映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」について(4)
2025年 03月 18日
映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」の四回目。
この映画の公式サイト。
映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」公式サイト
予告編。
ディランの名を世に知らしめた二枚目のアルバムとその中の一曲について、記事を書いた。
2025年3月7日のブログ
その記事ですでに書いたように、この映画は、1961年から65年までという短い期間を描いている。
なお、ネットで脚本を見つけたので、参考にしたい。
A COMPLETE UNKNOWN script
<主なスタッフ>
□監督:ジェームズ・マンゴールド
□製作:フレッド・バーガー、ジェームズ・マンゴールド、アレックス・ハインマン、
ボブ・ブックマン、ピーター・ジェイセン、アラン・ガスマー、ジェフ・ローゼン、
ティモシー・シャラメ
□脚本:ジェームズ・マンゴールド、ジェイ・コックス
□撮影:フェドン・パパマイケル
□美術:フランソワ・オデュイ
□衣装:アリアンヌ・フィリップス
□編集:アンドリュー・バックランド、スコット・モリス
□音楽プロデューサー:ニック・バクスター
□音楽監修:スティーブン・ギジッキ
<主なキャスト>
□ボブ・ディラン:ティモシー・シャラメ
□ピート・シーガー:エドワード・ノートン
□シルヴィ・ルッソ:エル・ファニング
※ルッソはディランの当時のガールフレンド、スージー・ロトロをモデルにしている。
ディランは映画で彼女の実名を使わないよう要求した
□ジョーン・バエズ:モニカ・バルバロ
□ジョニー・キャッシュ:ボイド・ホルブルック
□アルバート・グロスマン:ダン・フォグラー
□アラン・ローマックス:ノーバート・レオ・ブッツ
□トシ・シーガー:初音映莉子
□ウディ・ガスリー:スクート・マクネイリー
□アル・クーパー:チャーリー・ターハン
□ジョン・ハモンド:デヴィッド・アラン・バッシ:
□マイク・ブルームフィールド:イーライ・ブラウン
□デイヴ・ヴァン・ロンク:ジョー・ティペット
あらすじの中で、補足説明や感想なども加えて書いていこうと思う。
なぜなら、歌や歌手、あの頃の文化など、あまりにも説明したいことが多いから。
この先はネタバレになるのでご了解のほどを。
前回までご紹介したあらすじの見出し。
(1)ある曲からの始まり
(2)ヒッチハイクでニューヨークへ
(3)連邦裁判所
(4)ケトル・オブ・フィッシュ・バーにて
(5)連邦裁判所前
(6)グレイストン病院
(7)ピートの車
では、その後のこと。
(8)ハドソン渓谷のピートの家
ウディが入院していたニュージャージーの病院からピートの車でマンハッタンに帰って来る際、ピートはハドソン渓谷にある家に来るようにディランを誘った。
ピートが裁判所に立ち寄った後、ディランを乗せたピートの車は、ハドソン渓谷を北上した。
※Wikipedia「ピート・シーガー」に、ディランと初めて会った1961年当時、シーガーの連邦法廷での写真があった。
Wikipedia「ピート・シーガー」

