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映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」について(5)


 今日は会社は休み。
 カミさんは仕事。
 洗濯をしてから、ユウを膝に乗せて、ブログを書く。


 映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」の五回目。

 この映画の公式サイト。
映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」公式サイト

 故あって、予告編は割愛。

 ディランの名を世に知らしめた二枚目のアルバムとその中の一曲について、記事を書いた。
2025年3月7日のブログ

 その記事ですでに書いたように、この映画は、1961年から65年までという短い期間を描いている。

 なお、ネットで脚本を見つけたので、参考にしたい。
A COMPLETE UNKNOWN script

<主なスタッフ>
□監督:ジェームズ・マンゴールド
□製作:フレッド・バーガー、ジェームズ・マンゴールド、アレックス・ハインマン、
    ボブ・ブックマン、ピーター・ジェイセン、アラン・ガスマー、ジェフ・ローゼン、
    ティモシー・シャラメ
□脚本:ジェームズ・マンゴールド、ジェイ・コックス
□撮影:フェドン・パパマイケル
□美術:フランソワ・オデュイ
□衣装:アリアンヌ・フィリップス
□編集:アンドリュー・バックランド、スコット・モリス
□音楽プロデューサー:ニック・バクスター
□音楽監修:スティーブン・ギジッキ

<主なキャスト>
□ボブ・ディラン:ティモシー・シャラメ
□ピート・シーガー:エドワード・ノートン
□シルヴィ・ルッソ:エル・ファニング
 ※ルッソはディランの当時のガールフレンド、スージー・ロトロをモデルにしている。
  ディランは映画で彼女の実名を使わないよう要求した
□ジョーン・バエズ:モニカ・バルバロ
□ジョニー・キャッシュ:ボイド・ホルブルック
□アルバート・グロスマン:ダン・フォグラー
□アラン・ローマックス:ノーバート・レオ・ブッツ
□トシ・シーガー:初音映莉子
□ウディ・ガスリー:スクート・マクネイリー
□アル・クーパー:チャーリー・ターハン
□ジョン・ハモンド:デヴィッド・アラン・バッシ
□マイク・ブルームフィールド:イーライ・ブラウン
□デイヴ・ヴァン・ロンク:ジョー・ティペット

 あらすじの中で、補足説明や感想なども加えて書いていこうと思う。

 なぜなら、歌や歌手、あの頃の文化など、あまりにも説明したいことが多いから。

 この先はネタバレになるのでご了解のほどを。

 前回までご紹介したあらすじの見出し。

(1)ある曲からの始まり
(2)ヒッチハイクでニューヨークへ
(3)連邦裁判所
(4)ケトル・オブ・フィッシュ・バーにて
(5)連邦裁判所前
(6)グレイストン病院
(7)ピートの車
(8)ハドソン渓谷のピートの家
(9)タウンホールのコンサート

 その後。

(10)Gerdes Folk Cityのジョーン・バエズ
 グリニッジ・ヴィレッジのマーサ―・ストリートを、長い黒髪の女性が、ギターを持って歩いている。
 角を曲がり、Gerdes Folk Cityのオープンを待つ客が大勢いる中を、通り過ぎる。
 ファンから「ジョーン! ジョーン!」の声がかかる。
 ドアを開けて中に入るジョーン・バエズ。
 ドアが閉まると貼ってあるポスターにこう書かれている。
 “西海岸からジョーン・バエズ PM10時開演!”

 ジョーンが小さな楽屋に入ると、マネージャーのアルバート・グロスマンが部屋の隅に座っていた。
 「あと5分だ、ジョーン」と言ったアルバートが続ける。
 「タイムズのボブ・シェルトンがいる。ジョン・ハモンドが来ている。コロンビア・レコードだ」
 ジョーン「レーベルはいらないわ。あるいは、マネージャーもね。早く出て行ってくれる」

 ステージで歌うジョーン・バエズ。
 曲は、「朝日のあたる家」だ。
 澄んだ声に、酔いしれる観客。
 その歌には、哀愁が漂っていた。
 満席のクラブの後方で、関係者と話をしているジョン・ハモンドに、アルバートが近づこうとする。
 歌っているジョーンが客席にピートの姿を見つけ、その横にいるディランと目を合わせた。
 ジョーンは、マイクを遠ざけ、後半は、アンプを通さない生の声で歌い上げた。

 司会者が「ジョーン・バエズでした、皆さん!」と言うと、熱狂的な拍手。
 ジョーンは楽屋に向かう際、ピートとすれ違った。
 ピートが声をかける。
 「素晴らしかったよ、ジョーン、感動的だ」 
 ジョーン「ありがとう、ピート」
 ピート「紹介しよう、友人のボビーだ」
 デイランがジョーンに手を差し出し、二人は握手。
 ディランが言う。
 「いい仕事してるね」
 ジョーン「ありがとう」

(11)Gerdes Folk Cityのボブ・ディラン
 司会者が、ピート・シーガーを紹介する。
 ピートが、拍手の中を登場。
 「皆さん、少し前、ウディと僕は、ある若者に会ったんだ。
  その瞬間、ウディも僕も、感じたんだ。
  その気持ちを今夜は皆さんと分かち合いたい。
  皆さん、ボブ・ディランです」
 ディランが登場し、スツールに座る。
 ディラン「ありがとう、ピート。こんなふうに歌うのは、ニュージャージー以来だ」
 ギターをチューニングする。
 「ジョーン・バエズは素晴らしい」
 観客の拍手。
 ジョーンは、後ろの方で聞いている。

