『バーボンは、ハイボールで』ー「後見人」
2023年 12月 19日

後見人
「雨戸」では、栄子の作ったハイボールの後、私も毅も、コーヒーを飲みながら、一番奥のテーブル席、そう、昨夜、栄子が最初に座った席で、話をした。
松之山という店のこと、親父さん夫婦のこと、二人の子どものこと。
以前、若い衆が一人いたが、一年後に店の金を盗んでトンズラしたこと、などなど。
店の名は、親父さんの故郷から取ったと言った時、毅の耳がピクっと動いたような気がした。
それが、何を意味していたのかは、後で知ることになった。
松之山は、雪深い十日町にある小さな温泉街だ。
上杉謙信の隠し湯、とも言われる歴史の古い温泉だ。
小正月に、薬師堂から、前の年に結婚した婿を雪の斜面に放り投げる「ムコ投げ」で有名かもしれない。
親父さんは、その温泉街で、ある旅館の五代目だった父と芸者の間に生まれた。
父親からすると、四男、ということになる。
狭い温泉街に、自分の働く場所はなく、中学を卒業するとN市に出てきて、ある料理屋で修行を始めた。
五年勤めた後、いわゆる渡りの料理人となって、東京、神奈川の複数の店で修行を続け、三十歳でN市に戻った。
最初の店で働いていた時に、ある不動産会社のS社長に可愛がられ、いい物件があるから、自分で店をやらないか、と誘われたのである。
当時は、高速道路、新幹線の工事中でもあり、いわば建設バブルで、銀行も快く貸してくれる時代だったし、何より、バックにS社長がいたので、居ぬきの店の改装費は、問題がなかった。
自分の店を持つ、という夢が叶うのを機に、最初の店で仲居を務めていた禎子さんに求婚した。
二人は、親父さんが休みの日に、時折会っていたらしい。
親父さんと禎子さんの夫婦だけで切り盛りする店は、親父さんの料理の腕と、その明るいキャラクター、そして、禎子さんの心遣いで、すぐに人気の店になり、毎晩、にぎわった。
店がちょうど十五周年を迎えた夜、私は、二階に引っ越し、挨拶代わりの祖品を持って、店を初めて訪ねたのだった。
ほぼ満席だった。
「二階の203号室に越してきた〇〇です。つまらない物ですが」と手拭を渡して帰ろうとすると、親父さんに、
「一杯だけでも、飲んでってよ。今日は開店記念日なんだ」と引き留められた。
「でも・・・・・・」と店内を見渡すと、カウンターにいた常連さんの一人が、
「俺は、用があるから、お祝いだけしてこれから帰るんだ。ここ座れるよ」
とカウンター席を空けてくれた。
L字型のカウンターが8席。
小上がりには、四人が座ることができるテーブルが二つ。
そして、奥に座敷も二部屋。
そのまた奥が、家族の部屋だった。
つまり、一階は松之山の店と家、ということ。
あれから、六年経つ。
つい毅に店のことを話しながら、月日が経つのが早いことを痛感していた。
「いいか、俺は、家族同様の付き合いをしているし、二階に住んでいる。そんな店じゃいやなら、今のうち、そう言うんだ」
私の言葉に、毅は、
「いえ、その方が俺は心強いです」
と、その目を輝かせた。
コーヒーを二杯飲んだところで、雨戸を後にした。
背中に聞こえた、令子さんと、栄子の
「がんばって!」
という声が、見事にハモっていた。
その日、松之山は定休日だった。
私は、電話をかけた。
店から転送される音に代わり、禎子さんが出た。
「親父さんに、ちょっと話があって」
と言うと、夕食が終わったばかりとみえて、すぐに親父さんが出てくれた。
「おう、どうした。どこか飲みにでも行く誘いかい」
という明るい声に、
「いや、知り合いに、料理の修行をしたいという若い奴がいて、紹介したいんだけど」
と言うと、
「ほう、あんたは顔が広いからね。いいよ、会うよ」
ということで、家ではなく、店の座敷で会ってもらうことになった。
四畳半の座敷。
テーブルを挟んで、奥に親父さん、手前に私と毅。
禎子さんが、お茶を運んできてくれて、奥に下がった。
毅が、高校での野球部での不祥事のこと、そして、高校を出てからのことを、予想に反して、ハキハキと話し始めた。
昨夜の情けない姿しか知らなかった私は、驚きながら聞いていた。
そうか、元々スポーツマンだ、これが本来の姿なのだろう。
昨夜の出来事を含め、話し終わった後、親父さんが意外なことを言い出した。
「あんたのお父さんは、もしかしたら、松之山出身じゃないかい」
毅は、親の故郷のことまでは話してはいない。
