筒井康隆著『敵』を読み直す(5)
2024年 11月 20日

筒井康隆著『敵』の五回目。
本書を原作とする映画が、東京国際映画祭の最高賞、最優秀監督賞(吉田大八)、最優秀男優賞(長塚京三)を受賞したと知り、本棚から24年前に読んだ文庫を取り出して読み直した次第。
こちらが、同映画の公式サイト。
映画「敵」公式サイト
「Story」を引用。
渡辺儀助、77歳。
大学教授の職を辞して10年―妻には先立たれ、祖父の代から続く日本家屋に暮らしている。料理は自分でつくり、晩酌を楽しみ、多くの友人たちとは疎遠になったが、気の置けない僅かな友人と酒を飲み交わし、時には教え子を招いてディナーを振る舞う。預貯金が後何年持つか、すなわち自身が後何年生きられるかを計算しながら、来るべき日に向かって日常は完璧に平和に過ぎていく。遺言書も書いてある。もうやり残したことはない。
だがそんなある日、パソコンの画面に「敵がやって来る」と不穏なメッセージが流れてくる。
来年1月の封切りだ。
映画のネタバレになるので、知りたくない方は映画をご覧になってからお立ち寄りのほどを。
こちらが、文庫の目次。

今回は「鷹司靖子」の章から。
講義の時いちばん前の席にひとりで座って常ににこにこ笑いながら儀助の話に頷いている女子学生がいた。それが鷹司靖子だった。いちいち頷くのだから演劇に詳しくそして好きなのだろうと思っていたが案の定演劇記者志望であることをあとで知った。彼女は三年間彼の講義に出ていたが一年目は可愛い娘と思っていただけだった。二年目は大学の演劇研究会にる彼女が公演の招待状を持ってきたので彼女の出演するペーター・ヴォイスの「塔」を学内の講堂へ見に出かけた。「塔」は放送劇を舞台化した不条理劇で猛獣使いの役だった彼女は役者としては実に不器用で可愛いだけが取り柄だった。この時には小人の役で儀助も知っている侏儒の学生が出演していたのに驚いたのが唯一の感銘といえる。三年目には鷹司靖子がしばしば夢の中にあらわれた。その頃にはもう彼女と学内外で会うようになっていた。
一見、華族のような名前の女性の登場。
なお「侏儒」とは、背丈が並外れて低い人のこと。
筒井は、あえて、別な表現を避けたののかもしれないし、この言葉を使いたかったのかもしれない。
引用を続ける。
卒業したのち彼女は女性雑誌の記者となり主に映画演劇など芸能一般を担当した。小劇場運動が盛んになってきた頃だったがたまに欧米の古典劇近代劇が上演されると彼女は儀助に解説原稿を依頼してきて共に観劇した。彼女が仕事がらみでなくても儀助の家へやってくるようになったのはそれ以来で最初は出版社が近かったせいもあり月に一、二度来ていた。その時ですら儀助は彼女がもっと頻繁に来てくれればいいと思っていたのだが恋人でもないのにそんな要求はできず別れ際に感情を籠めて「またいらっしゃい」と言うのが精精だった。
鷹司靖子の実家は鎌倉で、父親が画廊を経営していた。
そして、画廊に出入りしていた画家と二十八歳で結婚し、儀助の結婚式に呼ばれた。
しかし、二年半後、靖子は儀助を訪ね、離婚したと告げた。
彼女は、老齢の父に代わり画廊を経営している。
年に二、三度彼女は手土産を提げて儀助の家に立ち寄るのだがその回数は次第に間遠になり昨年などはあろうことか一度も来なかった。老父の世話で忙しいのだろうかそれとも病気かと心配するが便りもない。愛しているがゆえに気軽に電話をかけることもできない。今年になってやっと「ご無沙汰しています。近々一度伺います」という文面の賀状が届いた。鷹司靖子は今三十七歳。可愛いだけだった若い頃よりもずっと美しくなっている。
靖子が儀助宅を訪れる時は、儀助の好物、果物なら柿、などを提げてやって来て、食堂で珈琲を飲みながら互いの近況を話し、その後、靖子は庭の草むしりをしたり、儀助が手の行き届かない家のあちこちを掃除してくれる。
その間に、料理が得意ではない靖子に代わって儀助が夕食の用意をする。
夕食では、焼酎やバーボンや酒やビールを飲みながら、昔の話に花が咲く。
今でも靖子は丸顔で常に潑としたような大きな眼をしている。眼は下瞼(したまぶた)が底辺の三角で目尻が少し上がっている。普段は吃とした表情をしているが笑うとまことにあでやかになり花が咲いたようだ。背は儀助より数センチ低いだけで痩せようが肥ろうが華奢に見える上流家庭の女特有の体つきをしていて柔らかそうな肉づきだ。極めてモダンな観音さまと言うべき美しさになってきた。十四、五年前は一緒に芝居や映画に見に行き学内で評判になり「先生のペット」だのと噂されたにかかわらず教え子であることや年齢差を前提とする抑制が彼女を性の対象と看做さなかったのだが年齢差はそのままなのに彼女の美しさは今や儀助にいたたまれぬ悩ましさを感じさせる。横座りしていた彼女が発と立ち上がる時など瞬時白い腿が見えて動悸動悸する。時には自分を誘惑しているのではと疑えることを言ったり表情をしたり時にはからだに触れてきたりもする。信頼しきっているからなのかどうか儀助には不明だ。今となっては老け過ぎたというより金がなくなったため彼女に結婚を申し込むことはできなくなったがもっと早くに求婚していえば案外承諾してくれたかもしれない。妻が死んで十年以上経っていたのになぜ彼女が結婚する前に或いは離婚した直後に申し出なかったのかと悔やまれる。しかしその時は考えもしなかったのだ。
いつも最終電車で帰る靖子に、数年前から儀助は「遅いから泊っていきなさい」と言おうか逡巡する。
しかし、実行しことはない。
儀助は、夢の中で、その言葉を発する。
靖子は躊躇いもなく「はい」と答える。
この章は、次のように締めくくられている。
夢のことだから省略があり横には寝具が敷かれている。彼は黙って彼女を抱きしめそのまま布団に横たわる。夢ゆえに抑制はなく節度もない。もしかするとこれは夢かもし知れぬと思うから尚さらである。儀助は気ぜわしく彼女の下着を脱がせる。彼女がまるで少女にようにからだを固くしているのでますます夢という実感が湧いてくる。挿入しても何の感覚もない。少しでも快感を得ようと努力する中で儀助は目醒めた、
あのような楽しい夢を見ることができるのは即ち自制心が存在するからではないかと儀助は思うのだ。またいつかあんな夢を見るだろうことを楽しみにしよう。それにしても鷹司靖子はいつ来るのだろうか。
儀助という男にとって靖子の存在は、実に大きい。
読んでいて、いつ来るのだろうか、などど私も思っていた。
次回は、「八畳」と「郵便物」をご紹介する予定。
本書は、43の章で構成されている。
今回は、その7番目。
「敵」の章は23番目。
あまり、ネタバレはしないようにと思っているが、本書において重要な情報技術が、SNSである。
そういう面で、本書も『東海道戦争』や『48億の妄想』と同じような路線にあると言える。
しかし、これ以上は明かさず、今後のお楽しみとしたい。
私も、デビューから断筆までの前期の作品の方が好みです。
他に『俗物図鑑』という傑作もありました。
宮田輝などタレントが国会議員になることを予知した作品でもありました。
さまざまな現象、兆候を元にそれを極端にシミュレーションしてみせる技術に卓越していますね。