 ディラン「僕が書いた曲。気に入ってもらえるといいんだけど」
 「I was young when I left home」を歌い始めた。

  I was young when I left home
  But I been out a-ramblin’ ‘round
  And I never wrote a letter to my home
  To my home, Lord, to my home
  And I never wrote a letter to my home
  It was just the other day
  I was bringing home my pay
  When I met an old friend I used to know

 ピートが、嬉しそうにしている。
 ジョーンもアルバートも、シェルトンも聞いている。
 観客も、ウディとピートと同様の衝撃を感じているようだ。

  ※Gerdes Folk Cityについて。
   1960年にオープンした時は、レストランだった。
   その後、ライブ会場となり、フォークの殿堂的な存在になった。
   1987年に閉店。

   ニューヨークの音楽的な名所を掲載しているPopSpotsから写真を拝借。
「PopSpot」サイトの該当ページ

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  ※「I was young when I left home」について。
   初期のアルバムには収録されていない。2005年に公開された、マーティン・
   スコセッシ監督によるドキュメンタリー映画「ノー・ディレクション・ホーム」
   のサウンドトラックに、1961年12月22日にミネソタ州ミネアポリスで録音
   された「ミネソタ・ホテル・テープ」が収録された。
  ※「ノー・ディレクション・ホーム」は、ディランが1961年1月にニューヨーク
   に到着してから、1966年7月のオートバイ事故によるツアーからの「引退」
   までの期間に焦点を当てている。対象期間が、本映画と似通っており、
   比較しての論評も少なくない。


(11)コロンビア・レコード
 大きなビルの前でタクシーを降りたディラン。
 ビルから、アルバートが飛び出してきて言う。
 「君にとって、2時とは?」
 ディラン「ジョン・ハモンドにとって2時?」
 アルバート「もう、3時5分過ぎだ!」
 急いでビルの中に入った二人がエレベーターで上がる。
 アルバートがニューヨーク・タイムズを持っている。
 記事をアルバートが読み上げる。
 「聖歌隊の少年とビートニクを掛け合わせたようなディラン。
  ギターを弾くときは、才能に満ち溢れている」
 アルバート「絶賛記事だ」

(12)コロンビアのレコーディング・スタジオ
 ジョン・ハモンドがいる。
 収録が進む。
 ブルース・シンガーのブッカ・ホワイトの曲「Fixin' to Die」だ。
 テイクが重なっていく。

  Feeling funny in my mind, Lord,
  I believe I'm fixing to die, fixing to die
  Feeling funny in my mind, Lord
  I believe I'm fixing to die

 ハモンド「もう一回、やってもらえるか?」
 
 コントロール・ルームでアルバートがアート・ディレクターの横に立ち、アルバム・ジャケットの校正刷りを見ている。
 ディランが、ギターのネックを抱いている写真。
 アルバートがハモンドにささやく。
 「ディランは、オリジナルも持っている。いい曲だよ」
 ハモンドが言う。
 「今のところは、伝統的なレパートリーでいく」

   ※「Bob Dylan」:最初のアルバムは、名前をタイトルにした。

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   1961年11月20日と22日で収録。1962年3月にリリース。
   だから、最初のGerdes Folk Cityでの演奏からは、少し時間が経って
   いる。全13曲のうち、ディランのオリジナルは、“Talkin' New York”と
   “Song to Woody”の2曲のみ。
   Dave Van Ronkのアレンジによる“House of Risin' Sun”も収録された。
   ちなみに、後に、アニマルズで大ヒットするのも、同じDave Van Ronk版
   を元にしていた。
   ディランの初アルバムは大ヒットとはならなかったが、その後につながる
   第一歩ではあった。


 その後、ある女性との出会いがあるが、次回のお楽しみ。
 

 英語版Wikipedia“Gerdes Folk City”に、同クラブに出演したことのあるミュージシャンが紹介されている。
Wikipedia“Gerdes Folk City”

 一部を拙訳でご紹介。

ゲルデス・フォーク・シティは、1960年代のフォーク・ロックや70年代のシンガー・ソングライターの多くが初めてその歌声を披露した場所である。ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、ザ・ママス・アンド・ザ・パパス、ザ・バーズ、ザ・ラヴィン・スプーンフル、ザ・ヤングブラッズ、エミルー・ハリス(彼女はこのクラブでウェイトレスもしていた)、ジョニ・ミッチェル、フィービー・スノウ、ラウドン・ウェインライト3世など、後にスターとなる多くの有名人が出演した。

 ということで、訃報に接したジェシ・コリン・ヤングが1965年に結成したヤングブラッズも出演歴がある。
 
 60年代のグリニッジヴィレッジでボブ・ディランと同じ空気を吸っていた、同年齢ジェシ・コリン・ヤングの歌をご紹介したい。
 後年、ソロになってからのライブだが、私の好きな“Sunlight”だ。
 一つの記事に一つしかYouTubeは掲載できないので、今回予告編は割愛した次第。

 1976年のライブアルバム「On the Road」に収録されているヤングブラッズ時代のこの曲は、アルバムの一曲目。
 このアルバムは、ポートランドやシアトルで行ったライブが音源。

 やさしい、心が休まるボーカルを聴きながら、彼を偲びたい。


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by kogotokoubei | 2025-03-19 11:00 | 映画など | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛
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