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映画「オッペンハイマー」について(2)

 映画「オッペンハイマー」の二回目。

 こちらが公式サイト。
映画「オッペンハイマー」公式サイト

 予告編。


 予告編からのカット。

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<主なスタッフ>
□監督/脚本:クリストファー・ノーラン
□製作:エマ・トーマス、チャールズ・ローベン、クリストファー・ノーラン
□製作総指揮:J・デビッド・ワーゴ、ジェームズ・ウッズ、トーマス・ヘイスリップ
□原作:カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン
□撮影:ホイテ・バン・ホイテマ
□美術:ルース・デ・ヨンク
□衣装:エレン・マイロニック
□編集:ジェニファー・レイム
□音楽:ルドウィグ・ゴランソン
□視覚効果監修:アンドリュー・ジャクソン

<主なキャスト>
□J・ロバート・オッペンハイマー:キリアン・マーフィ
□キャサリン(キティ)・オッペンハイマー:エミリー・ブラント
□レスリー・グローヴス:マット・デイモン
□ルイス・ストローズ:ロバート・ダウニー・Jr.
□ジーン・タトロック:フローレンス・ピュー
□アーネスト・ローレンス:ジョシュ・ハートネット
□ボリス・パッシュ:ケイシー・アフレック
□デヴィッド・L・ヒル:ラミ・マレック
□ニールス・ボーア:ケネス・ブラナー
□フランク・オッペンハイマー:ディラン・アーノルド
□イジドール・ラビ:デビッド・クラムホルツ
□ヴァネヴァー・ブッシュ:マシュー・モディーン
□ハーコン・シュヴァリエ:ジェファーソン・ホール
□エドワード・テラー:ベニー・サフディ
□ウィリアム・ボーデン:デビッド・ダストマルチャン
□ハンス・ベーテ:グスタフ・スカルスガルド
□ロージャー・ロッブ:ジェイソン・クラーク
□アルベルト・アインシュタイン:トム・コンティ


 では、あらすじを記すが、もちそん、ネタバレ、なのでご注意のほどを。

 また、映画自体も、カットバックでいろんな時代に飛んでいるし、私の記憶も結構飛んでいるので、映画の時系列通りではない可能性があることを、ご容赦。


(1)FISSION(核分裂)とFUSION(核融合)
 オープニングで、唐突に、「FISSION(核分裂)」と「FUSION(核融合)」という言葉が提示される。
 これは、核分裂による原爆と、核融合による水爆、という対比からのネーミングに違いない。
 たしかに、オッペンハイマーは責任者として原爆をつくった。しかし、その後の水爆開発には反対していた。
 その水爆開発を率先しようとしていたのが、開発者のエドワード・テラーであり、彼を支援していたストローズだった。
 オッペンハイマーの物語が「FISSION(核分裂)」でカラー映像、ストローズの物語が「FUSION(核融合)でモノクロ映像になっている。
 この映画の大半が、オッペンハイマーとストローズの物語であり、頻繁にカットバックで時代も前後して紹介されるための監督の配慮だろう。
 後半は、1954年の「赤狩り」の混乱の中でオッペンハイマーに対し行われた聴聞会と、1959年に、アイゼンハワーによって商務長官に指名されたストローズに対して開かれた公聴会のことが中心となり、カラーとモノクロが入れ子となり、かつ、オッペンハイマーの過去の時代も挟まれる。

