人気ブログランキング | 話題のタグを見る

戸谷洋志著『原子力の哲学』より(4)


戸谷洋志著『原子力の哲学』より(4)_e0337777_13410328.png

戸谷洋志著『原子力の哲学』

 戸谷洋志著『原子力の哲学』(集英社新書、2020年12月初版)から四回目。

 本書の目次。

□はじめに
□第一章 原子力時代の思考ーマルティン・ハイデガー
□第二章 世界平和と原子力ーカール・ヤスパース
□第三章 想像力の拡張ーギュンター・アンダース
□第四章 世界の砂漠化ーハンナ・アーレント
□第五章 未来世代への責任ーハンス・ヨナス
□第六章 記憶の破壊ージャック・デリダ
□第七章 不可能な破局ージャン=ピエール・デュピュイ
□おわりに

 引き続き、「第四章 世界の砂漠化ーハンナ・アーレント」から。

 アーレントは、他者が存在し、さまざまな意見を知ることができる公的領域(=世界)の複数性が重要であり、その世界を破壊するという観点から、原子力エネルギー(宇宙エネルギー)による核攻撃を非難していることを前回までご紹介した。

 また、「絶滅戦争」において破壊されるのは、攻撃を受けた側のみならず、攻撃する側も、他者が存在する公的領域が破壊されるのであることも指摘していた。

 著者はこう記している。

 アーレントは原子力による破局を、生命の破壊ではなく、世界の破壊に見出している。もちろん生命が脅かされることは大きな問題である。しかし、同時に原子力は公共性をも深刻に脅かしているのであり、生命への危害だけに注目している限り、そうした公共性の危機を顧みることができなくなるのである。こうした側面を照らし出している点に、アーレントの政治思想の独創性がある。

 私的領域と対比しながらのアーレントの公的領域への考察は、古代ギリシャのポリスにまで遡っているが、その中でアーレントは、「勇気」についても、独自な見解を提示している。

自らの生活=生命(life)を危険に晒す覚悟のある人間だけが自由であるという考えが、私たちの脳裡から完全に消え去ることはけっしてなかった。また政治と危険・リスクとの関係でも、概してそれと同じことが言える。勇気は政治的美徳の中で最古のものだが、今日でもなおそれは少数の主要な青磁的美徳のひとつであり続けている。というのも、私たちのプライベートな存在や私たちの生活が繋ぎ止められている家族関係の外は踏み出すことによって、初めて私たちは真の政治的空間である公共圏に進み入ることができるからである。(『政治の約束』)

 アーレントは、勇気を発揮することが後世の人々から記憶されることも重要と考えていた。

 原子力は、記憶されることも脅かす。

 もし、核戦争によってすべての人間が絶滅してしまったら、歴史上の勇気ある活動を記憶する後世の世代が存在できなくなるからだ。

 引用する。

 アーレントは「ヨーロッパと原子爆弾」と題された論考のなかで、次のように述べている。

  現代の戦争の状況において、勇気はその古い意味をほとんど失って
  しまった。人類の存続を危険にさらし、個人の生命だけではなく、
  ほとんどの場合においてすべての人々の生命をも危険にさらすこと
  で、現代の戦争は、個々の死すべき人間を意識的な人類の一員へと
  変貌させる。人間が必要とする人類の不死は、そもそも勇気を出す
  ために確かなものでなければならず、人間は人類の存続を何よりも
  配慮しなければならない。
  (『アーレント政治思想集成2ー理解と政治』)

 アーレントによれば「現代の戦争の状況」は勇気を発揮する可能性そのものを侵食している。勇気を発揮できないということは、人間が自分の命を賭けられないということであり、言い換えるなら、自らの生命に執着さざるをえなくなってしまう、ということだ。アーレントの政治思想において、それは自由の放棄を意味しており、勇気を発揮できなくなった人間は、自分自身の自由を手放してしまう。こうした仕方で、世界の破壊は人間の自由そのものを破壊するのである。