その店の場所と名前だけを語っただけである。
それに、雨戸で私と話した際には、そんなことは言っていなかった。
そうか、これだったか、と私は遅まきながら気がついた。
もしかすると、あえて、毅はそのことを言わなかったのかもしれない。
親父さんの言葉に、一瞬の間を置いて、
「そう、聞いています」
と返す毅の言葉に、親父さん、
「そうだろう、M旅館のせがれさんだったよね。お兄さんたちが旅館を継いだから、お父さんは俺より先にこの町に来て、店を開いたんだよね。安くて美味い定食屋さんだって聞いている」
後から、毅の父に聞いて分かったことは、実家の旅館の厨房を手伝っていたものの、兄が二人いるため、三年旅館を手伝ってからN市の洋食屋さんで働き、その後、自分の店を開いたらしい。
松之山の親父さんと、毅の父は、同じ故郷で、同じような境遇でN市に出てきた、ということか。
親父さんは、しばらく、腕を組んで、考えていた。
やおら、
「分かった。面倒見よう。しかし、家出したまんまというわけにはいかない。家に戻って、ご両親が認めたら、おいで」
と言った。
その後、私の顔を見て、
「あんたが、後見人、だな」
と言う。
私は、頷いた。
まさか、親父さんと毅の父親が、同じ故郷の出だったとは、思いもしなかった。
そして、そのことを、あえて口にしなかったのは、親の地縁を利用したくないという、毅のプライドだったのかもしれない。
毅は、
「分かりました。父に謝って、なんとか認めてもらうようにします」
その足で、私も一緒に毅の家に向かった。
ちょうど店じまいの時間だった。
暖簾をしまおうとしていた父親と目があった毅。
なにかあったかと、外に出てきた母親。
「これまで、本当に、心配かけて、すいませんでした」
と、まだ人通りのある店の前で、毅は大きな声で言い、土下座した。
母親が、慌てて毅を立たせ、
「何やってんだよ。早く中に」
と腕を引っ張り店に入れる。
行きがかり上、私も中に入って行った。
嬉し泣きの母親の横で、口の重い父親が、
「そうか、松之山さんか・・・・・・。本気なんだな、ちょっとのことで逃げないんだな」
と念を押す。
「はい。心を入れ替えて、一から、いや、ゼロからやり直します」
と、頭を垂れる毅。
母親が、
「いいかい、父さんだって、最近は足腰にガタがきてるんだから、しっかり修行するんだよ」
「馬鹿、何言ってんだ」
父親が、苦笑いしている。
親子三人に、笑顔が戻った。
走るように、松之山に戻り、親父さんに報告した。
翌日から、毅は、松之山に通うことになった。
20分ほどの道のりの往復で少し疲れた。
タクシーを呼んでもらい毅を送った後、雨戸に立ち寄った。
テーブル席にだけ客がいたが、カウンターは常連が帰ったばかりだという。
ハイボールの飲み直しだ。
栄子が、今夜の二杯目をつくってくれた。
一口飲んでから、令子さんと栄子に、顛末を話す。
二人とも大喜びだ。
令子さんによると、私と毅が出た後、ちょうど恵子さんから店に電話があって、栄子のことを話したら、喜んでいたとのこと。
気分的には、これから始まり、という感じだ。
チャーリー・パーカー・カルテットの"Now's The Time"が聴きたくなって、令子さんにお願いした。
Verveのバード。
いろんなバージョンがあるが、53年版では、ピアノがアル・ヘイグ、ベース、パーシー・ヒース、ドラムス、マックス・ローチ。
ジャズの本寸法、だと思う。
栄子が、聴きながら、笑っている。
この笑顔は、店の新しい魅力になるだろう。
どうやら、ピアノだけじゃないジャズの良さを分かってきたようだ。
令子さんも嬉しそうだ。
後見人なんて、柄じゃないのだが、乗りかかった舟。
たった二日の出来事だった。
二人の若者の未来は、どうなることやら。
いや、私は、他人のことなんて心配するより、自分の心配をしなければならない。
ひと月ほど前の健康診断で、肝臓に黄色信号がついて、医者からも酒を控えるよう言われたばかりだった。
そろそろ、バーボンのハイボールも、控えめにしなきゃならないのかもしれない。
そんなことを考えながらも、控えめになどできそうもない自分が、三十年余り前に、雨戸のカウンターにいたのだった。
アドリブを尊ぶジャズの精神は、佐平次さんはすでに十分にお持ちです。
ジャズだけで記事を書こうとも思ってんですが、小説のようなものの方が面白そうと思い、こんなものを書いてしまった次第です。
