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『時には、ストレートで』ー"Joy Spring"

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 Joy Spring

 栄子は、令子さんと茂男さんへの祝杯の後、
「私、お母さんが生きているうちに、結婚したい」
 と、ボソっと言った。

 そして、私に向かって、こう聞くのだった。
「私、毅さんが好きです。毅さんは、私のことどう思っているか聞いてもらえますか?」

 おいおい、それかっ、と私は思った。

 令子さんが、羅針盤の社長が亡くなる前に、茂男さんと一緒になることを報告できていたらと後悔する姿を見て、自分の母のことに思いが至ったのだろう。

 
 二年前の10月のある夜のことを、思い出す。

 栄子は、初めて雨戸に来たその夜、金がないから店で働かせてくれ、と言って令子さんや私を驚かせた。

 栄子は、米屋の娘だった。
 父親の死により、販路拡大のための多額の借金があったことが分かった。
 家も土地も何もかもを借金の返済のため失い、それでもまだ数千万円残った借金の返済のあてはなく、栄子の兄は自己破産した。

 狭いアパートに病弱の母、兄夫婦と子どもの三人、そして栄子も引っ越したが、栄子は、勤めていた農協にいづらくなり、アパートにも落ち着ける場所がないため、農協を辞めて、貯金をはたいてアパートを借り、勤め先を探した。
 しかし、なかなか良い就職口はなく、つい、風俗店で働いたのだが、三日目の夜、悪い客にあたってしまい、こらえきれずに店から逃げ出して、雨戸に飛び込んだのだった。

 一方の毅は、地元のC高校で野球部のレギュラーだった。
 前年県大会で準優勝だったC高校は、甲子園最有力と思われていたが、予選直前に毅みずからの暴力事件で、出場辞退となってしまった。
 なんとか高校は卒業したものの、食堂を営む父が紹介してくれたN市の老舗料亭を、半年で辞めてしまった。

 そのことを咎められた毅は、つい父と口論になり家を飛び出て、風俗で働くようになり、三軒目の店が、そこだった。

 毅は、栄子についていた酔っ払いの客を殴ってしまい、店をクビになった。


 まずは、一晩落ち着かせようと、雨戸から私が栄子のアパートまで送ると、そこには栄子を心配した毅が待っていた。

 同じ夜に、二人の若い失業者と出会った私は、放っておくこともできず、二人をバー菜穂子に連れて行ったのだった。

 その翌日、栄子は雨戸で働き始め、今では、店の人気者になっている。
 
 毅は、今も、私が住むアパートの一階、大衆割烹の松之山で働いている。
 私が家族同様にお付き合いをしている親父さん夫婦は、時に厳しく、時に親のような暖かさで毅を見守ってくれている。
 毅も父と同じ松之山出身の親父さんの言う事をよく聞き、朝早くから夜遅くなるまで働き、今では、焼き物や煮物は、親父さんも毅に任せるようになるまでの腕前になった、と親父さんが喜んでいた。


 とはいえ、まだ、二人はこれからだ。


 栄子と毅が、時折会っていることは、私も知っていた。
 それまでの彼らの道のりは、決して平穏だったと言えない。
 そんな二人が、同じ夜に職を失った。

 縁も感じただろうし、偶然、同じ年齢でもあった。

 しかし、栄子も毅も、まだ25だ。
 
 加えて、今、結婚しても、経済的にはまだ苦しいに違いない。

 毅は、この二年間、真面目に松之山で修行をしている。
 しかし、まだ修行中の身では、給料がそれほど多いとは思えない。
 実家の食堂を継ぐことになるのかどうかは、今の段階では、何とも分からない。

 栄子だって、雨戸の給料は、そんなに多いとは言えないだろう。
 残念ながら、ジャズ喫茶は、そんなに儲かる商売ではない。
 最近は、ウィスキーのボトルをキープする客も減ってきた、と令子さんも嘆いていた。

 もし、毅も栄子を好いているにしても、結婚には早すぎる、と私は思う。


 私は、栄子に言った。
「栄子ちゃん、もし、毅も君が好きだとしても、毅は、まだ見習いの身だし、もう少し待って、料理人として一人前になってからでも遅くないと思うよ」

 しかし、栄子は、
「でも、それまでお母さんが生きている保証はないんです」

 たしかに、それはそうだ。
 その夜の出来事を思うと、栄子の言葉は重かった。


 加えて、栄子の家には、父の死以降、明るい話題は途絶えていた。

 兄は三か月前に工事現場で足を骨折してしまい、今は、失業保険を頼りにしている。
 子どもは、五歳の男の子に加え、昨年二人目の女の子ができて、奥さんは子育てで、働くどころではない。
 
