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緒方正人著『チッソは私であったー水俣病の思想ー』より(6)

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緒方正人著『チッソは私であったー水俣病の思想ー』

 2001年に葦書房から刊行され、2020年にちくま文庫で増補再刊された、緒方正人著『チッソは私であったー水俣病の思想ー』から六回目。

 本書は、著者のこれまでの活字化された講演・談話をテーマ別に構成しなおしたものである。

 本書から、著者のプロフィールを引用。

緒方正人(おがた・まさと)
1953年、熊本県芦北町生まれ。不知火海で漁業を続ける。水俣病患者の未認定運動に身を投じたが、訴訟から離脱。石牟礼道子さんらとともに「本願の会」を発足させ、独自の運動を展開している。著書に『常世の舟を漕ぎて 熟成版』など。

 目次。
□はじめに
□家出から”運動”へ
□チッソは私であった
□魚(いを)とともに生きる
□日月丸東京へ行く
□魂とは何ぞや
□対談 祈りの語り
□この本の成り立ち
□単行本あとがき
□常世の舟 石牟礼道子
□文庫版解説 
 不知火海の聖痕 米本浩二
□略年譜

 前回は、家出から”運動”へ、の章から、著者が16歳の時に家出をしてバスで水俣市に行き、夜の町である男に誘われるままついて行ったことをご紹介したこと、しばらく、暴力団か右翼関係と思しきその男は、正人少年に食事とねぐらを与えてくれたが、貯金も底をつきそうなので、ある運送屋に職を見つけたところまでをご紹介した。

 その後のこと。

 そこでまじめに働きまして、運転助手ですね。ちょうど熊本の県庁をつくるときでした。ですから鉄のパイプを冬の寒いときに素手で、手袋買うのも惜しかったもんだけん、素手で鉄パイプとか建設資材とか道板を運んだり、いろいろかたげて(担いで)、朝からでも、霜で真っ白になってるのをにぎって、こうやりましたけれどもね。
 私は肉体労働することには何の抵抗もなかったですから、今で言う3K的な気持ちはなかったですから、とにかく何でもせねばと思うたです。そこらへんは田舎の人間は強かですね。やっぱり、生きていくためには何でもせねばならん。身体を動かさなければという気持ちです。もとと私たちより年代の古い人はとくにそうだったと思います。身体を動かすのに全然ためらいはなかったと思います。

 正人少年と、あの男を含む、“その筋”の人たちとの付き合い始まっていった。
 著者は、騙されたとか、裏切られたという感じは、今でもない、と言う。
 また、彼らは、素人をいじめなかった、と振り返る。

 とうしろうをいじめるのは恥とされていましたから。警察に捕まった時、仲間のことをぺらぺら喋るのも恥と思われていました。「うたう」っていうんです。警察に捕まって何でもぺらぺら喋るのを。あやるは警察にぱくられて、うとうてしもうた。「あぎゃん奴追い出せ」となるわけです。

 “その筋”の世界は、今はずいぶん様変わりした。

 いわゆる“しのぎ”ができにくい時代。

 「あるある詐欺」の背後に、そういった人間がいるということは、まったくの素人を相手にしないと、食べていけなくなった、ということか。

 さて、著者が家出をしていた時期は、ちょうど沖縄返還を前に、沖縄への自衛隊派遣に反対する学生運動が盛んになっていた。
 著者は、行きがかり上、そういう学生たちと対立するようになった。

 とにかく暴れたかったんですね。相手は誰でもよかったわけです。元気はあったし、もちろんその頃も、めまいとか痺れ感はあったんですけど、まだ年が若かったですから、とにかく暴れたくて仕方がなかった。で、そういうふうにして関わりあっていって、家出して二年ちょっとたったときです。八景水谷(はけのみや)の清水駐屯地の前でデモ隊に突っかかっていって逮捕されました。みんなで二千人ぐらいおりましたね、野次馬から、デモ隊から、私たちから。自衛隊の人たちが正門の方で銃を持って構えているし、警察官はがらがらっと来とるし、その真ん前で逮捕されました。
 だれかの命令があって殴りかかったのではなくて、何といいますか、暑い日でしたけれども、くらくらとして土手にあった棒切れを持ってとんでいきました。見事に捕まりました。機動隊の人は大きいし、体はでかいし、柔道、剣道やっているし、脇をこうやって抱えられました。浮かびあがってしまいます。喧嘩するとき相手を見てしなきゃいかんですね。私が殴りかかったのは、デモ隊でしたけど、若い学生でした。警察の護送車に連れられていきました。夏のことですから窓を開けてあります。竹槍の、青竹の先がすぱっと尖っているわけですよ。本当にぶすっといきそうに、尖っているんですよ。それがあっちからこっちからくるわけです。本当にきわきわのところまで、突いてくるわけです。やっぱり怖かったです。警察の護送車をデモ隊が囲んで突いてくる。彼らにしては当たり前、なんせ、デモ隊に、私は殴りかかったんですから。私の方が文句を言う筋合いではないんですが。
 少年鑑別所に送られて、四十二、三日間行ってきました。

 さて、この経験は、その後、著者にどんな影響を与えるのかは、次回。


 著者が関わったデモの後、沖縄は、昭和47(1972)年5月15日に返還された、はずだった。。

 しかし、まだ、沖縄は日本ではないのである。

 沖縄タイムスから、昨日の判決について引用。
「沖縄タイムス」の該当記事

辺野古代執行訴訟で沖縄県敗訴 埋め立て設計変更の承認命じる 地方自治体事務の代執行で初の判決
2023年12月20日 14:03

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、国が玉城デニー知事に代わって沖縄防衛局の設計変更申請を承認する代執行に向けた訴訟の判決で、福岡高裁那覇支部(三浦隆志裁判長)は20日、国側の主張を認め、玉城知事に設計変更を承認するよう命じた。県側は判決文を受け取った。承認するまでの期限は翌21日から数えて土日除く3日後の、25日となった。従わなければ、国が地方自治体の事務を代執行する国内初の事例となる。軟弱地盤が広がる大浦湾側の工事が近く始まり、重大局面を迎える。

 これでも、沖縄は日本だと言えるのだろうか。

 この問題は、別途、書くつもりだ。
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by kogotokoubei | 2023-12-21 11:54 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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