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『ナイトキャップは、カクテルで』ー「菜穂子ママの物語」


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 菜穂子ママの物語

 マティーニ・ニューグランドのふた口目を飲みながら、菜穂子ママは言った。
「今日は、気分がいいから、話しちゃおうかな、いいよね、健ちゃん」
 そう言われた、ホテルのバー「マウンテン・パス(峠)」のバーテンの吉田さんは、
「今は、他のお客様もいませんし、ママがそうしたければ、私は構いません」

 そこから、二十年前の物語が始まった。

 バー菜穂子のママの本名は、直子だった。
 長女で一人っ子、父親はN市にある某商社の支店に勤める会社員、専業主婦の母との三人家族だった。
 家には、父の好きなジャズのレコードがたくさんあった。
 また、仕事の関係で海外出張が多い父から聞く土産話が、菜穂子ママに、将来は海外で働きたい、という夢を抱かせた。

 地元N市の高校を出てから、ママは東京の女子大に進んだ。
 将来は、英語を生かした仕事をしたいと考え、英文科を選んだが、大学の英文科は、英会話を学ぶ場所ではなかった。
 入学後すぐ英検二級を取得したが、もっと上を目指したかったし、在学中に留学もしたかった。
 しかし、できるだけ親に仕送り以上の負担をかけまいとして、もっと、実践的に英会話の勉強をしながら貯金するため、大学二年生になってから、英会話教室でのアルバイトを始めた。
 その教室で、講師であるネイティブのサポートをするのだった。
 教材づくりを手伝ったり、日本語ががそれほどうまくない講師には、通訳的な役割も担った。

 複数の講師の担当をしたが、その一人に、アメリカ、サンフランシスコ出身のスティーブがいた。
 年は五歳菜緒子ママより上だった。
 学生時代にも日本に留学したことのあるスティーブは、日本と日本文化に関心があり、また、横浜が好きになり、大学を卒業後、日本での仕事を探し、その英会話教室で働くことにしたのだった。
 
 父親は、サンフランシスコで日本車のディーラーを経営していた。
 将来は、スティーブに店を継がせたいという思いはあったようだが、日本を知ることは仕事にもつながると考え、行かせてくれた。

 スティーブは、山手のアパートに住み、都内の教室に通っていた。
 英語を上達させたい菜穂子ママ、そして、日本語をもっとうまくなりたいスティーブは、最初は、仕事帰りにお茶を飲む程度のつきあいだったが、その後、お互いにジャズが好きなこともあり、都内や横浜のジャズ喫茶に一緒に行くようになった。

 二人が、男女の関係になるのに、時間はそうかからなかった。
 しかし、まだ、二人は若かったし、お互いの人生を尊重し、束縛することを避けた。

 次第にスティーブの日本語は上達し、日本の芸能文化に興味のある彼と菜穂子ママは末広亭などの寄席にも行くようになった。
 当時、それほど落語に関心がなかった菜穂子ママは、スティーブのおかげで、その奥深い面白さを発見した。

 スティーブから生の英語を学べたことで、英検の準一級に合格した菜穂子ママだったが、留学への熱意は冷め、卒業して外資系ホテルに就職した。

 配属は、秘書室だった。
 アメリカ人の役員の秘書として、自分の英語を生かすこともできた。

 研修でアメリカにも行き、カルチャーショックを受けた。
 
 スティーブとは、学生時代ほどは頻繁に会えなくなったとはいえ、お互いの気持ちは通じていた。

 ホテルで勤務して二年が経過した夏のある日だった。
 菜穂子ママが休みの日で、スティーブとママは、行きつけの横浜中華街の店で食事をした。
 大きな有名店ではなく、狭い路地を入ったところにあるその小さな店は、二人のお気に入りだった。

 そして、その夜も、二人は港までゆっくり散歩し、ホテルニューグランドのバー「シーガーディアン」でカクテルを楽しむことになった。
 
 今は、ホテルの中にシーガーディアンⅡとして営業しているが、当時のシーガーディアンはホテルの入口とは別に外から入ることができる入口があった。

 カクテル、ヨコハマ、で有名な、由緒あるバー。

 実は、ちょうどその頃、吉田さんは、シーガーディアンで修行中のバーテンだったと菜穂子ママが言った。

 菜穂子ママが、手洗いに行っている間に竹田さんが、こう言った。
「そうじゃないかと思っていたよ。吉田さんみたいに、シェイカーの蓋を外にしてシェイクするのは、あのバー特有だから」

 シーガーディアンは、海の守り神、という意味で、船室のバーを模したつくりをしていた。
 昔のシェイカーは、品質が悪く、物によっては蓋をしっかり閉じることができないため、中身が漏れることがあった。蓋をバーテンが自分に向けてシェイクすると、漏れた雫がお客様にかかることがあるので、蓋を外側にするという流儀が、今もシーガーディアンの伝統となっていると、竹田さんが私に説明してくれた。

