投票したくても出来なかった有権者のこと。
2024年 10月 28日
そして、何も他のことを付け加えなかった。
内容が散漫になると思ったからだ。
人によって、関心事は違う。
残念ながら、選挙に関心がない人もいる。
それより、大谷の怪我が心配、という人が、昨日は多かっただろう。
逆に選挙に大いに関心があっても、投票に行けなかった人もいる。
復興をそっちのけで選挙に走った石破自民党のせいで、能登の有権者の多くが、投票することができなかった。
中日新聞から。
中日新聞の該当記事
石川3区 投票率 輪島11.95ポイント、珠洲は9.51ポイント減 投票所減、投票時間も短縮
2024年10月28日 05時05分 (10月28日 05時05分更新)
石川3区の投票率は62・50%で、前回から3・59ポイント減った。特に被害の大きかった輪島市は58・92%(前回比11・95ポイント減)、珠洲市が62・04%(9・51ポイント減)と大幅に落ち込んだ。両市では投票所を減らしたり、投票時間を短縮したりした。 (高橋信、谷口大河)
投票時間が6時間短縮された珠洲市大谷地区では27日午後3時、防災無線で「(投票時間は)大谷地区は午後4時まで。その他の地区は午後6時までです」と放送が流れた。その後は地区の投票所の大谷小中学校を訪れる人はほとんどいなかったが、午後3時58分、団体職員吉田峰生さん(65)が「待ってー」と声を上げながら駆け込み、投票を済ませた。「天気もどうなるか分からなかったし、時間短縮は仕方がない」としつつも「期日前投票に行けばよかった」と話した。
自宅が全壊し、同市の仮設住宅で暮らす無職糸矢(いとや)光雄さん(85)はこの日、慣れ親しんだ投票所に歩いて向かったが、誰もいなかった。今回は隣町の公民館に集約され、投票所ではなくなっていた。
投票するにはきつい坂がある往復約8キロを自転車で走る必要があり、断念した。「地元のために働いてくれる人に投票したかった。残念だけど、どうにもならん」と肩を落とした。
投票所の減少、投票時間の短縮は、憲法第14条の「平等権」に抵触しないのだろうか。
結果として、立憲民主が石川三区を制した。
しかし、もっと多くの方が投票できていれば、自民党候補との差は拡大したはずだろうし、比例で野党の票も伸びたに違いない。
映画「幻の光」の原作で、能登の自然や人々についての描写を読んで、一層、今回の選挙が非人道的な所作だと感じた。

宮本輝著『幻の光』
引用する。
原作では、ゆみ子が再婚した民雄は、旅館の厨房に勤めていた。
そして、民雄の家でも民宿を営むようになり、その仕事に追われることで、自殺した郁夫のことを、いっときは忘れることができた。
少し長くなるが、日常を失う前の能登のことを知ることのできる部分を引用したい。
忙しい、居心地のええ日々がつづきました。民雄さんはええ人やった。泊り客への朝食は、住み込みの若い板前さんの担当やから、日曜日だけは朝の五時に旅館に入り、それ以外はよっぽどの団体客がないかぎり、十時に家を出たらええのでした。ひと月もせんうちに、友子ちゃんは「お母ちゃん」と何の結託もなく呼べるようになりました。お義父さんは勇一のことがほんまに可愛いみたいで、晩御飯がすむと、自分の膝で寝かしつけてくれるのです。勇一もまるで、そこは自分の場所やとばかりに、遊び疲れるとお爺ちゃんの膝に帰っていく。わたしも、頬かむりの下に赤銅色の肌を隠し、竹籠を背負って道を行き交う奥さん連中と親しくなって、ときおりバスに乗り一緒に輪島の朝市に行くようになった。海鳴りの響きにも、風の音にも、見渡す限りの荒海にも、背後の小高い石黒山の葉擦れの侘しさにも、そしてそれらに包まれてひっそりと点在する民家のたたずまいにも、いつのまにか違和感を感じへんようになった。烏や鴎、煙みたいに沸きたつ雀の大群、雨あがりにきまって水平線に架かる大きな虹にも、わたしはびっくりせえへんようになりました。住み慣れてくると、この奥能登が、想像以上に貧しい土地なにやと思えるようになりました。働き盛りの若い人の姿が見られへんということが、どれほど淋しいものか、判ってきたのでした。東京に働きに出た御主人と、もう二、三年顔を合わせていないという奥さんはざらで、なかにはそのまま蒸発して仕送りもないまま、五年が過ぎた家もあるくらいです。娘も息子も学校を卒業すると、都会に就職していき、そのまま向こうで世帯を持って帰ってけえへん。とくに曽々木やその附近の村などは、漁業もすっかりしすたれたまま、子供と年寄りばっかりの村になってきたのでした。それがここ数年の観光ブームで、シーズン中はホテルや旅館だけではさばききれんようになり、奥能登あげての民宿づくりが盛んになってきた。都会の学生やサラリーマンは、大きなホテルとか旅館よりも、民宿に泊まりたがるらしく、近所の家々では風呂場や便所だけ改造し、民宿協会の看板を玄関にうちつけてるのでした。
この小説で描かれた能登は、過疎化、高齢化が進む地方の一例である。
まだ、観光という救いがあるだけ、救われている地域と言えるのかもしれない。
しかし、今は、観光どころではない。
「幻の光」の舞台である曽々木(そそぎ)の民宿が、9月21日からの豪雨で倒壊したというニュースや、曽々木の海岸で遺体がいくつも発見されたことを考えると、やはり、この時期の選挙は、無謀であり非人道的としか思えない。
「地方創生」を唱えた石破茂は、その象徴的な仕事として、能登の復興を最優先に考えるべきだった。
その地は、日常を失っていたのである。
あらためて、問いたい。
地震や豪雨災害の被災地が、他の選挙区と比べ、著しく投票行動に不都合がある状態での選挙は、憲法第14条の「平等権」に反するのはないか。
投票したくでも出来なかった有権者の声を拾い上げることが、政治の重要な使命だと思う。
