家や小学校、ライフラインを目の前で破壊され強制的に追放されていく、あまりに不条理なパレスチナの現実をあぶりだしていく。
予告編。
パンフレットを買った。

この映画を観るまでは、パレスチナでイスラエルが何をしているか、ほとんど知らなかった、と言っていい。
ニュースで知ることができるのは、ほんの一部である。
映画を観て、公式サイトやパンフレットを確認するまで、いかに自分がイスラエルとパレスチナのことを知らなかったことかと、恥じ入るばかり。
あらすじを書く前に、まず、ガザとヨルダン川西岸について確認したい。
公式サイトからコピーしたイスラエルの地図と、この映画の舞台であるマサーフェル・ヤッタ。

こちらは、パンフレットの地図。

ヨルダン川西岸で、パレスチナが行政や治安維持権限を握っている場所は、飛び飛びで散らばっている。
もっとも色の濃いA地区は、行政も治安維持権限もパレスチナ。
しかし、薄いグレーのB地区は、行政はパレスチナで、治安維持権限はイスラエル。
ほとんど色のないC地区は、行政も治安維持権限もイスラエル。
マサーフェル・ヤッタは、C地区である。
だからと言って、イスラエルが好き放題して良いはずはない。
少し歴史を振り返る。
1967年の第三次中東戦争(通称「六日戦争」)で勝利したイスラエルは、エジプトからシナイ半島とガザ地区、ヨルダンからヨルダン川西岸と東エルサレム、そしてシリアからゴラン高原を占領。
後に東エルサレムとゴラン高原は併合し、シナイ半島も82年にエジプトに返還され、ガザ地区とヨルダン川西岸地区にはパレスチナ人自治の地域、いわゆるパレスチナ自治区が存在するようになった。
1993年にイスラエルのラビン首相とPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長の間で交わされたオスロ合意に基づき、 翌年、ヨルダン川西岸地区は、ガザ地区と共に「パレスチナ自治区」になった。
しかし、ヨルダン川西岸地区は面積の60%以上がイスラエルの軍事支配下に置かれ、 常に厳しく監視されている。
また、各地に多くのイスラエルの入植地が作られている。
そういう地であることを前提として、映画を振り返りたい。
ドキュメンタリーなので、必ずしも映画の進行に合わせて内容を書くことはないと思うが、できるだけ、記憶のあるうちに、記していこうと思う。
ここからは、ネタバレになるので、ご留意のほどを。
(1)バーセルとユヴァル
この映画の監督であり主役の一人であるバーセルが生まれ育ったマサーフェル・ヤッタは、19世紀から地図に載る、パレスチナ人の町。
しかし、イスラエルの裁判所は、20年に及ぶ裁判に決着をつけ、この地を軍の射撃訓練場にすることを認めた。
イスラエルは、軍を送り込んで、裁判所命令を盾に、マサーフェル・ヤッタに住むパレスチナ人の住居を破壊している。
バーセルは幼い時からカメラを回し、パレスチナでイスラエルが何を行なって来たかを記録し、発信してきた。
予告編から。

父も母も、イスラエル軍に対して抵抗する姿を見て、育った。
彼の最初の記憶は5歳の頃、活動家の父親が逮捕されたことに始まる。
母親も活動家で、バーセルは7歳で初めてデモに参加。
故郷を破壊し続けるイスラエル軍に対し、マサーフェル・ヤッタの村人たちは、大人から子どもまでが抗議の声を上げ、土地と生活を守る闘いを続けてきた。
バーセルは子どもの頃から、それらをカメラに収め、世界に発信してきた。
そんな彼のもとに、自国イスラエルの破壊行為に心を痛めた、エルサレムを拠点に活動しているジャーナリスト、ユヴァル・アブラハームがやって来て、協力を申し出た。
パンフレットから。

(2)繰り返されるイスラエル軍の破壊活動
バーセルのスマホに、イスラエル軍が家を壊しに来た、という連絡が入る。
バーセルとユヴァルが、車でその地へ向かう。
イスラエル軍が、ブルドーザーでパレスチナ人の家を破壊している。
予告編から。

毎週のように、次々と家を破壊するイスラエル軍。
バーセルと行動を共にするウヴァル。
しかし、バーセルの父さえも、イスラエル人であるウヴァルを信用することはできなかった。
予告編から。

次回は、バーセル自身への攻撃について。
