『バーボンは、ハイボールで』ー「栄子の物語」
2023年 12月 17日

栄子の物語
令子さんと我々は、その娘を、まず落ち着かせ、話を聞かせてくれと言った。
「VITAVOX(ヴァイタボックス) 」からは、アンプのボリュームは絞ってはいるが、私がリクエストした、"Helen Merrill with Clifford Brown"がかかっていた。
他のBrownのアルバムと同様、エマーシーから、私が生まれた1955年のリリース。
録音は、前年の12月だ。
このアルバムのA面の2曲目、♪You'd Be So Nice To Come Home Toは、あまりにも有名だ。
しかし、私は、B面をお願いしていた。
誰も、レコードを止めようとは言わなかった。
B面の女は、名を栄子といった。洒落じゃない。
栄子の物語は、こうだった。
彼女は、N市の南西、隣のO市に近い村の米屋の娘だった。
周囲は、新潟の穀倉地帯だ。
今年、23歳。私の見立てはほぼ当たっていた。五つ上の兄がいて、以前は米屋を手伝っていた。
栄子は、高校を出て、地元の農協に勤めていた。
コシヒカリが大ブームとなり、父親は、東京や大阪にも販路を拡大し、一時は従業員も十人を超えるほど儲かっていたらしい。
しかし、コシヒカリのブームで、販売競争も激しくなった。
米は、もはや米屋でばかり買う時代でもなかった。
父親もやりくりが大変だったようだが、家族には微塵もそんな顔を見せなかった。
あまりにも、急な拡大路線は、行き詰った。
それでも、N市の夜の町に、週に二度、三度はタクシーでやって来て、行きつけの店を、はしごしていたようだ。
羽振りが良かった時代を忘れられなかったからなのだろう。
一年前、元々糖尿病を患っていた父が、突然亡くなった。
そこで、レコードは、♪Born to Be Blueになっていた。
バリー・ガルブレイスのギターのイントロの後、メル・トーメ作による歌詞を聞きながら、私は令子さんに、「レコード、止めようか」と言った。
令子さんも、察したように、「うん」と言って、針を上げた。
栄子の話は、続く。
銀行や業者の取引はすべて父が行っており、母も、手伝っていた兄も、店の経済状況は、ほとんど知らなかった。
蓋を開けてみると、借金は、億近くにのぼっていた。
こういう時、銀行は鬼になる。
代々続く家や土地、栄子にとって大事なピアノも、兄が好きだったジャズのレコードも含め、何もかもを売って返済に充てたが、まだ数千万円の借金が残った。
狭いアパートに、母と兄と兄嫁と三歳になったばかりの男の子、そして、栄子が引っ越した。
母は、心臓の持病があることに加え、父の死以降の心労で、とても働ける体ではなかった。
残った借金は、兄と栄子が働いたところで、とても返せる額ではない。
伯父の勧めもあり、つい三か月前、兄は自己破産した。
今は、工事現場で働いている。
栄子は、勤め先の農協で、周囲の目が変わったことを感じていた。
また、狭いアパートに、栄子が落ち着ける場所はなかった。
栄子は、新しい仕事を見つけようと思い、一か月ほど前に農協をやめ、アパートを借りた。
少ない貯金は、アパートの敷金と礼金で大半を使い果たした。
しかし、なかなか良い勤め先はなく、意を決して、三日前に風俗店で働くようになった。
その頃の風俗は、今のような過激なサービスをすることはなかったのだが、その夜、悪い客がついて、耐え難くなり、店を飛び出してきたという。
財布には小銭しかなく、貯金も残り少ない。
ここまで一気に話した後、
「ぜひ、働かせてください」と、頭を下げる栄子。
令子さん、そして、閉店までいた私を含む三人の客は、栄子の話を聞いて、ため息しか出てこない。
「まず、一晩寝て、どうしても働きたいのなら、おいで。でも、うちのバイト代なんて、たいしたことないからね」
令子さんの言葉に、頷く栄子。
雨戸は、ようやく、文字通りに戸締りとなった。
栄子のアパートは、私のアパートのすぐ近くだったので、令子さんに言われ送って行くことになった。
その時は、もちろん、彼女を送ってからまっすぐ帰るつもりでいたのである。
