河合敦著『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新書)より(15)
2025年 03月 24日

河合敦著『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新書)
河合敦著『蔦屋重三郎と吉原』の十五回目。
同書は朝日新書から、昨年12月30日初版。
副題は「蔦重と不屈の男たち、そして吉原遊廓の真実」である。
<目次>
□はじめに
□Ⅰ 蔦重の原点は吉原にあり
□Ⅱ 田沼失脚と寛政の改革、そして蔦重の反骨
□Ⅲ 歌麿・写楽・北斎らを次々に世に送り出す
□Ⅳ 蔦重プロデュースの絵師・作家列伝
□おわりに
引き続き、第二章「田沼失脚と寛政の改革、そして蔦重の反骨」から。
いつものように、杉浦日向子さんの『江戸へようこそ』の巻末の表を参考のため拝借。

杉浦日向子『江戸へようこそ』

ちなみに、鳥山検校が瀬川を身請けしたのは、安永四年(1775)である。
昨日の「べらぼう」で描かれた、『明月余情』は安永六年(1777)年の刊行。
蔦重が朋誠堂喜三二に序文を依頼し、勝川春章が吉原の祭(俄)の様子を描き、売れに売れた。
ようやくネットで「オミーを探せ」と話題になっていた尾身としのりが、佐竹藩の江戸留守居役である平沢常富(つねまさ)、筆名朋誠堂喜三二であることが、判明。
同じ安永六年には、蔦重の耕書堂から出た華道書『手毎(てごと)の清水』に喜三二が序文と跋文を書いている。
安永七年には蔦重が次郎兵衛の店の四軒隣に店を構えるが、その翌年から、喜三二の『廓花扇之観世水(くるわのはなおうぎのかんぜみず)』『鐘入七人化粧(かねいりしちにんけしょう)』『龍都四国噂(たつのみやこしこくのうわさ)』を次々に刊行することになる。
では、本書のこと。
前回は、蔦重自らが狂歌を作り、連を主催することで、四方赤良たち狂歌師との人脈を築き、その後の狂歌本の刊行につながったことをご紹介した。
では、その重三郎の狂歌本について。
中でも特筆すべきものが天明五年に刊行された『狂歌百鬼夜狂』である。
これは「百物語」で詠んだ狂歌を本にしたものだった。「百物語」というのは、みんなで集まって怪談を紹介しあう遊びである。一人ずつ順番に怪談を披露していき、百話終えたとき本物の化物が現れるという言い伝えがあり、江戸時代は怪談話を楽しむのが人気の娯楽になっていた。今回は「百物語」にならって一人一人が怪物にまつわる狂歌を披露していくという趣向の集まりが開かれた。もちろん、企画したのは蔦屋重三郎だろう。このときは四方赤良を筆頭に宿屋飯盛、唐衣橘洲、唐来参和、平秩東作、山東京伝など十六人の名だたる狂歌師が一同に会し、よく知られている化物に関する狂歌が詠まれていった。
たとえば紀定麿(きのさだまる)は「雪女」をお題として、
「白粉(おしろい)にまさりてしろき雪女、いつれけしやう(化生/化粧)のものとこそみれ」
と詠んでいる。
「白粉顔より白いという雪女だが、化生のものが化粧しているのだろうか」
このように、化生と化粧をかけたのだ。
重三郎が企画した百物語と狂歌のマッチングは好評だったようで、その後、いくつも同じような百物語の狂歌集が刊行され、幕末には化物の挿絵を入れた狂歌絵本が話題をさらった。このほか重三郎は、百人一首、人気俳優など特定のテーマで狂歌会を開催、狂歌師たちが詠んだものを編集しては狂歌本として発行していった。
企画した方もそうだが、その趣向に乗った狂歌師も、なんとも遊び心に溢れているし、その創作力も優れている。
早稲田大学図書館のサイトから、『狂歌百鬼夜狂』のPDFをダウンロードできる。
早稲田大学図書館サイトの該当ページ

これが四方赤良による序。


紀定麿の「雪女」は、最初のページで、二首目に登場する。

江戸の人びとが、この狂歌本を読んで笑っていたと思うと、昨日の記事でも書いたが、江戸時代の庶民の教養の高さを、あらためて感じる。
さて、重三郎は、吉原細見、往来物、富本の正本、黄表紙、そして狂歌本と次々とヒットを飛ばし、『狂歌百鬼夜狂』刊行二年前の天明三年(1783)には、日本橋に進出している。
その後も重三郎の挑戦は続いているが、その内容については次回。
