筒井康隆著『敵』を読み直す(2)
2024年 11月 14日

筒井康隆の『敵』を原作とする映画が、東京国際映画祭の最高賞、最優秀監督賞(吉田大八)、最優秀男優賞(長塚京三)を受賞したと知り、本棚から24年前に読んだ文庫を取り出して読み直した。
こちらが、同映画の公式サイト。
映画「敵」公式サイト
「Story」を引用。
渡辺儀助、77歳。
大学教授の職を辞して10年―妻には先立たれ、祖父の代から続く日本家屋に暮らしている。料理は自分でつくり、晩酌を楽しみ、多くの友人たちとは疎遠になったが、気の置けない僅かな友人と酒を飲み交わし、時には教え子を招いてディナーを振る舞う。預貯金が後何年持つか、すなわち自身が後何年生きられるかを計算しながら、来るべき日に向かって日常は完璧に平和に過ぎていく。遺言書も書いてある。もうやり残したことはない。
だがそんなある日、パソコンの画面に「敵がやって来る」と不穏なメッセージが流れてくる。
来年1月の封切りだ。
映画を観る前に、原作を振り返る記事の二回目。
映画のネタバレになるので、知りたくない方は映画をご覧になってからお立ち寄りのほどを。
こちらが、文庫の目次。

前回は、第一章「朝食」からご紹介した。
では、次の「友人」に進む。
今儀助がいちばん親しく交際しているのは彼の友人の中でもっとも新しい友人だ。湯島定一は六十三歳で職業はグラフィック・デザイナー、乞われれば演劇やバレエの舞台装置もやる。儀助がまだ大学教授だった十八年前に福岡の演劇学校から招かれて講演をした時の講師仲間に湯島がいた。家が近くだったので知りあってしばらくは頻繁に行き来し外食や酒を共にしたりもしたが最近はごくたまに湯島が訪ねてくるか商店街で出会って珈琲を飲む程度のつきあいになった。湯島も今は業界最前線にいるデザイナーではなくなってしまったので互いに話題が尽き、会っていても退屈になってきたのはしかたのないことだ。それでも彼は儀助より十歳以上も年下だから礼儀を欠くことなく旅行に出れば必ず土産物を持ってきてくれ中元歳暮の贈答も欠かさない。
「朝食」の章で、一日で唯一白飯を食べる朝食の、もっとも好きなおかずは鮭の切り身だが、他に中元歳暮で贈られるハムや焼き豚、ソーセージなどの詰合せもおかずになるとのことだったが、湯島定一の贈答品も、その中に含まれるのだろう。
他の、過去の友人のこと。
その時代その時代に儀助には必ず世話焼きの友人が存在した。大学生時代の玉田というまるで遊び人のような学友はさまざまな遊び場に儀助を連れていって奢り、時には賭場にまで誘ったりして儀助を辟易させ、さらには知り合いの女子大生数人を紹介したその場でこの中から好きな子を選べなどと言って困らせたりもした。非常勤講師仲間だった道井も次つぎに女性を紹介してくれ、好きな女性がいるなら橋渡しをしてやると言って儀助が何も言わぬうちから勝手に呑み込み某教授令嬢と喫茶店で会わせるなど仲人まがいの世話を焼き続けたものだった。大学を移り結婚してからは教授仲間の大久保という人物が「ナベさん、ナベさん」と慕い寄ってきて学内事情に疎い儀助の面倒を見、儀助の好みの教え子の女性たち数人を集めたパーティを設けたりもした。ある時などは大学教授にあるまいことか便所で小便をしている儀助のうしろにしゃがみこんで汚れるからとズボンの裾を折り返してくれたことさえある。なぜ自分に多くのそのての友人ができるのか儀助にはわからなかったし彼らがなぜ自分のような者に尽くすのかその気持も理解できなかった。どちらにしろ儀助は学問上の功績が何もない彼らを敬愛することはできなかったし今では彼らの誰とも年賀状だけのつきあいである。
友人たちが女性なら、儀助が「母性本能をくすぐる」存在で、何かと面倒を見てくれた、ということもあろうかと思うが、男性となると、「父性本能をくすぐ」って、何かと世話を焼きたくなる、そんな存在だったのだろうか。
玉田、道井、大久保より若く、今も関係が続く友人もいた。
もっと若い友人としては教授時代初期の教え子の椛島(かばしま)光則がいる。先生先生と慕ってきてもう三十年以上になるがこの痩せぎすで自分の作った会社を倒産させてばかりいる実業家はどうやら古典的な師弟関係という封建的ロマンに酔っている節もあり自ら仕向けて儀助に無理難題を言わせてそれに従うことを楽しんでいる。
椛島の師匠への献身ぶりは半端じゃない。
儀助の書庫の整理をし、専門以外の哲学文学心理学などの書を売りに行ってくれたのだが、希望の売値50万円という金額を儀助から聞き出し、リストを元にまる二日かかって50万円で買う古書店を見つけてきた。
儀助が礼に一割渡そうとしても、椛島は頑として受け取らない。
儀助は、実は50万円では買い手がなく、椛島が差額を埋めたのではないかとも思っていた。
