森永卓郎著『書いてはいけない』(三五館シンシャ)より(19)
2025年 01月 23日

森永卓郎著『書いてはいけない』
『書いてはいけない』の十九回目。
本書は、森永卓郎さんが、前著『ザイム真理教』刊行の際に苦労して探した出版社、三五館シンシャから2024年3月20日初版。
副題は、「日本経済墜落の真相」である。
<目次>
□まえがき
□第一章 ジャニーズ事務所
□第二章 ザイム真理教
□第三章 日航123便はなぜ墜落したのか
□第四章 日本経済墜落の真相
□あとがき
引き続き、「第四章 日本経済墜落の真相」から。
これまで、日航123便墜落の後、日本経済は、まずプラザ合意による急激な円高に見舞われ、立て続けに、日米半導体協定という名の不公平な内政干渉で、疲弊したことをご紹介した。
日航123便墜落の真相に関し、高い「口止め料」をアメリカに支払ってきたが、それだけでは、済まなかった。
日米間で、1989年から1990年までの2年間、5回にわたって、日米構造協議が行なわれた。日米構造協議は、英語で、Structual Impediments Initiativeと言い、中央官庁に間では頭文字をとって「SII」と称された。SIIの目的は、日本の市場開放を進めるために日本が抱える構造的障壁を取り除くというものだった。これはまさにアメリカのやりたい放題だった。日本の市場にちょっとでも気に入らないところがあると、アメリカは「構造的障壁だから撤廃せよ」と主張するのだった。
当時、私はシンクタンクに勤めていて、この交渉のお手伝いをしていた。日米交渉自体は政治家と官僚がやるので、私はそのための資料を作ったり、資料を運搬したりすることがおもな業務だった。要は「使い走りの小僧」だ。
日本に私のような「小僧」がいるのと同じく、アメリカにも「小僧」がいる。彼らと話しているとき、アメリカの小僧が私にこう言った。
「交渉のはずなのに、なぜ日本は全部アメリカの言いなりになんでもかんでも受け入れるんだ?」
私は答えに窮してしまった。
そして、この対米全面服従は、さらなる被害を日本経済に与え続けていくことになる。
被害の象徴は、バブルとバブル崩壊である。
プラザ合意による超円高で、深刻な景気後退が始まったため、日本政府と日銀は財政出動と大胆な金融緩和を行なった。
とはいえ、財政政策の面で、公共事業費の伸びは、1986年が3.9%、1987年が5.1%、1988年が5.5%で1989年は▲0.4%なので、高いとはいえ、とてつもないとは言えない。
また、公定歩合は、それまで5.0%だったのを1986年1月に4.5%に引き下げてから徐々に下げ、1987年2月に2.5%にまでなったものの、つい最近までゼロ金利だったことを考えると、大転換、とは言えない。
そのなかで、日経平均株価は1985年末に1万3118円だったのが、1986年末に1万8701円、1987年末に2万1564円、19988年末に3万159円、1989年末に3万8915円と、株価は4年間で約3倍に値上がりそた。
不動産価格も急騰した。全用途平均の市街地価格指数(2010年3月末=100)は、1985年に159.4だったのが、1990年には46%高の233.3となり、翌1991年には257.5と最高値となった。
三井住友信託銀行のサイトから、為替と日経平均のグラフに象徴的な出来事が添えられた一覧表をダウンロードできるが、出来事部分を除いてグラフだけを引用したい。
三井住友信託銀行サイトの該当資料

青い線が為替で目盛りは右、赤い線が日経平均で目盛りは左。
1985年以降、まさにバブル。
世間では、財政出動と日銀の金融緩和がバブルをもたらしたと言われていて、私もそうだと思っていたのだが、財政出動の規模はたいしたものではないし、公定歩合も2.5%まで下げただけた。それでバブルになってしまうなら、近年のゼロ金利政策はもっと大きなバブルを引き起こしているはずだ。
では、なにがバブルを引き起こしたのか、については、次回。
昨日、西山朋佳女流3冠(白玲・女王・女流王将)の、プロ棋士編入試験5番勝負の最終局が行なわれた。
結果、先手の柵木(ませぎ)幹太四段に敗れ、対戦成績が2勝3敗となって、史上初の「女性棋士」の誕生はならなかった。
日刊スポーツの該当記事
こちらは、Abema将棋チャンネルの途中の画像。
Abema将棋チャンネル

100手近くで、形勢やや不利な状況で考慮中の様子。
この後、次第に先手有利となっていく。
奨励会時代から勝ったことのない柵木幹太四段が、一手間違えば逆転がありえた終盤にミスなく指し続けての勝利。
これが、終局一手前の盤面。

投了となった☗9四銀も、それ以外では大逆転だったのだが、慌てず仕留めた。
西山女流三冠が、付け込む隙を見せなかった。
残念だが、個性的な振り飛車党で、豪快な棋風の西山女流三冠には、ぜひ、また挑戦してもらいたい。
