大河「べらぼう」に、蜀山人は出ないのか!?
2025年 01月 02日
「へーぇ、撮影が絶賛されているんだ!?」と、桂枝雀の何かのネタのマクラを思い出した。
枝雀独演会のチケットが「絶賛発売中」と表現されており、「独演会まだやのに絶賛されるん!?」というようなことをマクラで話していたことがあった。
さて、Wikipediaによると、蔦屋重三郎は、寛延三年一月七日(1750年2月13日)生まれ、 寛政九年五月六日(1797年5月31日)没。
Wikipedia「蔦屋重三郎」
また、このようにWikipediaでは記されている。
安永3年(1774年)に北尾重政の『一目千本』を刊行して以降、江戸日本橋の版元として化政文化隆盛の一翼を担い、大田南畝、恋川春町、山東京伝、曲亭馬琴、北尾重政、鍬形蕙斎、喜多川歌麿、葛飾北斎、東洲斎写楽など多数の作家、浮世絵師の作品刊行に携わった。本姓は喜多川(生誕時の本姓は丸山)、本名は柯理(からまる)。通称は「蔦重」「重三郎」といわれる。号は蔦屋、耕書堂、薜羅館など。商標は「富士山形に蔦の葉」とされた。自ら狂歌、戯作の制作も行っており、蔦唐丸(つたのからまる)と号した。
関係者の中で、最初に名前が出ているのが誰か、ご確認のほどを。
江戸時代が舞台だが、番宣でも説明があったように、この時代は初めてかもしれない。
私が気になるあの人物を誰が演じるか。
ということで、NHKの同ドラマのサイトで、キャストに大田南畝、別名、蜀山人役は誰か探したら、見当たらない。
NHKサイトの該当ページ
大田南畝の名は、次のように、狂歌仲間の平秩東作の説明にあったものの、南畝自身のキャストは、今のところ、サイトに存在しない。
平秩東作/木村 了
へづつ・とうさく/きむら・りょう
平賀源内(安田 顕)の相棒であり戯作者・狂歌師
内藤新宿の煙草屋を営む一方、炭焼きや材木商などさまざまな事業を手がける「山師」であり、平賀源内の商売仲間。戯作者・狂歌師といった顔も持ち、大田南畝とも親交を持つ。源内の死後、田沼意次(渡辺 謙)の政策に深くかかわるようになり、意次の蝦夷地開発のきっかけをつくることになる。
拙ブログでは、平岩弓枝著『橋の上の霜』について記事を書いたことがある。
その中で、蔦屋の名が登場するのが次の三回。
2018年11月18日のブログ
2018年11月19日のブログ
2018年11月25日のブログ
蜀山人、あるいは、四方赤良、本名大田直次郎が、吉原は松葉屋の三穂崎を身請けする時に、その身請け代を払ったのは、蔦屋重三郎である。
以前の記事から、少し確認。

平岩弓枝著『橋の上の霜』
2018年11月25日の、『橋の上の霜』の五回目の記事から。
ある五月雨の日、内藤新宿の平秩東作の家で月末の狂歌会があるので、直次郎は出かけた。
そこには、敵対する狂歌師である唐衣橘洲が来ていた。
直次郎と三保崎を争った隠居を弔うために、三穂崎を身請けし尼にしようとしている旗本高木市太郎の肩を持つ橘洲は、最近の高木家の幽霊ばなしのことを話題にするのだった。
「神楽坂のさる旗本の隠居が、吉原の振袖新造に入れあげて、そいつの腹の上で極楽往生を遂げたそうな」
菅江と木網が制したが、橘洲はかまわず続けて。
「女に未練が残って、隠居はどうにも行くべきところにたどりつけぬ、幽霊になってまで三保の松、三保の松とわめき散らし、あげくの果は、その女の情夫にたたろうという勢いなそうな」
「およしなされませ、橘洲先生」
ぴしっと遮ったのは元木網で、
「お若い先生をおからかいなさるのも、よい加減になさいませ。四方先生には奥様もお子もおありのこと、なんで、そのような女子とかかわりをお持ちなさいますものか」
橘洲が高笑いをした。
「そうともよ、四方どののお内儀は良妻賢母、それに四方どのに優るとも劣らぬ策士じゃでな」
腹の虫を押さえていた直次郎が、橘洲の言葉に眉を上げた。
「我が家の女房が策士とな」
「はてさて、まことに騙されたか」
いよいよ面白そうな橘洲が、
「幽霊ばなしを信じたのか」
がんと横面をひっぱたかれたような気がした。
