石井徹也さんが、拙ブログを取り上げていたことで思うこと。
2024年 04月 26日
石井徹也さんを偲ぶ、という記事でいただいたコメントで、石井さんがSNSで私のブログのことを取り上げていた、とのご指摘があった。
たぶん、落語会や寄席に年に50回~60回通っていた頃の記事に対して「偉そうに!」という思いで何か書かれていたのだと思っていた。
このブログのタイトルは、かつて「噺の話」だった。
ということで、
石井徹也さんのブログ「らくご聴いたまま」で「噺の話」を検索したところ、2020年10月の記事が見つかった。
それほど落語会や寄席に行っていない時期の記事だったので、少し、驚いた。
その記事は、2020/10/13に開催された、石井さん主催の『小満ん夜会』(赤坂會館)の記事で、ゲストが柳家小のぶ。
二人の高座に関する記事の後、「※」以下で、拙ブログのことが取り上げられていた。
へぇ、こんなこと書かれていたのか、と驚いた。
もはや管理人不在だが、拙ブログに関する記事なので、引用させていただく。
「らくご聴いたまま」の該当記事
※『噺の話』とかいうブログを書いている剽窃罪専門みたいな「kogotokoub」という爺が小のぶ師匠の高座を聴きもしないで、江國滋の著書から引用して好きな事を書いているが、近年、寄席に行くなり、『小のぶの会』へ行けば、何度でも小のぶ師匠の高座を聴けるものなのに、手を抜いているとしか思えない。小のぶ師匠は元々、向島の柳好師匠みたいな流麗な口調だったのに、「戦後の落語界を駄目にした三悪党(残る二人は安藤鶴夫と湯浅喜久治)」の一人・飯島友治が訳の分からないアドバイスをして、「君は三代目金馬のような口調で演った方がいい」と勧めてしまったのに従った為に、本来の魅力を発揮出来ないままになってしまったと小里ん師匠から伺っている。目白の小さん師匠は流麗な口調ではなかったから、一門の中でも早死にした菊語楼師匠や若い頃の小のぶ師匠のような「唄い調子」のお弟子さんは育ち難かったのかもしれない。とはいえ、矢来町以降、落語協会に「唄い調子」の師匠が少ないのは惜しまれる。因みに10月13日の『噺の話』では太池喜和子の事を書いているが、三國連太郎と同棲していただけでなく、若くして亡くなった勘三郎とは長い間出来ていたのは有名な話で、勘三郎夫人・好江さんの著書に、十七代目勘三郎夫人の通夜に訪れた太地さんが「十八代目勘三郎と結婚したかったのに出来なかった」と嘆いていたという件が出て来る。あの本は出版後、直ぐに書店から見えなくなってしまったが、太地さんに関するそのエピソードが影響していたのかもしれない。
たしかに、引用が多いから、「剽窃」という言葉が使われていたのだろう。
しかし、引用先を明記しているし、内容的には剽窃とは言えないと、私は思っているけどね。
自分のブログを確認した。
実は、2013年6月の池袋下席に、柳家小のぶの名を見つけて、聴きに行っている。
『長短』が、初の生小のぶ、だった。
2013年6月29日のブログ
その後すぐ、2013年7月11日に、堀井憲一郎さんの本(『青い空、白い雲、しゅーっという落語』)と江國滋さんの『落語美学』から、小のぶのことを紹介した。
2013年7月11日のブログ
だから、江國さんの著作から小のぶのことを書いた記事は、実際に小のぶを聴いた後のこと。
それも、堀井さんの本の印象は強かったが、江國さんの本のことは、実際に小のぶの高座に出会って、やっと芋づる式で思い出したのだった。
だから、堀井さんの本のことを書いた後、こんな内容だった。
実は、他にも何かで小のぶのことを読んだような気がしていて、なかなか思い出せなかった。
しかし、何気なく江國滋三部作の一冊『落語美学』のページをめくっていて、発見した。
江國滋著『落語美学』(ちくま文庫)
この本の「芸の人びと」の中に、「正蔵の定期券」などと一緒に並んでいたのが「小のぶの計略」である。
同書の内容にご興味のある方は、リンク先でご確認のほどを。
その後、2017年8月の浅草見番の「納涼四景」で、小のぶの好高座『へっつい幽霊』に遭遇している。
