柔道の審判制度は、抜本的改革の必要性あり。
2024年 07月 29日
毎日新聞より。
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鈴木監督によると、審判団は「待て」が誤りだったことを認めたが、判定自体は覆ることはなく、ガリゴス選手がなぜ絞め続けたかについての明確な説明はなかったという。

写真は、日刊スポーツから拝借。
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つまり、相手の締め技が続いていたのに、誤って「待て」をかけたが、永山は落ちていたから負けというのが、審判団の言い分。
誤った「待て」以降も締め続けたことについては、何も、語らないのである。
女子48kgの角田の準決勝での相手の反則負けも腑に落ちないし、阿部詩の二回戦、きわどくはあるが、三回目の指導が入って相手の反則負けもありえたように思う。
どうも、柔道の審判の仕組みに、構造的な問題があるようだ。
柔道競技場には、「ジュリー」がいる。
ジュリー、と言っても、沢田研二ではない。
柔道の試合で、審判の監視を担当する人物の呼称である。
現在の審判の仕組みに至る経過などを含め、ためになる記事が、五輪開催前にあったことを知った。
「NEWSポストセブン」から引用する。
「NEWSポストセブン」の該当記事
2024.07.25 11:00
NEWSポストセブン
【パリ五輪はどうなる?】柔道国際大会への「ジュリー制度」「ビデオ判定」の導入でなくなる“誤審の涙” 柔道界の鉄人は「審判員の威厳低下」を懸念
パリ五輪の大会初日(日本時間27日)から8月3日まで、連日予選と決勝が行なわれる柔道。柔道の試合では主審1名、副審2名が判定を行なうが、ビデオ判定の導入以来、(ビデオチェックの主体となる)「ジュリー」と呼ばれる「審判員の監督者」の存在が大きくなっている。その問題点について、柔道の国際大会で主審を務めてきた「柔道界の鉄人」正木照夫氏に、『審判はつらいよ』の著者・鵜飼克郎氏が聞いた。(文中敬称略)
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柔道の判定には難しさが伴う。「先に倒れたほうが負け」というものではなく、その倒れ方次第でも“一本”“技あり”などに判定が分かれる。その判断は長く審判員に委ねられてきた。
だが、そんな柔道でも他のスポーツ同様に「ビデオ判定」の導入が進んでいる。きっかけは、2000年シドニー五輪100キロ超級の決勝戦で篠原信一が銀メダルに泣いた「世紀の誤審」だった。
全日本柔道連盟はシドニー五輪の3か月後(2000年12月)に行なわれた福岡国際女子柔道選手権でビデオ判定を試験的に導入。当初は導入に否定的だったIJF(国際柔道連盟)も2007年から採用した。
柔道のビデオ判定には「ジュリー」と呼ばれる審判委員が大きく関わる。ジュリー自体は1994年から制度化されていたものの、「審判員の監督者」としての役割は曖昧で、原則的には「判定への介入はしない」という立場だった。
だが、ビデオ判定の導入によってジュリーの“権限”が増していく。導入以来、ジュリー制度による判定はたびたび騒動が起き、そのたびに運用も変更されているので本稿では詳細を略すが、要は「(ビデオチェックの主体となる)ジュリーの判断で試合が左右される」というケースが急増したのである。
あくまでジュリーは「審判員の監督者」であって、「審判」ではない。だが、ビデオを確認し、無線機で主審に「今の判定は違う」と介入できるため、事実上の“上級主審”という性格を帯びてくる。その結果、主審や副審が判定のたびにジュリーの顔色を窺うようなことが起きるという。
「誤審」がなくなる“代償”
拓殖大学柔道部時代の1969年に全日本学生選手権無差別級で優勝後、全日本選手権に10度出場。1984年に全日本柔道連盟の審判員となり、「正木道場」を興して指導者となった後も55歳まで大会に出場して選手生活を続け、「柔道界の鉄人」と呼ばれた正木照夫が言う。
「主審が“技あり”と宣告した瞬間、ジュリーはモニターでそれを確認する。そこで“技ありではない”と判断されると、主審は“取り消し”と申し訳なさそうに撤回する。
“一本”と判定したのにビデオで“技あり”に格下げされようものなら、仮に私が主審だったら屈辱以外の何ものでもありません。審判の威厳はどんどん失われていく。それどころか今の審判員たちは“判定が覆っても仕方ない”とさえ思うようになっている」
この後、昨年の日本の体重別の大会で、準決勝の判定がその後ビデオ判定で覆った事例が紹介されている。
この記事は、こう締めくくられている。
これまで多くの選手が「誤審」によって涙を流してきた。それがなくなる“代償”として、審判の威厳はどんどん失われている。とりわけ柔道では競技の性質上、「実績を残した高段者が審判を務める」という伝統が重んじられてきただけに、正木としては複雑な思いを抱えているようだ。