 アーレントは、悲観するばかりではなく、彼女が考える「世界」への希望も見出していた。

 それは、人間の誕生、である。

 アーレントによれば、「人間はすべて、彼が生まれる前に存在し死んだ後にも存在し続ける世界に生まれ落ちる、ただそれだけの理由によって、自分自身が一つの新しい始まりなのである」(『政治の約束』)。この意味のおいて人間の誕生は、その誕生がそれ以前には予測されえないという意味において、それ自体が一つの奇跡なのである。
 前述の通り、公的領域における活動はそれに参加する人間の複数性を明らかにするが、この複数性の根拠を担っているのは、こうした誕生の新しさに他ならない。言い換えるなら、公的領域における人間の複数性は、その活動が新しく、それ以前には予測不可能なものであることを意味している。アーレントは次のように言う。

  そこで、人間が活動する能力をもつという事実は、本来は予想でき
  ないことも、人間には期待できるということ、つまり、人間は、
  ほとんど不可能な事柄をなしうるということを意味する。それがで
  きるのは、やはり、人間は一人一人が唯一の存在であり、したがって、
  人間が一人一人誕生するごとに、なにか新しいユニークなものが
  世界にもちこまれるためである。(『人間の条件』)

 確かに、現代社会における原子力の脅威は、何もせずに放置していれば、どんどん差し迫ったものになっていく。そうした事態の悪化は、まるで止めることのできないプロセスのように見えるし、その現実に対して人々は無力感を抱くかも知れない。しかし、そうした現実の進展を変えること、そこに想像もできなかったような展開を生じさせること、すなわち「奇跡」を起こすことが人間には常に可能である。そしてその奇跡は人間が公的領域で活動することによって引き起こされる、とアーレントは考える。

 この文章を読み、「奇跡」を起こせるのは、まさに、公的領域への新しい参加者なのだと思った。


 昨日の記事で、基本エネルギー計画見直しの会議があったことを東京新聞から紹介した。
東京新聞の該当記事

 同記事から、原発推進派がほとんどの会議メンバーに抗議する市民組織のことをご紹介。

 エネルギー基本計画(エネ基)の見直しが始まるのを受け、20〜30代を中心とした環境活動団体のメンバーらが15日、経済産業省前で、原発と化石燃料に依存した現行のエネルギー政策からの脱却を呼びかけた。

 参加者は、分科会委員の大半が原発を推進する立場であると批判。「気候変動や原発リスクの影響を長く受けるのは高齢世代より若者だ」と、若者や女性、原発被災者らの声も聞くべきだと訴えた。

 また分科会開催が直前に公表されたことに「関係者だけで決めようとしているのでは」と批判。「安全な未来のため、原発や化石燃料でもうかる世の中を変えよう」と周囲に訴えた。
 デモを呼びかけた環境団体「350.orgジャパン」の伊与田昌慶さん(37)は「暮らしや環境に直結する大事な会議なのに、世の中の反応が薄い。再生可能エネルギーへの本気の移行を求め、危機感を持って声を上げていきたい」と話した。

 「350.orgジャパン」のサイトから、「活動内容」について引用する。
「350.org」のサイト

「新たに化石燃料を採掘しないこと」「化石燃料関連事業から資金を撤退させること」「100%再生可能エネルギーで賄うこと」を3つの重要な行動の柱として、脱炭素社会を構築するために世界の約180カ国において若者や市民の草の根の運動を展開。

 若者が中心のこういう活動の存在を知ると、少し、元気になる。

 このNGOは2007年設立と、組織自体も若い。

 Wikipediaの「350.org」によると、団体名は、気候変動のティッピング・ポイントを回避するための安全な上限値として知られている二酸化炭素の350 ppmが由来。2019年現在、濃度は415 ppmで現在も上昇が止まっていない。
Wikipedia「350.org」

 世界180か国を超えるNGOで、あくまで主役は、市民。


 本書に戻るが、アーレントは、何より「市民としての対話」が、公的領域では重要であると説いているが、その詳細は次回。

名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2024-05-17 12:54 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30