戸谷洋志著『原子力の哲学』より(15)
2024年 07月 26日

戸谷洋志著『原子力の哲学』
少し時間が空いたが、戸谷洋志著『原子力の哲学』(集英社新書、2020年12月初版)から十五回目。
本書の目次。
□はじめに
□第一章 原子力時代の思考ーマルティン・ハイデガー
□第二章 世界平和と原子力ーカール・ヤスパース
□第三章 想像力の拡張ーギュンター・アンダース
□第四章 世界の砂漠化ーハンナ・アーレント
□第五章 未来世代への責任ーハンス・ヨナス
□第六章 記憶の破壊ージャック・デリダ
□第七章 不可能な破局ージャン=ピエール・デュピュイ
引き続き、「第五章 未来世代への責任ーハンス・ヨナス」から。
ヨナスは、今は野を耕す「鋤(すき)」のように思える技術も、長期的には人類に有害な「剣」になることを指摘していた。
そして、その「鋤」が「剣」であるかもしれないことは、なかなか見極めができない、という問題がある。
では、どのように未来を予測したらよいのだろうか。
「最悪の未来」の節から引用する。なお、傍点部分を太字にする。
未来世代への責任は未来予測を必要とするが、しかしそれは、そもそもその予測が不確実であることを前提にしなければならない。そして、不確実である以上、予測される未来は複数のシナリオ、さまざまな可能性へと分岐することになる。ヨナスによれば、「すべてが不確実である以上、予測されるさまざまな可能性はみな等しい重みを持つことになる」(『責任という原理ー科学技術文明のための倫理学の試み』)。たとえばある科学技術の実装をめぐって、それによってもたらされる未来の可能性は複数並列する。そこには、望ましい未来もあれば、望ましくない未来もある。そしてどの未来が実現するかは現在において確定できない。それでは、そのような状況においてどの未来を予測することがもっとも倫理的であるといえるのだろうか。
ヨナスによれば、それは考えられる限りで最悪の未来である。未来予測が不確実である以上、予測は本質的に「賭け」であり、それが外れることを前提にして行われなければならない。最悪の予測が外れるのだとしたら、それは結果的によりましな未来が実現されることになるが、望ましい予測が外れてしまえば、結果的により悪い未来が実現されることになる。その上、この予測の失敗によって生じる結果は後になってから修正することはできない。なぜなら、科学技術は急速に進歩していき、一度始まったてしまったら、もはやそのプロセスをやり直すことな不可能になるからである。ヨナスは次のように述べる。
私たちにはまだ先があり、事柄の調整をまだ先送りできるとひとは
信じている。だが、経験は次のことを教えている。科学技術の営み
は、そのつど近未来に目標を持ち、次々に発展を生み出すが、こう
した発展には、独り歩きし始める傾向、自分に固有の必然的な力学
を獲得するという傾向がある。すなわち、こうした発展は、自動的
に働く動因を備えている。そのために、科学技術による発展は、前
述のように不可逆的であるばかりか、前へ前へと駆り立てるものと
もなり、行為者の意志を計画を飛び越してしまう。ことがいったん
始められると、行為の法則は私たちの手から奪われる。この始まり
が生み出した既成事実は、次々と累積され、いったん始まったもの
の推進をつかさどる法則となる。
(『責任という原理ー科学技術文明のための倫理学の試み』)
科学技術は、一度実装されてしまったら、もはや人間による制御を離れ、あたかも自動運転するかのように進歩する。そしてその過程でその潜在的な脅威を累積していき、未来においてそれを発露させるのだ。つまり、テクノロジーの実装は原理的に修正不可能であり、予測の失敗は取り返しがつかない。だからこそ、予測が完全に失敗してももっともダメージが少ない選択肢として、最悪の未来が予測されなければならないのである。
この後、では最悪の未来を予測するにはどうすべきか、が説明されている。
その根拠は、科学的な知見、ではない。
ヨナスは、提案する。
羅針盤として何が役立つだろうか。予測される危険そのものだ! 未来から響くその警鐘の中で、その危険の地球的な広がりと人間性の深淵が姿を現す中で、倫理の諸原理ははじめて発見可能になり、この諸原理から新しい力に対応する新しい義務が導き出される。私はこれを「恐怖に基づく発見術」と名付ける。それは次のようなものだ。あらかじめ予見された人類の歪みが、はじめて、その歪みから守られるべき人間の概念を私たちに与える。ある事柄が賭けられているという事実を知ることによって、はじめて、賭けられているものが何であるかを、私たちは知る。(『責任という原理ー科学技術文明のための倫理学の試み』)
最悪の未来を予測するための羅針盤は、その未来にたいし「恐怖」を感じるかどうかということだとヨナスは主張する。
そして、「恐怖に基づく発見術」を磨くために、アンダースと同様に、サイエンスフィクションが有用であると著書で示す。
具体的に挙げるのは、オルダス・ハクスレーの『素晴らしい新世界』。
あの石丸伸二が、少子化対策として「遺伝子」という言葉を発した際、私は、この本を思い出した。
ディストピア小説に描かれる未来は、あくまで小説の中だけであって欲しいものだ。
このシリーズは、今回でお開き。としたい。
ハンナ・アーレント、ギュンター・アンダース、ハンス・ヨナスの章を紹介した。
アーレントは、何より、公的領域(=世界)において異なる考えをもつ他者の存在を重要と考えていた。
だから、アーレントは、その複数性を根こそぎ破壊するからこそ、原子力エネルギーによる核攻撃に反対した。
アンダースは、人間の製造物が人間の管理能力を超え不調和となることを、「プロメテウス的落差」と呼んだ。
その不調和、乖離を埋めるためにも、「道徳的想像力」を獲得する必要があると主張した。
そして、ヨナスは、今日の「鋤」が「剣」となるかもしれない、そして「鋤」と見られている技術ほど、危険性が潜むと指摘した。だから、「恐怖」を羅針盤として「最悪の未来」を予測することが重要だと、彼は主張した。
原子力に反対する根拠は、それぞれ違っていても、明確な哲学を持っていることは重要だ。
先日、柏崎刈羽原発再稼働に向けて、住民説明会が始まったことを紹介した。
2024年7月17日のブログ
その記事で引用した東京新聞の記事の一部を再度確認したい。
原発周辺は豪雪地帯で大雪と大地震、原発事故の同時発生もあり得る。「最悪シナリオを考えた避難を想定しているのか」と問われ、担当者は「基本的な考えは示している。今後、作業部会で検討したい」と応じた。
ヨナスが言う「最悪の未来」は、外れてもよりマシな未来になるということだが、原発を動かす当事者が「最悪」を想定していないから、その結果として「最悪の未来」になる危険性は高くなる。
今年4月、東京電力は、再稼働を見越して、刈羽の7号機に核燃料搭載を完了した。
当時の東京新聞の記事には、こんな内容があった。
東京新聞の該当記事
1基稼働すれば、年間で1100億円ほどの収益改善を見込む。核燃料を装塡した7号機と、新規制基準に適合済みの6号機に命運を懸ける。
だが、原発はリスクがつきまとう。エネ庁関係者も「事故を起こせば、全てがパーになる」と認める。
つまり、金儲けが優先し、事故対策などは後回し、ということなのだ。
こんな「賭け」に、国民を巻き込んでもらいたくない。
「哲学」不在の原子力政策は、、「最悪の未来」を招きかねない。
