『春は、出会いと別れの季節』ー「愛って、なに?」
2024年 01月 30日
愛って、なに?
駅の掃除の最初の日、浅川、斉藤と一緒に我が家に来た和美が、姉か兄が買っただろう、ザ・ロネッツの♪Be My Babyを選んで聞いていた時、母が店から中に入って来た。
「あら、浅川君と斉藤君だけじゃなかったんだね」
と母が言うと、和美が挨拶した。
母が、
「あんたが、悪がきを追い散らした和美ちゃんだ」
と言ってしまった時は、後の祭り。
和美が、私を睨む。
母が、
「あっ、これ、内緒だったっけ」
と苦笑いしたので、私は、
「いや、その、元気な転校生が来た、って言っただけだよ」
と胡麻化したが、和美は、
「ええ、そうです。男の子なんかに負けない和美です」
と言うのを聞いて、母も、男トリオも笑ってその場は、なんとかおさまった。
母は、家の中に何かを取りにきただけで、
「ゆっくりしてってね。冷蔵庫にジュースもあるから」
と言って、すぐ店に戻って行った。
私は、オレンジジュースを四本冷蔵庫から出して、彼らに渡した。
ジュースを飲みながら、和美が言う。
「なんで、私、女に生まれたのかなぁ」
男トリオは、なんとも答えられない。
「やっぱり、男の方が得だよね」
また、三バカは無言。
それから、私はブラザース・フォアのLPをかけたが、和美の心には、それほど響かなかったようだ。
しばらくして、三人は帰った。
翌週から、日曜の駅の掃除は、10時からに変わった。
それは、「鉄腕アトム」が、札幌テレビ(STV)で9時から9時半まで放送されるからだった。
当時の北海道は、TBS系の北海道放送(HBC)と日本テレビ系のSTVの民放二局しかなく、フジテレビが土曜夜に放送していた「鉄腕アトム」は、STVで日曜朝だったのだ。
ということで、掃除の後にはすぐお昼になるので、浅川、斉藤、そして和美も我が家に寄ることはなくなった。
しかし、和美は、学校が半ドンの土曜、私が野球や浅川、斉藤などと遊びに行かない時、彼女の家でお昼ご飯を食べた後、三、四回、我が家にレコードを聞きに来た。
ブラザーズ・フォアはそれほどはまらなかったが、ピーター・ポール・アンド・マリーは好きになったようだ。
女性ボーカルが、とにかく好きなのだった。
和美の訪問は、夏休みになって途切れ、それからは、来なくなった。
聞きたいレコードがなくなったのか、あるいは、親に咎められでもしたのか、分からない。
10月になり、和美は、女子のリーダー的存在になり、副学級委員長になった。
私は、委員長のままだった。
話す機会が増えると、彼女の頭の良さ、そして、他人への気遣いなどが、よく分かるようになった。
そして、私は、彼女が好きになった。
10歳の初恋、だったと思う。
ある日、久しぶりに彼女が我が家を訪れた。
クラスのことで、何か相談ごとがあったと思うが、何かは忘れた。
話が終わり、私が、
「久しぶりにレコード聞く?」
と言うと、
「そうしようかっ」
と和美がレコードをかけ始めた。
あのロネッツの♪Be My Babyや、シルヴィー・バルタンの♪アイドルを探せ、とか、コニー・フランシスの歌など。
私は、何かこれまで彼女が聞いたことのないレコードで聞かせたいものを、探した。
そして、一枚のシングルを選んだ。
私が、
「これもいいよ」
と、聞かせたのが、ピーター・アンド・ゴードンの♪愛なき世界、だった。

当時ピーター・アッシャーの妹と付き合っていたポール・マッカートニーが彼らに贈った歌で、前の年、1964年の大ヒット曲だ。
姉がシングルを買ってきて、私が好きになった歌の一つだった。
私がターンテーブルに針を落とし、曲が流れた。
しばらくきいていた和美が、
「これ、いいね」
と言ったので、ほっとした。
聞き終わって、和美が言った。
私は、あまりに難しい問いかけに、言葉が詰まった。
「好きと恋とも違うのかな」
と聞くから、これにも、無言だった。
すると、和美は、
「恋や愛のことも、これから、一緒に勉強しようね」
と言った。
私は、その意味がよく呑み込めなかった。
黙っていると、
「そろそろ帰ろっ」
と帰って行った。
その和美と、5年、6年はクラスが変わり、私が和美と会うのは、ほぼ、日曜の駅の掃除だけになっていった。
真空管ラジオで聴きました。
私は姉や兄の影響で、上の世代の歌をよく聞きました。
1960年代のポップスは、いいですね。
ジャズは、1950年代が好きですが。
小説のようなもの、を書き始めて、あらためて古い歌を聞くようになりました。