「戯作者は高木どのの妹、七江どのじゃ。それに、貴公のお内儀が一役、買って、女と貴公が手を切るようにもちかけた。流石、四方どののお内儀、近頃、評判の山東京伝よりも役者が上じゃよ」
雨の中を直次郎はとび出した。
ずぶぬれになって帰宅した直次郎は、妻を殴った。
父の吉左衛門が息子を奥へやって、母が着がえの世話を焼いているところへ、駕籠で浜辺黒人がかけつけて来た。
直次郎は会わなかったが、吉左衛門に今日の顛末を語って戻って行ったらしい。
やがて、直次郎の書斎へ吉左衛門が利世と里世を伴って入って来た。
「浜辺黒人どのから話はきいた。実は、わたしも知っていたのだ」
思いがけない父の言葉に、直次郎は再び、かっとなった。
「こんなことになるのではないかと、女どもをとめたのだが、それ以外に、そなたを三穂崎という女から遠ざける法はあるまいといわれてな。止むなく、知らぬふりをして居ったのだ」
直次郎が打ちのめされたのは、妻も両親も三穂崎の名を知っていたことである。
直次郎の心中、いかばかりか。
おろおろと母が泣いた。
「今度のことは、高木様からきいて来たのは里世さんだが、そうするように勧めたのは、この私なのですよ。母がこうしてあやまります。許してたもれ」
父の吉左衛門も息子をなだめた。
「女子の無分別とは思うが、里世の気持ちも察してやれ、女子は夫だけが頼りなのだ。お前に女が出来たと知って、どのように苦しんだか・・・・・・」
なにをいわれても、直次郎の怒りは鎮まらなかった。
「ともかくも、手前は三穂崎を身請けいたします。こうなっては、あとにはひけません」
直次郎の揺れる思いに、この幽霊騒動が背中を押した、ということか。
翌朝、直次郎は松葉屋を訪ねた。
そこには、偶然にも高木市太郎の妹、この度の幽霊騒動の仕掛け人と言える七江も来ていた。三穂崎の妊娠の噂を聞きつけて確認に来たのだった。
追って、大文字屋の主人、加保茶元成や蔦屋重三郎も集る。
七江に直次郎は、三穂崎の子は必ずしも直次郎の子とは言えないが、それでも身請けするかと聞かれた。直次郎、「幽霊ばなしに騙されて、惚れた女を断念したとあっては、手前の男が立ちません。この上は刀にかけても三穂崎は手前の手活けの花とします」と、七江に向かって言い放つ。
七江も高木家で身請けすることを、諦めざるを得なかった。
身請けの金大半は、作品の前金ということで蔦屋重三郎が出してくれることになった。
三穂崎は、引き続き加保茶元成の別荘、逍遥亭に留まることとなり、直次郎は、三穂崎を身請けすることができた。
しかし、この身請けが、先々直次郎の身に大きな不幸を呼び込むことになる。
直次郎は、三穂崎のいる逍遥亭に入り浸りとなり、自宅にはほとんど帰らなくなった。
妻の里世は、精神状態に狂いが生じ、とうとう、近くの神社の楠の大木に丑の刻まいりをすると願いが叶うという噂を聞き、毎夜、藁人形に釘を打ち付けるという行動に出た。
平秩東作がその姿を確認し直次郎に告げる。
直次郎が深夜その里世の姿を認め、家に連れ帰り、深く里世に謝り、ようやく自宅に戻るのだった。
しかし、そうなると、三穂崎が、直次郎を憎むのも必然。
その心労もあったのだろう、三穂崎は流産。
という内容だった。
ということで、蜀山人の人生にとって、蔦屋は欠かせない。
では、蔦屋の人生にとっても大きな存在である大田直次郎は、登場するのか否や。
登場するなら、いったい誰が演じるのか、そういったことも楽しみではある。
昨日、「べらぼう」の番宣を視ました(MC昇太と小池栄子)。
べらぼうといえば、先代柳朝の勇みっぷりを思うため、配役に落語家が・・・ありません(苦笑)
石坂浩二が偉大なプラモヲタということを知りました。「元禄太平記」が懐かしい。
文化人の視点から江戸の歴史の実相を描出する、そんな大河になるんでしょうか。
>蔦唐丸(つたのからまる)
別号はペギー葉山みたいですね。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
そうなんですよ、落語家は残念ながらキャスティングされていません。
文化・文政の「化政文化」は、1804年からが文化なので、蔦重没後。
その文化が花開く土台をつくった人物の一人、ということですね。
ペギー葉山に座布団一枚!