 
 たしかに、母親に、今のうちに目出度い報告をしたいという栄子の思いも、分からないではない。
 
 私は、メーカーズマークを、すすった。
 
 店に預けてある、缶ピースを一本引き抜いて、火をつけた。

 菜穂子ママが、
「久しぶりに吸ってみようかな」
 と言うので、一本渡し、ライターから火をつけてあげた。
 カウンターの右端から、二本の紫煙が上がった。

 そして、菜穂子ママが言った。
「たしかに、毅君は、まだ見習いでお給料も多いとは言えないでしょうけど、『一人口は食えぬが二人口は食える』って、落語でも言うじゃない」

 そう来たか、と私は思った。

 雨戸シスターズも菜穂子ママも、そして私も落語は好きだ。

 菜穂子ママは、かつて東京でOL(古い!)として働いていた時、よく、寄席にも行ったと言う。
 私も、小学生の頃から落語や漫才が好きで、高校時代の愛読書は『古典落語』というシリーズだった。
 今も、落語のCDはいくつか持っていて、寝るときに、古今亭志ん生を聴くのがルーティンだった。


 たしかに、栄子も毅も、それぞれ別のアパートに住んでいたから、一緒になれば、住居費からして削減できるだろう。

 しかし、何と言っても、毅本人の気持ちだ。

 そして、毅がその気でも、親だ。
 なかでもあの父親を説得できるか、私には自信がなかった。

 
 後見人としては、人肌脱ぐしかないか、と思いながら、三杯目を頼もうとした時、菜穂子さんが言った。

「ねぇ、これから松之山で羅針盤のお父さんの弔いと、令子さんと茂男ちゃんのお祝いの会しない。どうせ、毅さんに、あなたは話があるんだし。広い方の座敷が空いていれば、みんな入れるでしょう」

 菜穂子さんがそういうと、栄子は、即座に
「私は、遠慮します」
 と言った。

 たしかに、栄子がいては、毅も言いにくいに違いない。


 その日は、とにかく菜穂子ママが、リーダーシップを発揮していた。

 雨戸は、このまま休みにしたらいいし、皆、腹も減ってはきた。

 恵子さん、令子さんも、その夜は何かと疲れていて、食事を作らせるのは気の毒だった。

 どうせ、どこかに食べに行くなら、松之山が相応しい、とも言える。

 羅針盤の社長も、松之山はよく行っていた。

 私は、雨戸から、松之山に電話した。
 すぐに禎子さんが出て、座敷は空いていると言って、親父さんに代わった。
「ちょうどフグのいいのが入ったから、どうだい、フグフルコース、飲み放題、三千円ポッキリってのは」
 と言う提案に乗らない人はいなかった。

 
 八人は、松之山の、お通し、ふぐ刺し、唐揚げ、ふぐちり、ビールにワインに日本酒と、盛沢山の特別コースを堪能した。
 途中、親父さんが来て、ふぐをさばくのと刺身以外は、全部毅が作ったと伝えた。
 一同、すべて親父さんだと思っていたので、驚いた。

 他の客も落ち着いたところで、毅を呼んだ。

 何か料理に間違いでもあったかと不安な顔で、毅はやって来た。

「毅、腕を上げたな」
 と、まず私は素直に褒めた。

 その後、令子さんと茂男さんの目出度い話を聞かせたが、お互い、亡くなった父親に報告できなかったことを後悔している、という話をした。
 
 そして、こう言った。
「もし、毅が栄子ちゃんと一緒になりたいのなら、彼女のお母さんがまだ元気なうちに報告してあげられないかと思ったんだが、お前、栄子ちゃんをどう思っている」

 毅は、一瞬の間の後、きっぱりとこう言った。
「私も、栄子が好きです。でも、まだ修行中の身だし、親父からは三年は死ぬ気でやれ、と言われてるし・・・・・・」

 私は、
「その気持ちは分かる。だけど、これからの一年で、何があるかわからないぞ」
 と言うと、
「でも、栄子ちゃんの気持ちだって大事だし」
 という毅の言葉を受け、
「それは、大丈夫だ」
 と、私が請け合った。

