「光る君へ」で「庚申待」の解説に落語の話題がなかったのが、残念。
2024年 03月 25日
昨夜のNHK大河「光る君へ」は、「庚申待」の夜に、ドラマがあった。
ドラマの内容はさておき、せっかく番組の最後に、八坂庚申堂の映像など「庚申待」の解説もあったのだが、今一つ、物足らなかった。
なぜなら、落語との関係を説明しなかったからである。
関連するあるネタについて、以前、記事を書いた。
2019年11月18日のブログ
柳亭小痴楽が、真打披露興行で『宿屋の仇討』を演じたことから書いた記事。
今では、上方が原形のこの噺が東京でも一般化したが、元々江戸の噺は、『庚申待』だった。
上方の『宿屋敵』を三代目小さんが東京に持ち帰り、『庚申待』のほぼ後半と言える噺が主流となった。

以前の記事でも引用したが、興津要さんの『古典落語』では「続々」に収録されており、巻末にこのように記されている。
原話は、天保年間ごろ(1830年代)刊の笑話本「無塩諸美味」所収の「百物語」。
別名を「宿屋敵」「万事世話九郎」といい、本書所収のそれは、上方種のものだが、江戸のそれは、「庚申待ち」「甲子待ち」といい、馬喰町の旅籠屋で、庚申の夜に寝ると、腹中の虫が昇天し、命がうばわれるというので、寝ずにすごした「庚申待ち」の晩には、とりとめのないはなしをしているうちに、仇討さわぎがおこるという設定になっている。
いずれにしても、過大なるじまんから生まれた悲喜劇が中心になっている点においてはかわりはないが、上方種のほうが、にぎやかでおもしろいことは否定できない。
『庚申待』は、志ん生の十八番だった。
ネタについてよくお世話になる「落語の舞台を歩く」のサイトから、引用。
「落語の舞台を歩く」サイトの該当ページ
場所は、日本橋馬喰町の大黒屋金兵衛という旅籠屋。
熊さんが話し始めた。
道楽が過ぎて、借りが着物着ているようになって江戸から逃げて旅に出た。江戸に帰りたくなった晩、熊谷の土手で目の前に雷が落ちて、お爺さんが苦しがっていた。身体をさすってあげていたら膨らんだ懐の胴巻きに手が触れた。金無しの自分と比べると、歳も十分生きたし、もう良いだろうと絞め殺したら、200両あった。その金を持って江戸に着いたが悪銭身につかず、文無しに・・・、でも、残るのは爺さんの顔。夜ごと出てきてうなされたが、10年も経つと薄らいで、今は出なくなった。と、ホラ熊さんが話した。
宿屋の主人が泊まっていた侍に呼ばれた。「気にせんで良い。さっきから愉快な話を聞かせて貰っておる。だがな、熊谷で人を殺して金を奪った話はただ事ではないぞ。殺されたのは拙者の父だ。ずっと仇を探しておった。今夜は庚申待だから勘弁するが、明日手打ちにいたすから逃がすなッ。逃がすと全員なで切りだ」。
その後のことは、ご存じの通り。
「庚申待」という風習のことが、忘れられていく中で、「光る君へ」は、せっかくドラマで取り入れたのに、説明不足。
ということで、もう少し、この風習のことを補足する。
腹の中の虫とは、道教が説く「三尸(さんし)」のこと。
生まれながらに人の腹中に棲んでいるといわれる3匹の虫(蟲)が、庚申(こうしん、かのえさる)の夜、人の睡眠中に天に昇り、天帝(「閻魔大王」とも)にその人物の悪事を告げると言われていた。そんなことをされて地獄に落ちてはかなわないとばかり、寝ずに過ごすようになったのである。
ほぼ二ヵ月に一度回ってくる庚申待ちの夜、三年に渡り十八回連続して寝ずに過ごすことで満願になって、三尸を退治出来ると言われていた。
じっとして夜明けを待つより、仲間とワイワイ言いながらの方が楽しいし、時間が経つのを忘れることもできる。
大店では、使用人にご馳走する店もあったようだ。
さて、次の庚申は4月26日。
安倍派キックバッカーズの面々は、とても、寝てなどいられないはずなのだが、悪い奴ほどよく眠る、というから三尸は無事に彼らの悪事を報告できるはず。
罪状によっては寿命が縮められたり、死後に地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕とされると言われる。
まあ、彼らが天国へ行けないことは確実だろう。
大事なのは、生きている間に、正しく罰せられることだ。
今の世なら、三尸の虫がメディアであり、天帝あるいは閻魔大王が国民であるべきかもしれない。
我々、国民大王は、決して、岸田を含む裏金野郎やキックバッカーズを許さない。
