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『バンブーを知る女』ー♪Just The Way You Are(素顔のままで)


 ♪Just The Way You Are(素顔のままで)

 ホテルのバー「マウンテン・パス(峠)」のカウンターで、新郎の植田君、新婦の恵美ちゃん、そして、恵美ちゃんの高校の同級生の晴恵さんと四人が、思い思いのカクテルで乾杯をした後、恵美ちゃんが、私に言った。

「晴恵さん、音大時代から厚木に住んでいるんですよ。学生時代から車で生徒の家を回ってピアノを教えているんです。土曜や日曜は、ホテルの披露宴でも弾いているんですって。働き者なんです」
 私は、ごく当たり前の返事として、
「そうなんですか」
 と晴恵さんを見た。
 その後、恵美ちゃんが、
「厚木って、そんなに遠くないですよね」
 と聞くから、
「ああ、成瀬は隣が町田だから、小田急に乗ればそんなに時間はかからない」
 と、ごくあたり前のこととして答えた。
 すると、恵美ちゃんが、
「たまに、晴恵さんを食事にでも誘ってあげてくださいよ。これも、縁ですから」
 と言うので、少しびっくりして、即答できなかった。
 恵美ちゃんは、
「晴恵さんも、向こうには友達少ないみたいだし、たまには息抜きだって必要でしょう。電話番号教えてあげなさいよ」
 と晴恵さんに言うのだった。
 
 事前に、恵美ちゃんと晴恵さんが相談していたのかもしれない。
 晴恵さんが、自分の手帳に電話番号を書いて、そのページを恵美ちゃん経由で私が受け取った。
 それを、スーツの胸ポケットから出した手帳に挟んだ。
 そうか、行きがかり上、片道というわけにもいかないから、私も電話番号を書こう、と言うと、恵美ちゃんが自分が伝えると言う。
 すでに教えているか・・・・・・。

 そこで、ようやく、私は、晴恵さんに言った。
「よく、バンブーのこと知ってますね」
 彼女は、
「中華街のホテルの披露宴で仕事していますが、その人たちとの食事会の後、ニューグランドのバーに行ったことがあって」
 と言った。
 そうか、なるほど、と頷いた。

 それ以上、晴恵さんに関する話題はなかった。
 もっぱら、植田君が、私の広告屋時代に彼が教わったことや、松之山での食事会で、私の幹事役としての仕切りぶりなどを話す。
 そろそろ、21時を過ぎた。
 植田君と恵美ちゃんは、ホテルに泊まり翌朝早くの新幹線で東京へ向かい、成田からハワイに新婚旅行だ。
 あまり、遅くまで新婚さんを付き合わせても野暮だし、晴恵さんは、久しぶりにN市の実家に泊まるようなので、お開きとして、私は部屋に引き上げた。

 翌日の日曜日、私はホテルをチェックアウトすると、以前の職場のあるビルの一階の喫茶「サフラン」に寄った。
 かつて、出勤前にコーヒーを飲むのがルーティンだった店だ。
 マスターも、ママさんもお元気そうで何より。
 モーニングを頼み、読みかけのミステリーの続きを読んで、ゆっくりと昔の時間を楽しんだ。
 
 それから、昼頃の新幹線で帰った。
 翌日から忙しい日々が続く中、しばらく、晴恵さんのことを忘れていた。
 というか、新しい職場の若い社員と、毎夜のように飲み歩いていた、と言う方が正しいかもしれない。
 あえて言い訳をするなら、私にとっては課外授業的な場でもあり、彼らも、私の営業としての経験に触れたい、という思いもあったのだろう。
 すでに7月には新横浜駅に近い自社ビルに引っ越していたから、飲む場所は、菊名や大倉山が多かった。
 あるいは、長津田の行きつけの焼き鳥屋さん「唯(ゆい)」に若者を連れて行くこともあった。