 後は、松之山の親父さん、そして、毅の親だ。

 そう思っていた時、隣の座敷で、盗み聞きしていた親父さんが、襖を開けた。

「悪い、聞いちゃったよ」
 と頭をかく親父さん。
 次に、毅、そして、一同に向かって親父さんが、驚くことを言った。
「俺は、大賛成だ。そして、毅、いや、みんなに内緒で、半年前から、雨戸が休みの日には、食堂を手伝っているんだ、栄子ちゃん。毅が自分のせいで職を失ったお詫びだからって、ご飯いただければそれだけでいいって、給料なんかもらっていないんだ。毅のことを報告に店を訪ねたら、栄子ちゃんがいてびっくりしたよ。栄子ちゃんは、絶対、毅にも、雨戸のみんなにも言わないでくれと言うんだ。最初はとまどっていた毅のお父さんもお母さんも、今は、栄子ちゃんが来る日を楽しみにしているよ。働き者の栄子ちゃんをすごく褒めていた。きっと、許してくれるよ。もし、ダメだと言ったら、その時は、俺が出ていくから、任せとけ」
 
 まったく、予想外の話だった。

 毅は、松之山に勤め出しても以前のアパートに住んでいたし、盆と正月にしか実家には帰っていなかった。
 それも、三年死ぬ気で頑張れ、という父親の言葉が影響していたんだろう。

 食堂と松之山、雨戸に共通の客がほとんどいなかったし、週に一度だったので、これまでバレることがなかったのか。


 翌日曜日の朝早く、私は、毅と栄子を伴って、毅の実家の食堂を訪ねた。

 ご両親は、反対するどころか、二人から報告があるのを、待っていたと言う。

 その足で、栄子のお母さんのいるアパートへ向かった。
 まだ、ギブスの取れないお兄さんも、家にいた。
 お母さんは、二人の報告に、涙を流して喜んだ。
 毅は、自分がつくった料理を持って、何度かアパートを訪ねていたらしい。

 お兄さんも、奥さんも、反対する理由はなかった。

 
 翌年の3月、雪解けを待って、二人の結婚披露宴は、松之山を貸し切り、二つの座敷の襖を外して行われた。

 仲人を頼んだ松之山の親父さんと禎子さんは、料理と給仕が忙しいからと、私と菜穂子ママが仲人席に座ることになった。

 アパートに住む奥さんたち数人が、手伝っていた。

 宴が始まると、私は二人の過去の傷には触れず、できるだけ笑える内容で紹介し、乾杯の発声を菜穂子ママがした。
 その後、私は、店のカウンターに行って、キープしてあるエヴァン・ウィリアムスをグラスについで飲んだ。

 それからは座敷とカウンターを何度か往復した。

 毅と栄子をよく知る松之山と雨戸の常連さんが中心の会になった。
 
 毅のご両親も、嬉しそうだった。
 父親の故郷松之山からも、伯父さんと伯母さんが参加してくれていた。

 栄子のお兄さんもギブスが取れ、松葉づえながら参加できた。
 お兄さんの奥さんも、実家に子どもを預けて来ることができた。
 栄子のお母さんは、以前よりずいぶん元気を取り戻していた。
 その笑顔を見て、栄子の魅力のルーツがはっきり分かった。

 座敷では、松之山と雨戸の常連さんたちが、代わる代わる祝の言葉を告げに二人の席に立ち寄る。

 宴が始まる直前まで、毅も栄子も、料理の準備を手伝っていた。

 店の名物牛肉の南蛮漬け、のどぐろの焼き物、絶品の刺身盛り合わせなどに舌鼓を打つ参列者。

 そのうち、松之山からやって来た毅の伯父さんによる「高砂や」があり、松之山の常連さんの「黒田節」も登場。

 親父さんも、ようやく料理が落ち着いて席につき、その年に流行った、芦屋雁之助の♪娘よ、を熱唱した。

 栄子のお母さんが、泣き笑いしていた。

 毅は、10月に満三年の松之山の修行を終えてから、実家の食堂に入ることになった。
 それまで、松之山の休みの日には、食堂で働くことにした。
 自宅と食堂を兼ねた家は、裏の駐車場の半分を使って増築し、毅と栄子の住まいにすることになった。


 カウンターで飲むバーボンが、美味かった。

 店の有線は止めてあったが、私の心の中では、"Clifford Brown and Max Roach"の♪Joy Springが流れていた。

 ブラウンの作品。
 まさに「喜びの春」である。

 ドラムスのマックス・ローチとトランペットのクリフォード・ブラウンを双頭とするクインテットの傑作アルバムの中の一曲だ



 1954年12月にエマーシーからリリースされたこのアルバムの他のパーソネルは、テナーがハロルド・ランド、ピアノ、リッチー・パウエル、ベース、ジョージ・モロー。


 窓の外に広がる青空を見上げながら、まさに若い二人の春を愛でるには、この曲しかないと思っていた自分が、三十年余り前の松之山のカウンターにいた。

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by kogotokoubei | 2023-12-23 09:36 | 『時には、ストレートで』 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛
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