 酒とミステリーに関して、竹田さんは、私の師匠と言えた。

 吉田さんが言う。
「さすが、竹田さん、ご存じだったんですね。実はそう長くは勤めていなかったので、あの名門のバーの名を出すのは恐れ多かったんです」

 菜穂子ママに会ったのは勤めて一年位経った頃で、結果三年勤めたらしいが、それが短いのか長いのかは、その道に詳しくないので、私には分からない。

 いずれにしても、今のホテルのオーナーがホテルニューグランドを定宿にしていて、吉田さんが地元N市出身と知ったオーナーから熱心にくどかれ、このバーに来たとのこと。


 菜穂子ママが、戻った。
「ごめんね、健ちゃん、バラしちゃって」
 という言葉に、首を横にふる吉田さん。

「どこまで話したっけ?」
 と聞くママ。
「中華街での食事の後、シーガーディアンでカクテルを飲む、というところまで」
 と私。
「そうそう、そうだったわね」
 と思い出した菜穂子ママの話は、佳境に入った。
「いつもスティーブと私は、マティーニ・ニューグランドを頼んだの。ベルモットよりシェリーの方が、丸みがあって優しい味で好きだった。そう、この味」
 と言って、ママは目の前の懐かしい味を口に含む。
 その後、こう言った。
「それでね、あの夜、マティーニを一口飲んだ後、スティーブがね、私の顔を正面から見つめて、実は故郷のお父さんが心筋梗塞で倒れて入院したって、言うの」
 ここからは、途切れ途切れのママの述懐だった。
「お母さんから、すぐ帰れって連絡があったって・・・私、それは大変だから、帰ってあげて、って言ったの。でもスティーブは、帰ったらもう日本に戻れないかもしれないって・・・お父さんが治るにしても、どうなっても、家の仕事を継がなければならないって・・・そして、スティーブは、私にこう言ったの。一緒に来てくれるかって」

 その場にいたはずの吉田さんが、我々に背を向けた。
 泣いているのは、その背中が語っている
 
 菜穂子ママは、また、マティーニを一口啜り、こう言った。
「でもね、まだ、私は25だったし・・・仕事も楽しかったし・・・ごめんね、ってスティーブに言ったの」

 しばらくして、スティーブは会計を済まし、
「直子、これまでありがとう。さよなら」
 と言って、泣きながら店を出たと言う。

 ここまで話し、うっすらと涙を滲ませた菜緒子ママは、
「話は、これでおしまい。その後、いろいろあって、バー菜穂子のママ!」
 と笑う。

 私は、スティーブが去った後、マティーニのグラスは、菜穂子ママの涙で溢れたに違いないと思った。
 私の目も霞んできた。

 しばらく、沈黙が続く。
 
 シーガーディアンのように、汽笛のBGMのない店だったから、何か、音が欲しくなった。

「吉田さん、"GO"お願いしていいですか」
 と言うと、それまで後ろ向きでグラスを磨いていた吉田さんが、棚からレコードを取り出し、ターンテーブルに置いた。
 1962年8月ヴァン・ゲルダー・スタジオでの収録、ブルーノートの4112番。
 
 ディクスター・ゴードンのテナーに、ソニー・クラークのピアノが見事にからむ。
 ブッチ・ウォーレンのベースとビル・ヒギンズのドラムスは、同じ年のハービー・ハンコックの"Takin' Off"(4109番)と一緒だ。
 ゴードンが、長いヨーロッパの旅に出る前の名盤。
 
 天井のBOSEから、一曲目♪Cheese Cakeの奥深いテナーが響いていた。
 ちなみに、食べ物のケーキではない、ピンナップガールを意味している。


 このアルバムは、バー菜穂子でも、よくかかるママのお気に入りだ。

 中でも、A面二曲目、♪I Guess I'll Hang My Tears Out To Dryが好きだ、とママはよく言っていた。

 竹田さんと私は、ナイトキャップの締めとして、マティーニ・ニューグランドを頼んだ。

 菜穂子ママもお代わりを頼んだ。

 カウンターにマティーニグラスが三つ並んだ時、2曲目が流れてきた。



 ディクスター・ゴードンのテナーが、心にずしんと響いてきた。


 菜穂子ママは、気を取り直すかのような笑顔で、
「若かりし思い出に、乾杯!」
 と言って、グラスに口をつけた。

 竹田さんも、私も、菜穂子ママにグラスを向け、私は初めての味に挑んだ。

 なるほど、ベルモットをシェリーに替えると、丸みがあって優しくなるという形容が、よく分かった。


 しかし、菜穂子ママにとってこのナイトキャップは、他の人には感じられない苦さがあるに違いない。


 曲のタイトルは「涙を乾かそうと思うんだ」という意味だ。

 菜穂子ママが、この曲を聞く時に少し悲し気な顔になる理由を、少しだけ分かったような気がした私が、三十年余り前、バー「マウンテン・パス」のカウンターにいた。

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by kogotokoubei | 2023-12-25 12:57 | 『ナイトキャップは、カクテルで』 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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