 そうそう、長津田のことだ。
 成瀬の新築のアパートの工事が遅れ、長津田のボロアパートに一週間住むことになった。
 築50年は経っているようなアパートで、風呂もなかった。
 私は、駅近くの銭湯に行き、すぐ近くに居酒屋さんやスナックが四、五軒ある一角の焼き鳥屋さんに通うようになった。
 ご夫婦で営むそのお店は、お二人の人柄も良く、酒も肴も安くて美味かった。
 結局、成瀬のアパートが完成してからも、ほぼ毎日のように、一駅前で降りて、その店に通うようになったのである。
 実は、今も続く日曜のテニスは、その店のマスターとママさんが、近所の焼き肉屋さんたちと一緒にやっていたグループに誘われたのであった。
 成瀬のアパートが予定通り完成していたら、そういったお付き合いもなかったと思うと、なんとも、縁というものの不思議さを感じるばかりだ。

 そして、植田君と恵美ちゃんの結婚式から一か月余り経った、11月上旬のこと。
 土曜日の休みに、たまたま手帳を眺めていたら、後ろにはさんだ住所録とカバーの間にある、一枚の紙に気が付いた。
 出してみると、晴恵さんの電話番号が書かれていた。
 思い出した。

 そうか、恵美ちゃんが食事にでも誘ってあげて、って言ってたな。
 その頃の私は、若い男性社員と昼も夜も一緒のことが多く、ほとんど、色気がない生活だった。

 なぜその夜、彼女に電話したのか、今になっても、よく分からない。
 そろそろ冬の足音が聞こえてきそうな頃、風の強い日だったことだけは覚えている。
 人恋しさがあった、ということかもしれない。

 土曜の夜、彼女は厚木のアパートにいた。
 そして、一週間後の土曜の昼、町田のレストランで食事をすることになった。
 そして、翌週の土曜日、中華街のホテルの披露宴で仕事があるというから、その後に夕食を、そのホテルの中華レストランで食べる約束をした。
 その日、おこげで有名な店で美味い中華を食べた後、ホテルニューグランドのシーガーディアンⅡで、一緒にバンブーを飲んだ。

 そう、あのバンブーだ。

 帰ることになったが、彼女が持つ黒いバッグがあまりにも重そうだった。

 そう、あの日も持っていた、電話帳のような歌の本が三冊ほど入ったバッグだ。

 横浜駅から、私のアパートには東神奈川から横浜線だ。
 彼女は、本厚木駅近くに住んでいるから、相鉄線だ。
 
 私は、つい、
「そのバッグ、重そうだから、アパートまで運ぶよ」
 と言った。
 断られるかと思ったが、彼女は、受け入れた。
 そして、アパートに着いて、お茶でも、と言われ・・・・・・。

 それ以上は、野暮だな。

 あまりに展開が早すぎたかとも思うが、私が37歳、彼女が32歳、お互い若いとは言えなかった。

 流れと言うか、成り行きというか、そうなった。
 
 私は、手に職のある女性がいいと思っていた。
 それは、自分がそんなに長生きできるとは思っていなかったので、私が死んでも、生活に困らないようにという思いがあったからだ。

 彼女が私を気に入った理由は、いまだに、分からない。
 もう聞くこともないだろう。

 どんなプロポーズをしたか、正直なところ、覚えていない。
 彼女は、覚えているのかもしれないが、もう聞くつもりはない。


 正月、私は、N市の彼女の実家を一緒に訪ねた。
 ちょうど、私の営業チームに、父親が築地の市場で働いている部下がいて、彼に頼み、天然ブリを一尾、築地から直送してもらっていた。
 もし、さばけなければ松之山に持って行くつもりだった。
 しかし、彼女のお父さんが、見事にさばいた。
 後で、彼女のお父さんは釣りが大好きで魚にも詳しいと聞き、冷や汗をかいた。
 しかし、あれはいいブリだ、と言ってくれたので、お世辞かもしれないが、ホッとしたものだ。

