「感動」の押し付け、過去の「美化」に潜む危険性-小田嶋隆の言葉を振り返る。
2024年 07月 25日
サッカー男子、5対0でのパラグアイ戦の勝利は、相手が一人少なくなったとはいえ、幸先良いと言えるだろう。
さて、これから五輪のテレビ番組や、ワイドショーで繰り返されるに違いない、「感動」の押し付けが、嫌でしょうがない。
高校野球でもそうだが、「勇気と感動をありがとう」とか、「日本中が感動」とかいう言葉に接すると、寒気がする。
何にどう感動するかは人それぞれだろう!
「日本中」が感動するはずがないだろう!
「感動」させたいがために家族や親子の問題など、競技以外の情報を無理に見せるな!
スポーツは、純粋にスポーツとして楽しめばいい!
などなどの思いがあるからだろう。
そして、「感動」の押し付けや、「美化」に、危険性を感じるからでもある。
感動する人としない人が分断する。
「感動しない人は、日本人じゃない」などの差別が起こる。
そこで思い出した、ある人の言葉。

古くなるが、小田嶋隆が連載していた「新潮45」の2015年10月号のコラムを「デイリー新潮」サイトから引用する。
「デイリー新潮」の該当記事
二度目の東京五輪は喜劇として――小田嶋隆
2015年10月09日
前回の東京オリンピック(以下「五輪」と表記)が開催された1964年、私は小学校2年生だった。
いまとなっては、実際に自分の目で見たのか、それとも報道や映像から後付けで捏造したものなのか、はっきりしないのだが、ともあれ、私のアタマの中には、晴れ渡った秋の空に5つの円の軌跡を残して飛ぶジェット機の映像が、鮮やかに録画されている。私は、その映像を、随時、脳内再生することができる。
かように、五輪の記憶は、私の世代の者にとって、輝かしく、美しく、なつかしい、ほとんど夢自体と区別のつかない体験に連なっている。
しかしながら、2020年の五輪を東京で開催することに、私は、招致運動がスタートした時点から、一貫して反対の意向を表明してきた。理由はおいおい述べる。2013年に招致が決定した後でも、反対の気持に変化はない。開催決定以来、私は、五輪をめぐるメディアの空騒ぎに食傷し、五輪をあてこんだ商売のあざとさを憎み、五輪をネタに何かを企む五輪ゴロの暗躍に間断なく心を痛め続けている。そんな私にしてからが、心の奥底では、どこかしら、五輪を待望していたりする。それほど、幼年期の記憶というのは、度し難いものなのだ。
私と同世代の人間は、誰でも、ある程度、同じ気持ちを抱いていると思う。
もっとも、誰もが同じ記憶を共有しているわけではない。記憶へのスタンスの取り方も、人それぞれで、少しずつ違っているはずだ。
が、ひとつだけ共通しているのは、誰にとっても、過去の記憶は美化されがちだということだ。子供時代に経験したあれこれは、貧しさやひもじさや悲しみも含めて、すべてが、なつかしい思い出に化けることになっている。柿の木の枝先にとまった蝉を取ろうとして転落したことや、道路脇のドブ川で泥だらけになったことも、その悲劇から50年を経過した年寄りにとっては、宝物のような思い出に変貌している。ぞっとするほどマズい脱脂粉乳のミルクが供される給食や、アメリカシロヒトリの幼虫を踏みつぶした時に出る薄緑色の体液さえもが、だ。
そんな中で、東京五輪にまつわる記憶は、ひときわ鮮やかに輝いている。これはどうしようもない。
私が懸念しているのは、私と同世代か、それより上に属する年齢の人間たちが、「日本が若くたくましかった時代」「日本人がひとつになっていた時代」というニセの記憶を呼び覚ますためにイベントとしての五輪を消費する近未来だ。
それは、間違っている。
というよりも、狂っている。
こういう、小田嶋節とも言える文章が、なんとも懐かしい。
引用を続ける。
■日本人が過去を美化する時
日本人が過去を美化する時、われわれは、いつも同じ間違いを犯す。わたしたちは、軍隊を美化し、特攻隊を美化し、白虎隊と忠臣蔵と楠木正成を美化する。そして、二・二六事件を美化し、爆弾三勇士を美化し、なんであれ盲目的に目標に向かって突っ走った若者たちの純粋さと、その彼らの死と破滅と悲しみと切なさを美化することになっている。必ずそういう手順で話が進むのだ。だからこそ、私は、そのバカげた手順と結末に懸念を抱かずにはおれないのである。
日本を取り戻そうとしている人たちは、必ずや、五輪を通じて、日本人が一丸となって生きていた遠い伝説の時代を取り戻そうとする。そして、その運動は、ほぼ間違いなく、同じ失敗に帰結する。
誰もがそれぞれのスマホ画面を見つめて黙り込んでいるように見える21世紀の日本人の閉じこもった精神のあり方を、あるタイプの日本人が憎んでいるところまでは理解できる。実際、バブル崩壊からこっち、われわれの気持ちは、変なふうに縮こまっているのかもしれない。
とはいえ、五輪がその平成の日本人の心をひとつにするのかというと、そんなに都合よく話が進むとは思えない。
五輪は、日本人を熱狂させるかもしれない。が、われわれが熱狂することは、必ずしも望ましい未来にはつながらない。というのも、熱狂している時の日本人は、熱狂していない時の日本人に比べて、どちらかといえば下品だからだ。
1964年の東京五輪が輝かしい記憶としてわれわれの胸の中に残っていること自体、それが本当に素晴らしく、美しい大会だったからというよりは、われわれ自身が、自分たちの幼年期や青春を美しい思い出として永久保存したいと願っているからなのであって、本当の話をすれば、前の東京五輪が開催され、その大会に全国民が熱狂していた時代、わたくしども日本人は、今現在より、ずっと野蛮で、下品で、貧乏で、無神経だった。少なくとも私はそう思っている。
東洋の魔女たちを鍛えた大松博文監督の練習内容に関する部分など、ぜひ、全文をリンク先で読んでいただきたい。
ちなみに、私は、体育会でスポーツを経験した身として、参議院議員としての大松がどういう存在だったかを考えると、暗澹たる思いになる。
さて、みんなで一緒に感動することが、どれほど野蛮で下品で無神経であるか、そういう小田嶋隆の言葉を思い出したい五輪の季節だ。
