映画「枯れ葉」を取り上げた、日経コラム「春秋」で思うこと。
2024年 10月 11日

日経の本日朝刊のコラム「春秋」では、あの映画『枯れ葉』を冒頭に取り上げた。
日本経済新聞社サイトの該当コラム
念のため、書き下す。
フィンランド映画「枯れ葉」は深い余韻を残す作品である。名匠アキ・カウリスマキ監督が引退宣言を撤回して撮った、孤独な男と女の小さなラブストーリーだ。暮れなずむヘルシンキの街角、カラオケバー、人々のひそやかな会話・・・・・・。そこかしこに「昭和」が薫る。▼設定は現代だが、スマホに没頭する若者もSNSの喧噪も描かれない。男は女の渡してくれた電話番号のメモを紛失し、すれ違いの関係が続くといった具合だ。興味深いのはラジオの存在である。音楽もニュースもこの旧式メディアからもたらされる・監督はあえて、社会からデジタルを切り離して物語を構成してみせた。▼米起業家のイーロン・マスク氏とブラジル最高裁判事の対立により、同国内でX(旧ツイッター)が使えなくなっていた状態がやっと解消された。不便な1カ月だっただろうが、Xの停止で3割以上の利用者のメンタルヘルスが改善したという報道もある。フェイクやヘイトの渦のなか、心がむしばまれていく現実が浮かぶ。▼わたしたちの生活は、ほんの少し前まで「枯れ葉」の情景と同じだったことを思い出してもいい。ちなみにカウリスマキ監督は、淡々とそんな世界を描出しながら、日常にある悲惨を忘れていない。ラジオからいつも流れているのは、ロシアによるウクライナ侵略のニュースだ。ハッピーエンドなのに、苦い味がする。
あの映画を思い出す。
居残り会仲間のIさんに薦められてこの映画を観た後、五回にわたって記事を書いた。
※1月13日は記事が2本
2024年1月11日のブログ
2024年1月12日のブログ
2024年1月13日のブログ
2024年1月14日のブログ
最後の回の感想で項目をいくつか挙げた中で、次のように記していた。
(C)現代文明とは無縁の生活が訴えること
アンサの部屋には、テレビがない。
ラジオからは、ロシアのウクライナ侵攻のニュースが流れているから、間違いなく現代だ。
しかし、アンサ、ホラッパの生活は、現代文明からは無縁と言える。
アンサとホラッパとの連絡は、紙に書いたメモであったり、電話であり、SNSなどは登場しない。
これは、「PERFECT DAYS」の平山の生活を彷彿とさせる。
たしかに、彼らの生活は、一般的には、不便と言えるのかもしえない。
しかし、本当に、「便利」とか「より良い生活」のためと広告が訴える文明の利器は必要なのか、ということを考えさせてくれる。
アンサの部屋にも、「PERFECT DAYS」の平山が住む部屋にも、テレビがなかった。
平山の部屋には、ラジオすらなかった、はず。
しかし、それは不幸なことなのか。
SNSやコロナ禍で普及したITのツールは、たしかに便利ではある。
しかし、teamsのチャットで、上司のコメントに部下が
つい数日前に「共有」や「展開」というビジネス用語の蔓延について書いたが、絵文字や紋切り型の言葉の多用は、どんどん、現代人のコミュニケーション能力を低下させていくように思う。
かと言って、饒舌ならいいのか。
問題は、その言葉で自分の思いが相手に届くかどうか、ということだろう。
石破新総理の所信表明演説から。
「首相官邸」サイトの該当ページ
国民の皆様からの信頼を取り戻す。そのために、「政治家のための政治ではない、国民のための政治」を実現してまいります。
言ってることとやってることの乖離の、なんと大きいことか。
これでは、相手に思いは届かない。