 その後、結納があり、4月からは、いち早く私の成瀬のアパートを引き払って、厚木の彼女のアパートで同居を始めた。

 7月、彼女が披露宴でキーボードを弾いている中華街のホテルで、結婚式と披露宴を開いた。

 そこで、私たちは、二度目の共同作業を行うことになった。

 彼女の伴奏で、私が歌うことにしたのだ。

 また、♪We're All Alone、では芸がない。

 植田君も恵美ちゃんも、松之山の親父さん、バー菜緒子のママも、雨戸の令子さんも来る。

 ということで、私は、ビリー・ジョエルのアルバム「ストレンジャー」から、ある曲を選んだ。

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 私は、1978年の4月、大学を卒業し就職した広告代理店での研修期間に、ビリー・ジョエル初来日の大阪厚生年金会館の公演に行っている。

 彼を一躍有名にしたアルバム「ストレンジャー」は、アメリカでは1977年9月末に発売され、10月から「ストレンジャー・ツアー」がスタートし、その最後を締めくくるのが、中野サンプラザと大阪厚生年金の2公演だった。

 しかし、「ストレンジャー」の日本での発売は1978年1月で、当時の日本での人気は、それほど高くなかった。

 私は、大阪厚生年金会館の、たぶん、前から5列目くらいの席、ビリーの汗が飛んできそうな席で彼の熱演を聴いた記憶がある。

 その後の、彼の人気は、ご存じの通り。

 さて、選んだのは、♪Just The Way You Are(素顔のままで)だった。

 その日、いくつかのスピーチ、乾杯の発声、その後、松之山の親父さんの、いつもの♪娘よ、や、会社の同僚の歌などもあった。
 一番印象的だったのは、彼女の30人を超える生徒のうち10人ほどが会場に入り、代表して小学生の女の子が、彼女あての手紙を読んだ時だ。

 隣で、彼女はうっすらと涙を浮かべていた。

 さて、そろそろ終盤を迎え、私たちの番だ。

 短い挨拶の後、彼女が、あのイントロを弾き、私は歌った。



 さすがに、間奏でフィル・ウッズのホーンが入ることはなかったが、まあまあだったと思う。

 そんなに、練習はしなかったと思う。
 いや、いろんな準備で、それどころじゃなかった、と言った方が正しいのだろう。


 この歌は、ビリー・ジョエルが当時の妻、エリザベスに捧げた、と言われる。
 彼は、四度結婚している。
 

 あれから、三十年余りが経つが、何度か危険な時期があったものの、なんとか、夫婦生活が今も続いている。
 それが良かったのかどうかは、分からない。
 しかし、良かったのだろう、と思うようにしている。


 あの歌で思うことがある。

 男性は、今のままでいい、相手に変わらないでくれ、という期待をして結婚する。
 しかし、女性のその変貌ぶりに驚くことになる。 
 いや、もしかすると、変わってはいないのかもしれない。男より、演技が巧みなのだろう。
 だから、もしかすると、素顔を、死ぬまで知らないままなのかもしれない。

 女性は、相手に、結婚したら変わって欲しいと思う部分が必ずある。
 しかし、男性は、変わらない。
 いや、それを、欠点とは自分では思っていないのかもしれない。
 常に素顔、というのが男なのかもしれない。
 

 そして、そんな思いをお互い抱きながらも、なんとかやっていくのが、夫婦なのだと思う。

 お互い、我慢することで、その関係がぎりぎり維持されてきた、そんな気がする。
 しかし、彼女は、我慢しているのは自分だけだ、と思っているのかもしれない。

 
 古希を目前とし、昔を思い出しながら、そんなことを考えていた。

Commented by saheizi-inokori at 2024-01-11 10:28
なるほど、そしていまなんですね。
いい出会いでしたね。
ビリージョエルは、私も好きで、チケット貰ってコンサートにも行きました。
Commented by kogotokoubei at 2024-01-11 10:41
>佐平次さんへ

脚色はありますが、基本的なところは、こんな感じです。
とにかく、ビリー・ジョエルの初来日は、どうして、と思うほど、客席も空いていたように思います。

今は、家のピアノもエレクトーンも、埃をかぶっています(^^)
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by kogotokoubei | 2024-01-10 12:54 | 『バンブーを知る女』 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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