『バンブーを知る女』ー「間抜けなキューピッド」
2024年 01月 09日
間抜けなキューピッド
この頃、30年余り昔のことが思い出されてならない。
新潟県N市にあった支局で働いていた広告代理店を辞め、思い切って転職したのが3月。
その翌月、私は37歳になった。
その前の年、いろいろなことがあった。
大学時代に付き合っていて、就職とともに別れた美佐江が、3月にスキルス性胃がんで亡くなった。
10月、職場のあるビルの一階の喫茶「サフラン」の多美ちゃんと行きつけのジャズ喫茶雨戸に行き、彼女が酔っぱらってアパートまで送り、結果として泊まることになった。
とは言っても、腕枕での添い寝だったが。
また、同じ10月、私の酒とミステリーの師匠だった竹田さんが、くも膜下出血で亡くなった。
サフランの開店15周年記念と、翌月に結婚する多美ちゃんの送別会が終わる頃、部長からの電話で訃報に接したのだった。
美佐江は、とうに他人の妻であり母だったし、就職後には一度も会っていなかった。
大学の同期で女子部の主務だった弘子ちゃんからの電で知らされて、しばらくは茫然としていた。
しかし、京都を離れる前夜二人で飲んだカクテル、テキーラ・サンライズを、バー「マウンテン・パス(峠)」で飲み直し、思い出に別れを告げることができたように思う。
しかし、竹田さんの死は、実に辛かった。
とはいえ、その後、年末・年始の忙しさで、次第にそのダメージが緩和されたようだ。
何より、年始、アパート一階の松之山での、行きつけのジャズ喫茶雨戸の常連たちと「ふぐフルコース・飲み放題」新年会をやったのが、いろんな意味で、気分転換になっていた。
そんないろいろの後の転職だった。
N市の技術系大学の高木教授が顧問を務め、その技術力や挑戦する姿勢に大きな期待をしていたソフトウェア会社の営業として働くため、3月下旬に越後から関東の地に引っ越した。
前の月に面接を受けた場所は、横浜の関内だった。
しかし、すでに、新横浜駅近くに自社ビルの土地を確保し工事が始まっていた。
6階建てのビルは、7月に竣工予定だという。
2月下旬一日休みをとって、私は住む家を探した。
転職先の会社の総務の方に紹介された不動産屋を訪ねた。
場所は、横浜線沿線にしようと決めた。
自社ビルができるまでは、少し通勤時間がかかるとはいえ、東神奈川で乗り換えればいい。
親切な不動産屋さんといくつか候補を回ったが、できれば、新しい人生のスタートは、新しい住まいにしたかった。
ちょうど、成瀬の駅前に、新築のアパートが出来る予定で、ワンルームだが、私には十分だったし、場所的に東京都民になるのも悪くない、などと思ってそこに決めた。
しかし、その新築アパートの工事が遅れた。
引っ越しした時にはまだ出来ておらず、不動産屋さんからの代替案として、一つ駅隣りの長津田駅近くの古いアパートで完成を待つことになった。
そして、その一週間が、その後の生活にも大きな意味を持つことになったのだが、それについては、また書く機会があるだろう。
さて、ともかく、新築のアパートもでき、まったく新しい分野での仕事が始まった。
お客さんは、理系のバリバリの技術者ばかり。
当初、十歳も年下の先輩と営業同行しても、お客さんとの会話は、チンプンカンプン。
コンピュータの世界は、略した横文字が多く、それが何の略で、どんな意味なのか、毎日が勉強だった。
それらの言葉にもようやく慣れ始めた、転職から四ヵ月余り後の8月、お盆休み前の土曜の朝に、アパートに電話があった。
N市での広告屋時代、なぜか私を慕って、飲み屋でもどこでも金魚の糞のようについてきた、新潟のテレビ局の営業の植田君だった。
「おう、久しぶり。元気か」
と言うと、
「元気ですよ。どうですか、新しい会社は」と聞く。
「大変だよ。コンピューター用語覚えるので必死だよ。だけど、若い会社で、皆、すごいエネルギッシュなんだ」
と私の答えを待って、植田君が、どこか恥ずかし気な口調で言った。
「実は、あの、恵美子さんと結婚することにしたんです」
驚いた。
恵美ちゃんは、雨戸の常連さんで、ピアノの先生をしている。
植田君と恵美ちゃんは、私が企画する松之山の宴会(松之山会)の常連、いや、皆勤と言えるメンバーだった。
とはいえ、植田君は28歳、恵美子ちゃんは32歳で、四歳上の姉さん女房である。
よく、植田君のご両親が許したものだ。
私は、そんなことを思いながらも、
「それはおめでとう。そうか、まったく気付かなかったなぁ」
と言うと、
「ということで、ぜひ、結婚式に出席していただきたいんです。仲人のようなものですから」
と彼が言う。
「どうして、仲人なんだ」
と返すと、
「だって、私が恵美子さんと知り合ったのは、松之山会ですから」
と言う。
たしかに、出会いの場は私が企画したかもしれないが、仲人ではない。
植田君が、続けた。
「仲人じゃなければ、キューピットです」
彼とその言葉のギャップが、妙に可笑しくて笑ってしまった。
cupidだから、正しくはキューピッドだが、キューピットでも通用するなぁ。
そうか、まぁ、そう言えるかもしれない。
しかし、私は、二人がそんな関係だったとは、夢にも思わなかった。
ということで、私は、植田君と恵美ちゃんの結婚披露宴のため9月下旬にN市を訪ねることになった。

その夜は、コニー・フランシスの♪間抜けなキューピッド(Stupid Cupid)、を聞きたくなった。
1958年、ハワード・グリーンフィールドの作詞、作曲はニール・セダカである。
コニー・フランシスが、♪Who's Sorry Nowをヒットさせた同じ年のリリース。
♪カラーに口紅は、翌年の大ヒットだ。
コニー・フランシスの歌詞の意味とは違っていても、私は、まったく、間抜けなキューピッド、だった。
そして、翌月の植田君と恵美ちゃんの結婚披露宴で、私はある女性と出会うことになる。