(2)オッペンハイマーの聴聞会(1954年)
 その「FISSION」(核分裂)の映像で、本編が始まる。
 圧迫感を感じる狭い聴聞会の部屋で、ロージャー・ロッブを中心とする弁護団から、オッペンハイマーは、過去の言動について追及を受ける。
 「赤狩り」の対象とされたオッペンハイマーへの嫌疑は、下記のようにいくつかある。
 ・大学教授時代、パーティーで、ハーコン・シュヴァリエなど多くの共産党員と交友をもった。
 ・大学教授時代の恋人のジーナも生粋の共産党員であった。
 ・妻のキャサリン(キティ)も、かつて共産党員であった。
 ・弟のフランクも共産党員であった。
 など。
 しかし、後で明らかになるが、この聴聞会は、ストローズによって仕掛けられたものだった。
 1947年に、ストローズが、せっかくオッペンハイマーをプリンストン高等研究所に招聘し、AEC(原子力委員会)顧問にもさせたにも関わらず、オッペンハイマーが水爆に反対していたため、対立が深まっていた。
 ストローズは、さまざまな工作によって、この聴聞会でオッペンハイマーを公職から追放しようとしたのであった。

(3)ストローズへの公聴会(1959年)
 靴のセールスマンから成り上がり、政治家への道を突っ走ってきたストローズ。
 ついに、アイゼンハワーから商務長官の指名を受けるまでになった。
 任命の前の公聴会が開かれた。
 AEC委員長として、当時、オッペンハイマーとどのような関係だったか、などと聞かれるストローズは、五年前に公職追放となったオッペンハイマーのことを、なぜ今さら尋ねられるのか、と苦々しく思っていた。

(4)オッペンハイマーの留学と師や友との出会い(1926年~1938年)
 1926年、ハーバード大学を三年で、かつ主席で卒業したオッペンハイマーは、イギリスのケンブリッジ大学に留学する。
 そこでの環境や実験物理学への偏重の気風が嫌になった。
 映像では、担当教授の机の上にあったリンゴに青酸カリを注入する場面まで描かれた。間一髪で、殺人を犯すことはなかったが。
 その後、ドイツのゲッティンゲン大学に留学。
 この留学中に、その後師と仰ぐニールス・ボーアやヴェルナー・ハイゼンベルクに出会い、終生の友となるラビと出会った。
 ゲッティンゲン大学で博士号を取得。
 彼のプロフィールによると、留学中の業績には、マックス・ボルンとの共同研究による「ボルン・オッペンハイマー近似」があるが、映画では、具体的な業績は紹介されていない。
 また、彼の夢として、ブラックホールの存在を示す映像もあるが、具体的な論文などの紹介は割愛されている。

(5)ストローズがオッペンハイマーをプリンストンに招聘(1947年)
 AEC創立当時からの委員(その後委員長)だったストローズは、原爆開発に成功した英雄オッペンハイマーを、AEC顧問、プリンストン高等研究所所長として招いた。
 任命に際してオッペンハイマーは、あえて自身にかけられた共産主義者としての嫌疑について言及したが、ストローズは、構わないと答えた。
 オッペンハイマー赴任の初日、彼は部屋の窓から池の端にたたずむ人物に気が付いた。
 ストローズが「紹介しようか」と言うと、オッペンハイマーは、その必要はないと断り、その人物に歩み寄った。
 その人物は、アインシュタインだった。
 オッペンハイマーはアインシュタインと立ち話をしていた。その様子を遠目に見ていたストローズ。
 そして、二人が別れた後、ストローズがアインシュタインに近寄ると、アインシュタインが邪険な素振りを見せたことを、ストローズは、オッペンハイマーがアインシュタインに告げたのは自分の悪口ではなかったかと、終生、気にかけることになった。

(6)オッペンハイマーの帰国と大学教授就任(1929年~1938年)
 1929年に帰国し、 カリフォルニア大学バークレー校やカリフォルニア工科大学助教授となり、1936年には両大学の教授となっている。
 後に聴聞会で問いただされる共産党員との交流は、主に、この時代にことである。
 オッペンハイマーは、研究を通して核分裂を応用した原子爆弾実現の可能性を感じていたが、1938年にはナチス・ドイツで核分裂が発見された。ユダヤ人であるオッペンハイマーは、このままではアメリカは遅れをとると危機感を募らせた。


 今回は、ここまで。
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by kogotokoubei | 2024-04-02 12:54 | 映画「オッペンハイマー」 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛
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