翌2018年9月には、初めて、独演会である「小のぶを聴く会」(赤坂會館・稽古場)に行った。
2018年9月15日のブログ
『金明竹』と『青菜』だった。
ということで、2020年10月に石井さんが拙ブログについて書かれた時点で、私は柳家小のぶの高座を、少ないとはいえ、三席聴いている。
くどくなるが、江國さんの本から紹介した記事も、先に池袋で生の高座を体験した後のことだ。
その記事は、2020年から7年も前のものなのである。
いわば、素人の落語に関するブログに対して、なぜこれだけのスペースを割いたのだろうか。
同じ事務所の和田尚久さんのXでの訃報がこちらだが、その内容でも分かる通り、批評、批判に容赦はなかった。
石井徹也さんの訃報
しかし、拙ブログについて書かれた内容は、決して、私を貶めるようなものとは思わないし、ちょっとした勘違いが背景にあるだけだ。
2020年10月の小満んの会、ゲストで小のぶを招いたこの会の記事を書いていた時、石井さんはなぜ、拙ブログのことなどを思い出されたのだろうか。
勝手な想像。
「そういえば、生の小のぶの高座も知らずに、江國滋の本から長々と引用して記事を書いていた不逞の輩がいたなぁ」
そんな思いが脳裏を横切ったのかもしれない。
紹介した石井さんの記事でも分かるように、石井さんは落語評論家に対しても、実に手厳しいことを書いている。
だから、そういった評論家の言い分を垂れ流しするのではなく、実際に生の高座を聴いて、率直な感想や批評をブログで書け、と思っていらっしゃったのかもしれない。
私は、昨日、この石井さんの記事を発見して、正直、嬉しかった。
ほとんど落語会・寄席に行っていない時期のことなので、7年も前の記事を覚えていていただいたことは、光栄だと思っている。
2020年、すでにコロナ禍であったこともあるし、Wワーカーとして忙しかったため、年間で落語会・寄席には6回しか行っていない。
ちなみに、2019年は18回。2018年は、寄席の昼夜居続けの昼と夜を個別に数えても、24回。
2020年10月当時、もはや、現役落語ファンとはいえないようなブログの内容になっていた。
かろうじて、太地喜和子の命日に、志ん朝との対談の記事を書いたのが、ちょっとだけ落語の香がする位で、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』の記事や、MLBのことなど、まさに「あちたりこちたり」の内容。
ということで、翌年、ブログのタイトルを「あちたりこちたり」に変更した次第。
昭和12年生まれの柳家小のぶも、昭和17年生まれの柳家小満んも、まだ健在。
しかし、彼らの落語会の一列目や桟敷に、あの石井徹也という客の姿はなくなった。
そして、拙ブログの記事などにも目を向け、はるかに広く深い知識と経験からその内容を斬り捨てる達人も、いなくなってしまった。
「らくご聴いたまま」は、2021年6月の文蔵の落語会の記事を最後に、更新が止まっている。
自分が行くことができた会を中心に、今、その内容を辿っている。
高座の思い出とともに、その場に居合わせた石井さんの姿が、目に浮かんでくる。
石井徹也さん、素人の私のブログにまで、真剣に目を向けてくれていたことに対し、今さらながら、お礼申し上げます。
なかなか手厳しい言葉の羅列を頂戴したものですね。
それも素人相手に。
プロが素人のSNSにケチをつけたような気がしないでもないです。
それだけ注目を浴びた存在だったのですね。
逆説褒め殺し!
あらためて石井さんの記事を読み、当時の自分のブログを考えると、手前勝手ではありますが、私に、「おい、小のぶ聴いたか? 最近、落語聴いてるのか?」と、石井さんが言っている、そのようにも思えてきました。
煽られていたのかな、と感じます。
しかし、同時期に、この記事を読むことは、ありませんでした。
実際は、正直、分かりません.
しかし、そう思いたい。
生前の石井さんに、お聞きしたかった、とも思いますし、いや、聞かなくて良かった、とも思う、複雑な思いです。