ピートがログハウスの家の前に車を止めた。
家からピートの妻トシが出て来た。
ピートが言う。
「トシ、こちらはボビー。ウディに会いに来たんだ」
トシ「今晩わ、ボビー」
ログハウスに驚き、トシの微笑みにうなずくディラン。
家の中へ入り、周囲を見回すディラン。
ピート「自分で建てたんだ。木材を一本ずつね。数年前、配管を追加した」
トシが毛布をソファに運ぶ。
ロフトからディランを見つめる少女たち。
ピートが言う。
「寝る時間だよ」
ピートが、ディランに、「また、朝会おう」、と告げる。
煙草を吸おうとするディランに、トシが「できれば、外で」と言い、
外のベランダで一服する。
寝室の窓から煙草を吸うディランを見て、ピートがトシに言う。
「彼は、今日、ウディというヒーローに会って興奮している」
ピートが続ける。
「とんでもない曲を聞かせてくれた」
ハドソン川の朝焼け。
ディランは居間で座り、ギターを弾き、ノートに書き留めている。
キッチンでは、トシが料理をつくり、テーブルでは、パジャマ姿の三人の女の子が、朝食を食べている。
不思議そうに、三人がディランを見ている。
ディランが、歌う。
If you're travelin' in the north country fair.
Where the winds hit heavy on the borderline.
※ “Girl from the North Country”(「北国の少女」)だ。
後に、二枚目のアルバム「The Freewheelin'」に収録される。
ピートが部屋に入って来た。
微笑むトシに視線を送るピート、ピートと目が合うディランは、歌い続ける。
歌い終わり、5歳のティンヤが沈黙を破る。
「いい、スタートね」
補足したい。
ピートの家は、マンハッタンから車で1時間半ほど、ビーコンの町の近く。
これが、googleから拝借した地図。
googleの該当地図

ハドソン渓谷の入り口あたり、と言えるかもしれない。
ピートは、後年、ビーコンで積極的に市民運動を行なった。
ビーコンは、1970年代以降、工場の閉鎖など経済的に停滞したが、1990年代後半に美術館のディア・ビーコン(Dia:Beacon)が完成し、芸術を起点に活気を取り戻した。
これが、Wikipedia「ハドソンバレー」から拝借した渓谷全体の地図。
Wikipedia「ハドソンバレー」

真ん中あたりに、Kingstonという町がある。
その少し北にボブ・デイランが住んだ街、ウッドストックがある。
有名な名前だが、1969年8月に開催された、あのウッドストック・フェスティバルは、サリバン郡のべセルで開かれた。
Wikipedia「ウッドストック・フェスティバル」から、べセル周辺の地図を拝借。
Wikipedia「ウッドストック・フェスティバル」

あのフェスティバルがウッドストックで開かれたと勘違いしている人のために、Wikipediaから文章もご紹介。
このロック・フェスティバルは、アルスター郡ウッドストックにおけるアート・ムーブメントに関連して名付けられた。主催者となった若者達は、ボブ・ディランなど往年の歌手やアーティストたちが暮らすウッドストックに自分達のレコーディング・スタジオを設立する資金集めの目的で、このロック・コンサートを企画した。
会場は、近郊のサリバン郡ベセルのロシア系ユダヤ人個人農場主マックス・ヤスガーが所有する酪農農場になった。この一帯は、「キャッツキルバレー」と呼ばれるアメリカインディアンの共同居住区(保留地ではない)である。
ボブ・ディランは、フェスティバルに出ていない。
ウッドストックの家に不法侵入してくるファンやパパラッチがイヤになっていたので、もし出演したら、余計にそういう人物が増えるという思いが、辞退の理由と言われている。
少し長くなったが、ディランがピートの家を訪問したことが、その後、ハドソン渓谷に自分も住むきっかけだったと思うので、補足した次第。
(9)タウンホールのコンサート
ディランがピートのログハウスに招かれてから、約一か月後。
タウンホールのコンサートのステージにバンジョーを抱えたピートがいる。
舞台の袖で見ているディラン。
観客にコーラスの仕方を説明しているピート。
実際に手本で歌ってみせるピートの後を満席の客も追いかける。
「いい響きだ!」とピート。
ディランは、夫と客席を見つめながら微笑んでいるトシを見ている。
ピートの出番が終わり、舞台袖に来て、水を飲み、汗を拭く。
そして、ピートは言う。
「君を連れて行かなきゃ」
二人は、タウンホールを後にした。
その後については、次回。
ヤングブラッズのメンバーでその後はソロで活躍したジェシ・コリン・ヤングの訃報に接した。
ディランと同じ1941年生まれ、83歳。
好きなミュージシャンだった。
「The Hollywood Reporter」サイトの該当記事