事前の上記のような憂慮とは別で、ジュリー制度もビデオ導入も機能しないための誤審が続いているように思う。
何のために、副審がいるのか、ジュリーがいるのか、ビデオが導入されたのか。
そんな疑問や不満が、今、パリの柔道会場でも渦巻いているのではないだろうか。
ジュリー制度自体は、ビデオ導入前から存在した。
Wikipedia「ジュリー(柔道)」から、ジュリー制度導入と規定、問題点などについて引用。
Wikipedia「ジュリー(柔道)」
ジュリー制度の導入
柔道の試合を裁く審判員は主審1名と副審2名によって取り仕切られていたが、国際大会において判定を巡るトラブルが度々起きていたことをきっかけに、1994年にIJFが審判員を監督するジュリー(審判委員)制度を設けることになった。
このジュリーはIJF試合審判規定において
・原則として、試合は、審判委員会の監督のもとで、主審1名、副審2名によって行われる(規定第5条)
・試合を止める権限がある(規定第15条)
・審判団と打ち合わせをする権限がある(規定第17条Jの項)
としか記されておらず、ジュリーの権限がどこまであるかについて(例えば審判員の判定にまで介入する権利)の具体的な言及はなされていない。
また、IJF試合審判規定第6条では「主審は試合の進行と勝負の判定を司どる」としており、字義通りに解釈すれば、ジュリーは判定にまで介入する権限はないとも受け取れるようになっている。なお、2014年に公表された新ルールにおいてジュリーの権限が規定された(詳細はジュリー (柔道)#ジュリー制度の変質を参照のこと)。
一方、全柔連の審判委員規定第5条3項においては、審判委員は審判員の最終決定を尊重しなければならないと規定されており、ジュリーによる判定への介入は否定されている。
審判とジュリーとの関係については、なんとも、曖昧なのである。
そして、Wikipediaには、ある有名なジュリーに関わる問題も記されている。
審判の監視役は、必要なのか。
そして、そのジュリーがビデオ判定を担当することは適切なのか。
権威主義の象徴とも言えるジュリー制度と、技術の活用というビデオ判定は、本来、まったく別の次元のことだ。
ジュリーがビデオ判定を担当すること自体が、大きな間違いだと思う。
もし、誤審を防ぐための目的ならば、主審・副審とビデオ担当審判(VAR:ビデオアシスタントレフェリー)で、適切に判定すればいいわけで、もはや、権威者としてのジュリーは必要ないだろう。
サッカー、ラグビーなどでもビデオ判定は導入されている。
その結果、審判の威厳は失墜しているだろうか。
そんなことはないだろう。
逆に、きわどいプレーに関しビデオでの確認をする判断を下し、その後に判定をすることで、審判の威厳が保たれているように思う。
それは、女子サッカーの日本対ブラジル戦でも見受けられたことだ。
ラグビーでは、主審とビデオルームとの会話も聞こえるから、その透明性が一層際立つ。
柔道の審判問題を解決するための改善策は、こういうことではないか。
(1)ジュリー制度を廃止
権威的な審判監視員など、もはや必要なし
(2)VAR制度を導入
主審、副審と、審判員資格者によるビデオ担当審判員で構成
(3)審判員育成制度の導入による資格化
当面は、現状の審判員が主審、副審、VARを務めることとするが、
審判を、かつての競技者で実績を残した高段者が務めるという旧弊をあらためる。
審判員育成制度をを設けて、国際資格をもつ専門の審判が務める仕組みに、
徐々に改革していく
(4)主審・副審とVARの役割の明確化
主審は、ビデオ確認が必要と判断したら、VARに確認を指示することができる。
副審は、主審にビデオ確認の必要性について意見具申することができる。
VARも主審にビデオ確認を打診することはできるが、確認するか否かは主審が判断
これって、サッカー、ラグビーではすでに行われていることに近いのではなかろうか。
サッカーやラグビー、バスケットボールなどで、かつての経験者が、論功行賞的に審判をやるなんて、考えられないよね。
審判は、その専門の知識と技術を所有する人がやるべきだろう。
「いや、柔道は経験豊富な柔道家の目と頭で判定するのだ」と考えるなら、ジュリーもビデオ判定も廃止して、かつでの、旗判定に戻したらどうか。
あれはあれで、旗があがるまでのハラハラドキドキ感が、あった。
もし、しっかりビデオを活用するのなら、このような仕組みに変えないと、誤審は今後も頻発するだろう。
ジュリーという権威者がそこにいることで、主審、副審が本来の仕事ができなくなっているようにも思う。
そして、ビデオという道具を使う以上は、有効に活用してもらいたい。
私は、畳の真ん中で、樹木希林が審判席を見つめながら、「ジュリー!」と叫んでいる姿を、妄想してしまった。
