河合敦著『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新書)より(7)
2025年 02月 02日

河合敦著『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新書)
少し時間が空いたが、河合敦著『蔦屋重三郎と吉原』の七回目。
同書は朝日新書から、昨年12月30日初版。
副題は「蔦重と不屈の男たち、そして吉原遊廓の真実」である。
<目次>
□はじめに
□Ⅰ 蔦重の原点は吉原にあり
□Ⅱ 田沼失脚と寛政の改革、そして蔦重の反骨
□Ⅲ 歌麿・写楽・北斎らを次々に世に送り出す
□Ⅳ 蔦重プロデュースの絵師・作家列伝
□おわりに
引き続き、「蔦重の原点は吉原にあり」から。
前回は、蔦重にとって重要な商売仲間(敵?)である鱗形屋のことをご紹介した。
その前にご紹介したが、書物問屋には株仲間があるが、地本問屋には、それはない、ということが今夜の「べらぼう」でも明らかにされた。
今回は、重三郎にとって重要な役割を果たす平賀源内のこと。
重三郎が「吉原細見」の改訂(あらため)である『嗚呼御江戸』(安永三年)の序文を源内に依頼したのは、すでに「べらぼう」でも紹介済み。
筆名は、福内鬼外(ふうちきがい)と、遊んでいる。
本書から引用。
有名なエレキテルの復元・興行は、それから二年後のことだが、すでに源内の名は、万能の天才として世の中に知れ渡っていた。物産会の主催や鉱山開発、洋画(西洋画)の指導を行い、さらには燃えない布である火浣布(かかんぷ)や寒暖計・歩数計・磁針器などを次々と発明し、世間をたびたび驚かせていた。
この平賀源内は、享保十三年(1728)に高松藩の足軽の家に生まれた。幼いことから非常に聡明であり、十二歳のとき、天神を描いた掛け軸に御神酒を供えると顔が赤くなる「おみき天神」と称するカラクリを発明し、天狗小僧の異名をとっている。
父が没すると平賀家を継ぐが、どうしても学問で身を立てたいと思い立ち、二十七歳のとき妹・里与の婿養子に従弟の磯五郎を迎え、彼に平賀家を継がせて江戸へのぼった。そして、本草学者の田村藍水(らんすい)(元雄-げんゆう-)に師事したのである。神田に生まれた江戸っ子の藍水は、市井の町医者だったが、やがて本草学の世界へ進み、朝鮮人参の国産化や諸国の有用な物産調査などで業績をあげ、のちに幕府の医師となって二百石を給された人物だ。
本草学とは、薬用になる動植物や鉱物の形態や薬効、産地などを研究する学問である。
やがて源内は、師の藍水を主催者として宝暦七年(1757)に日本で初めての薬品会を開いた。いまでいえば、物産展示即売会である。これが大いに評判となり、源内は以後、自分が主催者となってたびたび薬品会を開くようになった。この噂が高松藩に届くと、宝暦九年、藩で源内を正式な藩士(四人扶持)として召し抱えたのである。
意外にも、源内は、出身の高松藩の侍となったのだ。
源内、三十二歳の時のこと。
しかし、藩士として束縛されることは、源内の性に合うはずもなく、宝暦十一年(1761)に、藩籍を抜ける(武士をやめる)と藩庁に申し出たのだが、なかなか応じてもらえなかった。
ようやく半年後に許可が出たものの、「仕官御構い(おかまい)」という条件を飲まされた。
これは、幕府や他藩への再就職を禁止する、ということだった。
今夜の「べらぼう」で、重三郎が、「田沼様のもとで仕事をすればいいのに」と源内に言うが、源内が、この「仕官御構い」のため幕府や他藩に仕官できないと答えていた。
けれど、この頃の源内は、「他家に仕官せずとも、自分は学者としてやっていける」という自信を持っており、その条件を受け入れて士籍を離脱したのである。三十四歳のときのことであった。
その後の源内については次回。
私は、平賀源内から、ある、昔のテレビドラマを思い出す。
NHKで、昭和46年(1971)10月8日から昭和47年(1972)9月29日に渡って、金曜日午後8時より放映されたテレビ時代劇、『天下御免』だ。
高校生だった。
あの番組については、林隆三を偲ぶ記事でふれたことがある。
2014年6月9日のブログ
平賀源内役は、山口崇。林隆三は小野右京之介という役。
稲葉小僧を演じる秋野太作(当時は津坂匡章)との三人が中心のドラマだった。
他のキャストも渋く、田沼意次を仲谷昇が演じた。
杉田玄白役は坂本九だ。
落語界からは三遊亭圓生が北々斎という役で出演していた。
「べらぼう」のおかげで、昔のテレビドラマが、どれだけ優れていたことか、そんなことも思うのである。
「天下御免」、懐かしいですね。私が小6から中1にかけての頃の番組でした。
小6の頃は足立区西新井~竹ノ塚の中間地点(駅は西新井が最寄りでした)周辺に住んでいました。中1の4月下旬に板橋区高島平に引っ越しましたが、小中学生の間でも人気番組でしたね。
当時の都知事だった美濃部亮吉氏も出演したことがありました。ゴミ問題に関する内容の回だったような気がします。
山本直純氏作曲のテーマ音楽に合わせてバックに黒鉄ヒロシ氏の絵が映りながら出演者のクレジットが流れていたのを思い出します。残念ながら、NHKには当時のフィルムは残っていないそうですが…。
早坂暁氏脚本のドラマでは1981年頃(大学時代でした)に始まった吉永小百合主演の「夢千代日記」もよかったですね。
懐かしいですね。
大河でもないのに、1年間40回以上続きました。
早坂暁の脚本も良かったでし、キャスト、スタッフ、皆が優れていたからこそでしょう。
「べらぼう」と、同じ時代が舞台です。
早速のご返信、ありがとうございます。
ハナ肇、谷啓も出演していました。ナレーションは水前寺清子でしたね。
調べてみたら、昨年11月に他界した火野正平(当時は本名の二瓶幸一)も出演していたようで、驚きました。
『にっぽん縦断 こころ旅』に復帰が叶わず、残念です。
芸達者な俳優さんによる豪華なキャスティングでしたね。
林隆三も秋野太作もそうですが俳優座の「花の15期生」仲間の太地喜和子も出演していました。
ちなみに、15期生は、他に、竜崎勝、原田芳雄、地井武男、夏八木勲など、早々たるメンバー。
今、ドラマの顔ぶれに、そのような「役者」さんは少ない。
いわば「タレント」ばかりです。