また、夏の盛りに椛島が持参した西瓜を食べながら儀助が、「こんな時候には毎朝井戸水で顔を洗いたいものだ」と何気なく言ったのだが、椛島は、例によって「戯羅痢眼を光らせ」て「じゃあ先生庭に井戸を掘りましょう」と井戸掘り名人を探し出して掘り始めたものの、水脈はなかった。職人の日当は椛島がほとんど払った。
椛島は、演劇の小道具作りの小さな会社を作り今は落ち着いているらしいが、儀助への尽くし方は、単なる師弟関係を超えるものだった。
そういった「友人」たちの次の章は「物置」。
古いものがいっぱい積みあげてあっていちばん奥まではここ二十年入っていない物置が玄関のすぐ左手にある。四坪もある物置を父親がなぜそんな場所に作ったのか儀助にはわからない。抽出(ひきだし)の中には衣装道楽だった妻の服が入っている古箪笥がふたつ今やそこまで到達するには整理処分力作業などに数日はかかるであろう東の壁際にある。家の北側の前栽(せんざい)に向けて小さな格子窓があるがそれは掛け軸や絵皿や花器や漆器の箱が棚に乗った大きな本箱で隠れている。やや値打ちのあるものと思えるのはそれぐらいだ。
妻の洋服は、一流ブランドが多かったが、時代遅れで価値がありそうになく、例外はその中の二着が、椛島が探していた「十五年ほど前のイヴ・サン・ローラン」なる舞台衣装に適合して役に立ち、僅かに金になった。
加えて、椛島の発案で、妻の形見分けということで、親戚や知人に案内状を出し、一着千円という値で、洋服箪笥の中のものを八畳間に並べて即売会を行ったところ、十万円になった。
本箱の棚の書画骨董の箱にどんなものが入っているのか確認はしていないが出してみればそれらはすべて儀助の記憶にある懐かしいものばかりである筈だ。その中には法事の際によく掛けられて子供のころからずっと不気味に思っていた仏法僧や、五月人形を飾ってもらった頃の鎧兜の掛け軸もあるのだろう。玄関の床の間に掛ける四季の掛け軸はこれらとは別に四畳半の押入の最上段にあってしばしば掛け替えているが儀助の二十五年ほど前の判断ではこれらがいちばん価値の高いものだった筈。数年前の美術年鑑を持っているので、一度物置の掛け軸を調べてもいいと思うのだが何しろ本箱に到達するまでの労苦を思うと肛門がむず痒くなる。
これらの書画骨董や古箪笥のふた棹は、古道具屋に売ればいい値になるかもしれないし、椛島もそう言うのだが、儀助はこう思うのだった。
物置に先祖代代の古いものがぎっしりあって死ぬのと全部売り払って死ぬのとでは死ぬときの心の豊かさが違う筈と想像できる。あの物置が素過素過で死ぬのは惨めだろうなあ。何よりもそれらを売り払ってしまった自分の無惨さ、老後の安楽さへの執着と長生きへの執念が惨めだし、それらの無惨さは自分が安楽に長生きをすればするほど自分に牙を剥いて襲いかかってくるていのものに相違ないのだ。
そう考え、それが言い訳ならちょうどいい具合ではないかと儀助は思う。物置をそのままにしておく怠惰は持ち物を売り払ってまで金を得ようとはしない矜持と両立するしそれは共に精神的貴族のものだ。
矜持、精神的貴族などとは別で、物置の書画骨董を売り払った金で長生きをしていては、夢にご先祖様が出てきて自分を責めるかもしれないという恐怖感も、儀助にはあったのかもしれない。
ともかく、四坪の物置には、多くのものが残っていた。
規則正しい朝食、過去および現在の友人、物置の詳細な記述の後に続く「講演」は次回。
最近、テレビドラマ「不適切にもほどがある!」のことを書く中で、筒井康隆が過去に断筆したことや、今、若者の間で筒井作品が読まれていることを紹介した記事に、アクセスが増えている。
以前も書いたが、高校から大学にかけ当時の筒井作品は概ね読んでいたが、最近はご無沙汰であった。
カミさんに命じられた断捨離のせいで、筒井作品は本棚に残り少なくなったが、『敵』は難(?)を逃れて良かったと思うし、あと数冊になった文庫も読み直している。
久しぶりに筒井ワールドに浸るのも、悪くないと思っている。
「農協月へ行く」のようなタイトルもユニークで、
太宰治、大江健三郎とともにタイトルがコピーのようで楽しい。
追伸
ジャズドラマーのロイ・ヘインズが亡くなりました。
若き日、銀座69(ローク)で「ウイ・スリー」のA面を聴いて感激、
後日、神保町「響」で「ウイ・ゼア」と読み間違いでリクエストして赤面した記憶があります。
たしかに、私の学生時代も人気はありました。
また、ユニークなタイトル自体が笑えました。
書き出したらキリがないので、やめときます(^^)
ロイ・ヘインズで思い出すのは、「サラ・ヴォーン・ウィズ・クリフォード・ブラウン」です。
どうしても、ブラウニーがらみになってしまいます。
