「申告漏れ」ではなく「脱税」ー江國滋著『日本語八ツ当り』より。
2024年 03月 08日
少し古い本を読み直している。

江國滋著『日本語ツ当り』
江國滋著『日本語八ツ当り』は、平成元(1989)年に新潮社から単行本で初版、平成5(1993)年に新潮文庫で再刊。
私は、古書店で文庫を買って、ずいぶん前に読んだが、最近、言葉の乱れや、言葉狩りなどについて気になり、再読した。
「私の“ことば狩り”」の章からご紹介。
「使いたくないことば」というものが、おそらく、どなたにもおありのことだと思う。私の場合は、極度の“偏食”ゆえに、かぞえきれないぐらいあって、いちいち書いていたらきりがないので、省く。
「使いたくないことば」とは別に、「使ってはいけないことば」というものも、あるのではないか。
ある、ある、いわゆる差別用語がそれだろう、とおっしゃるか。
否。
差別用語の問題については、私には私の考え方がある。日本語を語る上で、この問題は、避けて通れないことがらだと思うので、いずれ取り上げなくてはいけないと考えているのだけれど、いまから書こうとしているのは、差別用語とは関係ない。「使ってはいけない」というより、むしり「あってはならないことば」といったほうが、より正確かもしれない。
言葉というものは人間が作りだしたものである。しかしながら、作りだされたことばが、今度は逆に人間を作りだす、ということもありうる。既成のことばが内蔵する魔力によって、人間の心が歪んだり、良心が麻痺したり、ものが見えなくなったりするとしたら、そのことばは「あってはならない」と考えてもいいのではないか。
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ラスベガスのカジノ付きホテルを5550万ドル(約111億円)で買収して話題になった人物に、史上最高額の240億円にのぼる「申告漏れ」があったことが発覚して、東京国税局が120億円の追徴課税を決定したものの、資産の大部分がアメリカに移されているために、徴収できるかどうかおぼつかない、というニュースが、ついこのあいだ大きく報じられたが、報道機関の全部が「申告漏れ」ということばを使っていた。
なぜ「脱税」にならないのだろう。ならないだけの正当な理由が、税法上もしくは刑法上、ちゃんとあるのだと想像する。法律的にはどうであれ、社会通念からすれば、申告漏れイコール脱税ではないか。「申告漏れ」ということばが内包しているのは「ついうっかり」というニュアンスである。240億円も「ついうっかり」されてたまるもんか。
「申告漏れ」ということばには、罪の意識が欠落している。してはいけない行為ということでは「脱税」と同じではないか。だからこそ、このカジノ社長には重加算税を含む追徴課税が科せられた。
私が、なぜこの内容をご紹介したかは、賢明な方はすでにお分かりかと思う。
江國滋の指摘は、パーティー券収入の「還付」を、収支報告書に「不記載」だった議員の批判に通じる。
それが、自民党からの政策活動費であろうが何だろうが、「不記載」と書くから、「ついうっかり」というニュアンスにつながるし、本人たちも、そのニュアンスを利用するのだ。
メディアが、明確に「脱税」と書くべきなのだ。
もし、そう書いて政治家が反論しても、社会通念上、国民はメディアを支持するに相違ない。
政治資金規正法というザル法の大きな抜け穴により、起訴や書類送検を免れているから無実、なのではない。
また、収支報告書の入金も出金も記載していれば、非課税なのであって、報告書に記載がないということは、その金は「雑所得」とみなされるべきだ。
20万円以上の「雑所得」には、当然、税金がかかる。
「脱税」と言われないためには、該当する政治家は、確定申告で雑所得として申告し、税金を払うべきなのだ。
これ、国民の義務でしょう。
江國滋は、こう書いている。
人間の良心を麻痺させるという点で、「申告漏れ」ということばは、「あってはならないことば」だと考えたい。
良心を麻痺させることば、他にもあるように思う。
「あってはならないことば」は、言葉狩りではない。
その状態や行為について、不適切なことばなのである。
そもそも、岸田は、「あってはならない」意味不明なことばなり言っている。
「Smart FLASH」から、5日の参院予算委員会の答弁を引用する。
「Smart FLASH」の該当記事
共産党の田村智子議員が「派閥が議員事務所に記載するなと指導したのは、組織的な犯罪がおこなわれたことになるのでは」と岸田首相に問いただすと、「組織的犯罪という言葉の定義は承知していない」と答えるにとどまった。
組織的犯罪は、組織的な犯罪のことだ。
そんなことも知らない人物が日本の総理なんてこと、あってはならない。
