福島第一作業員の被曝で思うこと。
2024年 04月 29日

一面全文を引用する。
朝日新聞の該当記事
福島第一作業員、「想定外」の被曝
2024年4月29日 5時00分
廃液飛散や汚染水漏れ 東電甘い危機管理
廃炉に向けた作業が続く東京電力福島第一原発で「想定外」の被曝(ひばく)のトラブルが起きている。溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の取り出しなどリスクの高い作業はこれからも続く。事故の発生から13年。東電による作業員の安全対策が今も問われている。
昨年10月、汚染水から大量の放射性物質を除去する多核種除去設備(ALPS)で汚染廃液が飛散。廃液を浴びた作業員2人は原発内で十分に除染ができず、入院した。
今年2月には、汚染水の浄化装置がある建屋から汚染水約1.5トンが流出。浄化装置を洗う際、閉じるべき弁が16ヵ所中10ヵ所で開いていたため、建屋外壁の高さ約5メートルの排気口から汚染水が漏れた。その周囲は作業員が立ち入ることができるといい、流出時にいたら汚染水を浴びて無用の被曝をした恐れがあった。東電福島第一廃炉推進カンパニーの小野明代表は、2月末の記者会見で「肝を冷やした」と発言。「作業員の安全確保の観点から、起こしてはならない事態だ。極めて重く受け止めている」と述べた。
ALPSの廃液飛散を踏まえ、東電は装置の洗浄も注意が必要としていたが、防げなかった。東電社内では、設備状態を把握している部門など洗浄作業の手順書をつくる部門の情報共有が不十分で、洗浄にあたった作業員もこれまでの経験から弁は閉まっていると思い込んだという。
再発防止策を講じても、なぜ問題を繰り返すのか。廃炉作業を監視する原子力規制委員会は、東電自身が作業にひそむリスクを事前に十分、評価できているのかを疑問視する。
燃料デブリに取り出しなど、今後もリスクのある作業は避けられない。廃炉にはまだまだ長い時間がかかる。どう作業員の安全を守るのかが重要になる。(福地慶太郎)
三面でも、詳細な記事。

この件は、今後もぜひ続けて欲しい。
この記事を読んで思うことは、いろいろある。
何と言っても、相変わらずの東電の安全管理のいい加減さに腹が立つ。
その根っこには、東電社員による原発作業員への差別意識があると思う。
今では更新していない兄弟ブログ「幸兵衛の小言」に、3.11直後の記事が保存されている。
20x11年6月5日の「幸兵衛の小言」

同書は、1979年に現代書館から単行本、1984年に講談社文庫から発行。2011年に、現代書館から新装増補改訂版が発行された。
重複するが、私が初版から引用した内容を、あらためて紹介したい。
1978年、美浜で原発作業員として一か月経った頃のことだ。
「わしらを差別するのか」
10月23日(月) 曇り。冷え込みが厳しく、トックリのセーターを作業着の下に着込む。
ラジオ体操後の朝礼で、元請会社の所長から「本館一階の食堂は電力(関電)さんの社員用であって、私たちが利用できるのは、昼の12時半から30分と決まっている。ところが、それが守られてないと電力さんから注意された。充分に気をつけてほしい」といった内容の話があった。労働者のあいだから、ヒソヒソ話が聞こえてきた。
「なんで、わしらを電力の社員と差別すんのか」
「いいじゃねえか、メシぐらい一緒に食わせたって」
「弁当を持っとらんものは、昼休みが始まってから30分もたたないとメシにありつけないことになるじゃないか」
今日の作業は、先週の土曜日に苦労して蓋を開けた装置から、網状をした直径1メートル、長さ2メートル弱の円筒形の「ストレーナー」を取り出し、それを水洗いする仕事だった。
アパートを出るころから感じ始めていた腹部の痛みが、肌寒い屋外で水びそたしになってストレーナーの掃除をはじめたとたん、激痛に変わった。我慢できなくなり、事務所にもどって、『毒掃丸』を三錠飲む。
一緒に仕事をしていた元川さんは、「無理せんで、休んでいろよ」と言ってくれたが、彼一人でできる作業ではない。痛みを我慢しながら仕事を続ける。
ようやくのことで昼食時間をむかえる。呼吸ができないような痛みが断続的に襲ってくる。事務所まで歩いて帰る元気もなく、取水口の横で寝ころんでしまった。
結局、昼食もとらずに、午後の作業にとりかかる。
原発で働きだして1カ月、そろそろ精神的・肉体的に疲労を覚え始めていた。これが腹痛の原因だったのかもしれない。
10月24日(火) 昨夜は大事をとって早めに床についたため、朝起きたときには、腹痛は完全に治っていた。
作業は、きのう掃除を終えたストレーナーの収納と、開口部の蓋閉め、ひさしぶりに、“ボヤキの石さん”と一緒に飲む。
明日は、原発労働者となって、初めての給料日だ。
この内容で分かることの一つは、東電でも関電でも、「電力さん」による下請け「現場労働者」への、明白な“差別”の存在である。
そして、もう一つは、堀江さんが原発労働を始めてたった一ヶ月で、このように体調に異常を感じている、という事実。
堀江さんは1978年の8月から翌年1979年の4月まで、美浜、福島第一、そして敦賀での現場労働を元に、この本を著した。
堀江さんは、本書の修正加筆版である講談社文庫『原発労働記』および現代書館の増補改訂版のあとがきで、ご自分のことを「リハビリ難民」と形容し、“人工血管”が全身に埋め込まれていることを明かしている。
現在の詳しい状況は伺いしれないが、昭和23年生まれで今年76歳。
もし、まだ、体力と気力が残っていらっしゃったら、ぜひ何らかのかたちで情報を発信して欲しい。
汚染水除染や廃炉作業において、いまだに、現場作業員は、生命の危機に晒されている。
その背景には、東電が作業員を使い捨てと考えているからではないのか。
今も続く原発現場での被曝問題は、「電力さん」と「現場労働者」、40年余り前からの差別構造が大きな要因であることは、間違いないと思う。
