「地震と原発」を考える日ーTBS「報道特集」の3月9日の放送などから。
2024年 03月 11日
3月10日が、我が家にとっては、ペコを偲ぶ日であるように、3.11も、人によって、いろいろと思いが違って当然だと思う。
私は、少なくとも、地震と原発について考える日、であると思う。
つい今年元旦の能登でも、その問題は危険性をはらんでいたことを忘れてはならない。
能登には、志賀原発がある。
元旦の大地震で、志賀原発に大きな問題が発生しなかったのは、僥倖でしかない。
稼働中ではなかったが、もし稼働中だったらと思うと、ゾッとする。
稼働していなくても油が漏れていたことに関しては、1月2日に朝日の記事を引用して書いた通り。
2024年1月2日の記事
その後の調査で、志賀原発の被害が、それほど小さなものではなかったことが判明している。
北日本新聞の3月8日の記事から引用。
「北日本新聞」の該当記事
北陸電力は7日、能登半島地震で被害を受けた志賀原発(石川県志賀町、停止中)の構内を、地震発生後初めて報道陣に公開した。志賀原発は地震の影響で2号機主変圧器が故障し、外部電源の一部が使えない状態が続いている。取材に応じた中田睦洋原子力部長は「主変圧器は内部点検を終えたばかり。復旧にどれくらいの時間がかかるのか調査している段階」と述べた。
この日は、絶縁油が漏れた1、2号機の変圧器計2台のほか、地震対応の拠点となった緊急時対策棟、地震後の試運転で自動停止した非常用ディーゼル発電機、地震の揺れで水があふれた使用済み燃料貯蔵プールなどが公開された。
北電によると、2号機の主変圧器は2月に内部点検を終えたばかりで、復旧に向けて補修方法などを検討している。2号機のタービンについても地震の影響を調べており、これらの結果を踏まえて復旧見通しを立てるという。
1号機の起動変圧器は、6台ある放熱器のうち1台が損傷し、2月に仮復旧した。今後、全ての放熱器を取り換え、早ければ8月に完全復旧する。
報道陣から公開が地震発生から約2カ月後になったことを指摘されると、中田部長は「余震リスクが高く、インフラ復旧も進んでいなかったため、安全面に配慮した」と説明した。
能登半島地震では、志賀町で震度7、1号機地下で震度5強を観測。2号機主変圧器が損傷し、5系統ある外部電源のうち2系統が現在も使えなくなっている。変圧器から漏れた油が海に流出するなどトラブルも相次いだ。核燃料の冷却や外部への放射能の影響はないという。
この志賀原発の状況について、テレビや全国紙は、ほとんどスルーなのは問題だ。
実は、能登半島では、珠洲市にも原発建設の計画があった。
9日のTBS「報道特集」では、金平茂紀キャスターの現地取材で、珠洲で原発の反対活動を行った方々が紹介された。
TBSのサイトから、いくつか画像を切り取って紹介。
「TBS 報道特集」サイトの該当ページ

タイトルは「東日本大震災13年 地震と原発はいま」。

油漏れがあった、志賀原発。

反対運動を率先した圓龍寺の塚本住職。

運動当時の塚本住職。

東電と国は、さまざまな手口で、反対派を懐柔しようとし、賛成派を増やそうとした。
配布されたチラシには、福島第一のあった双葉町を、原発誘致で豊かになった町として紹介していた。

いわゆる、有名人も、原発擁護の講演会に駆り出された。

珠洲に原発がなくて、良かったと回顧する、反対運動の勇者たち。
今日が東日本大震災、そして、福島第一原発事故から13年ということで、NHKも民放も、そして全国紙でも、さまざまな特集を組んでいる。
見ていて疑問を抱くことがある。
ある総理大臣が、「自助・共助・公助」という言葉を発していた。
特集番組は、圧倒的に、震災後の「自助」や「共助」に焦点を当てているように思う。
大きな被害を受けた人たちの頑張りや、地域住民の方の相互扶助の姿は、それはそれで、得難い内容ではある。
しかし、メディアが、ジャーナリズムとしての存在意義を感じるのなら、13年経っても「公助」が十分じゃないことに対して、批判的精神を発揮すべきではないのか。
東日本大震災の復興のスピードを落としたのは、東京五輪に、建設、土木のパワーが割かれていたからではないのか。
能登の復興の遅れに、大阪万博は影響していないのか。
いまだに、故郷を失われた方が大勢いることを考えるならば、3.11を契機に、地震大国日本における原発の存在を見直すことは重要だ。
もし、珠洲原発ができていたら、何が起こっていたかは、分からない。
あれから13年、しかし、原発を止めようとせず、逆に、増やそうとしている政治を批判する番組として、9日の「報道特集」は、貴重だったと思う。
